時の花嫁と滅びの竜5
主城の広間は、冬の光が差し込んでいるのに妙に暗かった。
一段高い台座の上には、こげ茶色の胡桃材の背板に濃い赤の座面を持つ城主の椅子が据えられ、その背後に紋章旗が掲げられている。
王家の竜と剣と王冠の紋章から、王冠だけを抜いた意匠だ。
壁の奥に深く沈んだ窓から落ちる細い光が、紋章旗の金糸の縁をかすかに拾い、剣の刺さった竜の姿だけが暗がりの中に静かに浮かび上がっていた。
家臣たちは息を潜めて並んでいる。
ロバートは頬杖をつき、足を組んだまま使者たちを見下ろした。
その視線がメルトに止まる。
「おやおや。ハロルドの金魚のフンじゃないか。
しばらく見ないうちにデカくなったな。砦にいると思っていたぞ。
どうした、私に仕える気にでもなったか?」
メルトが口を開く前に、ワイアットが一歩前へ出た。
「ロバート殿下。使者は私です。」
ロバートは一拍置いて、煩わしそうに視線を向けた。
「ほう。
―――で、ハロルドは何と?」
「殿下とのお話し合いの機会を設けたいとお望みです。
この戦況にあってなお、言葉を尽くそうとされています。」
「この戦況とは?」
「砦はすべて落ちました。総督府も押さえております。正直、殿下に勝算はありません。
このまま押しつぶすこともできますが――ハロルド王太子殿下はお優しい方です。」
ロバートは鼻で笑った。
「大局を見ろ。王の権威は地に落ちた。
私が粘っているうちに、ハロルドの王位など消えてなくなるだろうよ。」
ワイアットは淡々と姿勢を正した。
「そうだとしても、殿下が継ぐべき王位は、最初から存在しておりません。
降伏されるのが最善かと。」
――― し ん ―――
ロバートの眉がぴくりと動いた。
槍兵が一斉に前へ出て穂先を傾け、後列の近衛が剣に手をかけた。
メルトとジョンに緊張が走る。
「不快だ。斬って捨てよ。」頬杖をついたまま命じた。
剣が抜かれる音が重なり、兵の足音が四方から迫った。
三人とも武器を持っていない。
メルトは反射的に動いた。
床に触れた瞬間、冷気が暴発し、 広間の石床に白い霜が一気に走った。
兵の足元も総督の足元も凍りつき、氷は膝下まで這い上がった。
広間に動揺が走る。
ロバートは、凍りついた足元を見下ろしながら笑った。
「……お前はこんなこともできたのだな。
やはり私に仕えろ。守るより攻める方が面白いぞ。」
「……争いごとは嫌いです。
どっちに付いたって僕は駒にすぎません。」
「駒から王になるというのもありだ。」
「メルト、裏切る気か!」
「バカワイアット、黙って!」
ロバートは短剣を抜いた。
刃に落ちた光が、わずかに揺れている。
「お前たちの思い通りにさせてたまるか。」
「総督!おやめください!」
家臣たちの悲鳴が広がる。
「私が自刃しては、ハロルドの“建国の王”は成立しない。」
父が亡くなったあの日から、ロバートは自分の行き着く先を悟っていた。
玉座を奪うか、争奪戦に敗れて自刃するか――そのどちらかだと。
そして、どうせ死ぬのなら、ただでは死なぬ。
「総督!おやめください!」
悲鳴が重なった瞬間、 ロバートは迷いなく、自らの胸に刃を突き立てた。
「ちょっと、待って!どうしてそうなるの!?」
メルトは駆け寄り、傷口に薄い氷膜を作った。
「殿下と話し合って、赦してもらって、
みんな円く収まるようにしたかったんだよ……!」
ロバートはメルトを突き飛ばした。
「ハハハ 奴の踏み台を、蹴り飛ばしてやったわ。」
氷膜が剥がれ、血が溢れる。
メルトはもう一度止血しようと駆け寄った。
ロバートが手をゆっくりとメルトに伸ばした。
その手の動きがあまりに弱々しかったので、メルトはたじろいだ。
指先が、かすかに頬に触れた。
「……少年。
力ある者が、従うだけの人生はつまらん。
お前は、誰のものでもない。」
言い終わると、ロバートの手は力を失い、静かに落ちた。
頬に触れられた感触が残ってる。その感触を確かめるように指先を頬に当てた。
頬には血がついていた。
その血はまだ温かった。
広間の悲鳴は、廊下の兵を呼び寄せた。
「敵が総督を手に掛けた!」
ワイアットが声を張りあげた。
「違う!総督殿は自害された!武器を捨てろ!」
しかし、怒りは止まることを知らない。
兵たちが雪崩のように広間へ押し寄せる。
――― 破邪の氷よ 結べ、白銀鏡!
石床の隙間を縫うように伸びた氷は、 細い茨となって壁を這いあがり、瞬く間に柱を、窓を、城門を覆っていく。
茨は、音も色も温度も、あらゆるものを飲み込み広がっていく。
氷の枝は幾重にも絡み合い、尖った結晶の花を咲かせながら広間を飲み込み、廊下を走り、階段を這い、やがて塔の頂まで登りつめた。
橋の前の王子の陣営では、望遠鏡をのぞいていた兵士が、突如現れた巨大な氷の蔓籠に息を呑んだ。
「殿下……城が……氷に喰われています。」
氷の城に足を踏み入れた王子は、凍りついた兵の向かう先を辿り、白い静寂の広間へたどり着いた。
精巧な彫像のような兵士の群れを抜けると、城主の座で息を引き取ったロバート。
その傍らで、膝を抱えて座り込むメルト。
その足下で、ワイアットとジョンが喧嘩をしていた。
三人は、王子の足音に気づいて顔を上げる。
「「「殿下、ごめんなさい!」」」




