時の花嫁と滅びの竜2
ブラックリリー公爵家は代替わりし、セオドアが新たな当主となった。
*
王はメルトに尋ねた。
「ブラックリリー公爵家の令嬢をどう思う?」
「……姉は、気が強くて、自己中心的で、怒ると怖いです。」
嘘は言ってない。誇張はしたけど。
王は珍しく声を上げて笑った。
*
近頃王都で流行るもの。
歌劇「大地の女神の祝福」
第一幕 竜災
民「王よ、か弱き我等をお救いください。」
若き王が剣を抜く。
王「この国は、わが命に代えても必ず守る!」
王は竜と戦いついに竜を討ちました。
しかし、王は深く傷つき、民もまた数多く倒れました。
第二幕
森の奥から一人の乙女が現れる。
語り部「大地は民の嘆きを聞き、自らの姿を乙女へと変えた。」
乙女は傷ついた兵に手を添える。光が広がり、兵は元気に立ち上がる。
病人、子供、老人。乙女は次々と癒していく。
最後に王の前へ。
王「あなたは誰だ。」
乙女「私は大地。傷ついた者を見捨てることはできません。」
乙女は王に手をかざし、王を癒した。
第三幕
王は跪く。
王「私は国を守る剣となろう。」
乙女は王の手を取る。
乙女「私は民を守る器となろう。」
二人は手を重ねる。
終幕
語り部
「王は大地と契りを結び、国は再び実りを取り戻した。
王が民を守り、大地が命を育む限り、この国は永遠に栄えるのです。」
幕
王都では、歌劇の王の台詞を真似る子供たちの声が響き、市井では「大地の乙女」の髪型や装いを真似る女性が溢れた。大地の女神の話なのに、なぜか、マリアが病人を癒した話が息を吹き返す。
「公爵家のご令嬢が治癒魔法を使うって聞いたわ。」
「聖女の再来が現れたらしい。」
マリアの知らないうちに空気が作られていく。
―――何よ、これ……。まったく気持ちが悪い。
*
公爵家本邸のパーラー(居間)には沈みゆく光が薄く差し込んでいた。
長年使われた布張りのソファは少し沈み、テーブルの上には冷めた紅茶が四客置かれている。
今は王宮近くのタウンハウスで暮らす前公爵夫妻と、現公爵セオドアとマリアとともにテーブルを囲んでいた。
「王宮から、ハロルド王子との婚約を打診された。」
セオドアは、できるだけ明るい調子で切り出した。
「この結婚の申し出を受けてくれないか、マリア。」
マリアは眉をひそめた。
「何を仰っているですか。私は守り人の花嫁です。」
前公爵も険しい顔になった。
「その通りだ。守り人に関することは家門の根幹だ。」
予想していたとおりの反応に、セオドアは小さく溜息を吐いた。
「ですが、今、公爵家は揺れています。王家と結びつけば、家は安定します。」
セオドアは続けた。
「この十年、守り人を王宮に出入りさせてきたのは父上です。その結果が今のこの状況なのです。」
前公爵は、戦争反対の立場から王と距離を置き、王宮への出仕を避けていた。それでも存在感だけは保とうと、幼い守り人を王宮へ通わせ続けた。
その結果、守り人は、王にまるっと持っていかれてしまった。
前公爵は今ではその判断を深く悔いている。
セオドアの苦境を思えば、強く言い返すことができない。
公爵夫人が身を乗り出し、目を輝かせた。
「そうよ。いいじゃない。 あなたには王妃冠の方が絶対似合うわ。」
「まだそんなことを言っているのか。」
前公爵は溜息をついた。そして、力なく言葉を落とした。
「守り人だけでなく、時の魔法使いまで王家に渡したとなれば…… 家門は我々を決して許さない。」
セオドアは言葉を継いだ。
「だからこそ、王家と正式に結びつくべきです。
当家を“政治の看板に過ぎない”などと言わせないためにも。」
マリアは唇をかみしめた。 胸の奥で、怒りがふつふつと湧き上がってくる。
「……嫌です。私のこの十年は、一体何だったのよ。」
マリアは立ち上がり、足早にパーラーを出た。
公爵家はまだ何の返事もしていないのに、噂だけが独り歩きした。
本邸の玄関には、見覚えのない店の箱が次々と積まれていく。
建国の王妃が傷ついた人々を思い流した“聖女の涙”を模した青い石が揺れていた。
家具屋が送ってきた長椅子には、大地の女神の象徴である麦穂の細工が施されていた。
仕立屋の礼装には、この国の象徴花カサブランカの刺繍がびっしりと縫い込まれていた。
どれも 花嫁のために整えられた品ばかりだ。
さらに、病や傷を負った人々までが門前に現れた。
聖女の再来と聞き、癒しを求めて遠方から来たらしい。
門番が必死に制しても、人の列は途切れなかった。
誰も正式な発表を聞いていない。
それでも、世間は勝手に神話をリプレイし始めていた。
*
王の下に、公爵家から内諾の返事が届いた。
王は王子に告げた。
「ブラックリリー公爵家の娘とお前の婚約が決まった。婚約発表の場で王位の継承の発表も行う。
結婚と同時に王位を譲る。お前は、建国神話を再現する王になるのだ。」
王子は咄嗟にメルトを見た。
「父上、それはあまりにも……」
王は冷ややかな視線を向けた。
「なんだ。お前は王になりたいとばかり思っていたが」
「それは、そうですが。
……はい、承知しました。」
メルトは、王が公爵家へ打診をした時から知っていた。
ハロルド王子は以前より穏やかになったし、 いろんな面でマリアに相応しい結婚相手だと思う。
セオドアとマリアが話し合って決めたのなら、 それが一番いいに決まっている。
「おめでとうございます、殿下。」
笑顔で言えた。
メルトは、王位継承の発表の時から、 王の護衛を解かれて王子付に戻ることが決まっている。
早く王の護衛から解放されたいと、ずっと思っていた。
けれど今は――もう少し、このままでいたい気がする。
*
婚約発表の式典。
迎冬祭の始まりを控えた昼下がり、謁見の間は、王の言葉を待つ貴族たちの静かな期待に包まれていた。
全国から集められた貴族たちが整列していた。
高窓から差す冬の光は柔らかく人々の肩や袖に落ち、広間全体に柔らかな空気をつくっていた。
メルトは玉座の背後に控えていた。そこからは大広間の全景が見渡せた。
セオドアの隣にはマリアが立っている。
白い礼装をまとったマリアの胸元で、深紅の石のブローチが輝いていた。
その赤は、大広間の静けさの中でひときわ鮮烈だった。
王が立ち上がると、 大広間の空気がわずかに震えた。
「王太子の婚約を発表する。」
その一言は、凪いだ水面に小石を投じたように波紋を広げた。
「今、王太子といったか?」
壇上の王子がゆっくりと降りる。儀式めいた所作に、大広間の視線がすべて吸い寄せられた。
マリアは緊張した面持ちで、しかし逃げることなく立っていた。
王子はマリアの前に立ち、まるで舞台役者のように言った。
「どうか、私の妃に」
一同固唾をのんで見つめている。
マリアは一度だけ目を伏せると、深く息を吸い込み、顔を上げた。
「その栄誉に感謝申し上げます。
しかし、お受けすることはできません。」
大広間は、誰もが呼吸を忘れたように沈黙した。
マリアの胸元の血のように赤い石だけが雄弁に輝いていた。




