時の花嫁と滅びの竜9
夜、王子はメルトを自室に呼んだ。
人払いをした部屋で、王子はしばらく何も言わなかった。
やがて、窓の外を眺めたまま、ぽつりと口にした。
「……公女が、体調がおもわしくなくそうだ。」
二人の間で公女といえば、マリアのことに決まっている。
「珍しい。」
メルトは小さく首を傾げた。
マリアは、体調管理をしっかりしている。
王子は少し躊躇ったが、思い直して続けた。
「先の反乱で出た傷病者を魔法で癒している最中に、突然倒れたと聞いている。」
メルトは言葉を失った。
王子が建国の王になり損ねたしわ寄せが、マリアに向かっていた。
王子は振り返って尋ねた。
「お見舞いの品を送ろうと思うのだが、何がいいだろうか」
「……。」
マリアは綺麗なものが好きだ。
宝石やドレス。それに、甘いもの。ミルクティーやチョコレート。
けれど、メルトが贈れたのは、その辺に咲く花か、拙い音楽くらいだった。
それでもマリアは、いつも本当に嬉しそうに受け取ってくれた。
「心が籠っていれば、なんだって喜ぶと思います。」
王子は困ったように眉尻を下げた。
「……すみません。お役に立てなくて。でも、野に咲く花でも喜ぶ人です。」
メルトも眉尻を下げた。
王子は苦笑した。
少なくとも、王子が知っている公女は、そんな女性ではない。
白百合の花束の中心に、黒百合を一輪だけ差し込んでくる。
真っ白なドレスに、わざと目立つ大きなガーネットのチョーカーを合わせる。
国中の貴族が見守る中、胸元のルビーにも似た強い意志で、求婚さえ退けた。
王子の知る公女は、いつも強く、鮮やかで、誰よりも自分の意思を貫く女性だった。
そして、その強さはいつも、メルトの方を向いていた。
――野に咲く花を贈る資格が、私にはない。
王子は、少しだけ寂しく感じた。
「……わかった。もう少し、考えてみるよ」
*
メルトは王子の部屋を出ると、その足でトネリコの木に向かった。
指先で幹に触れると、木は静かに光を返す。 そのまま幹の中へ身を滑らせた。
マリアの部屋の窓辺に、弱い灯りがひとつ揺れていた。
コンコンコンと窓を叩く。
「えーと……公女様?メルトです。」
マリアは驚いたように窓を開けた。
夜着姿に気づき、婚前の淑女の部屋を訪れる時間ではなかったと後悔した。
「魔法の使いすぎで倒れたって聞いて……気になって来ちゃった。」こてんと首を傾ける。
マリアの顔がみるみるくしゃくしゃになった。
「大丈夫?」
「なんなのよ、その公女様って呼び方は!
今までどおり“お姉さま”って言いなさいよ。バカ、バカバカバカ!」
「でも……」
「でもじゃない。お姉さまは寂しすぎて、本当に死んでしまいそうよ。」
「……はい。姉さま。以後、気をつけます。
で、体調は?」
マリアは、昔メルトと暮らしていた頃と同じ調子で愚痴をこぼした。
「ただの魔法の使いすぎよ。そりゃそうでしょう。一日に何人も治さなきゃいけないんだから。」
「断ればいいじゃないか。僕から殿下に伝えようか。」
「ダメ!そんなこと。」
即座に否定した。
「あなたの活躍は聞いているわ。流石ね。
私は、同程度の価値を陛下に提供しなくちゃいけないの。
…… それに、あのブレスレットをつけるくらいなら、 自分でやった方がマシよ。」
「まさか、つけたの?
姉さまがそんなことをするくらいなら、僕が働き続ければいい。
僕なら、全然平気なんだからさ。」
「いいえ。これは私の義務です。」
公爵家と家門の亀裂を広げないためにも、国王には当初の約束を守らせなくてはならない。
私が王妃となり、王子に実権が移れば、その約束に手が届くかもしれない。
ただ――あの王が、本当に退くのかどうか。
「僕、どうすればいい?」
良かれと思ってしたことは、いつも裏目に出てばかり。
マリアは小さく笑った。
「何もしなくていい。偶にこうして私の愚痴を聞いてくれたら嬉しい。
……弟として。」
「そんなわけない!僕にできることが何かあるでしょ?」
どれだけ魔法が使えても、大切な人一人助けられないなんて。
メルトは窓辺から身を乗り出した。
マリアは窓枠に指をかけたまま、黙っている。
「……だったら」
口から、勝手に言葉がこぼれた。
「……私を連れて逃げて」
すごく小さな声だった。
「……えっ?」
メルトはマリアの顔を凝視した。
「……嘘よ。」
マリアはかすかに笑った。
「姉さま――」
「来てくれてありがとう。」
マリアはそれ以上、何も言わせなかった。
「私、もう寝るわ。しばらく休めば元気になるから。大丈夫よ。」
マリアはメルトの胸を強く押し、窓を閉めると、カーテンを引いた。
メルトは暫くその場から動けなかった。




