時の花嫁と滅びの竜
迎春祭の儀式が終わり、東の空が白みはじめる。
メルトは礼拝堂の外で王の退出を待っていた。
離宮を抜け出して以来、王から離れるときは見張りの近衛が付いている。
礼拝堂の中で足音が止まり、扉がキィ、と音を立てて開く。
白い祭服のフィンが姿を現した。
「……おはよう、メルト。」
どこか誇らしげな声だった。
「初仕事、お疲れさま。」
朝の光が王宮の回廊をゆっくりと満たしていった。
*
今夜は、王宮で舞踏会が開かれる。
侍従たちが慌ただしく動き、王の衣装替えと同時にメルトの礼服も整えられていく。
「なんか、今日の衣装すごくない?」
宮廷礼服の上に少将位と魔法特任官を示す勲章、肩章、帯剣をしてなんだか仰々しい。
侍従のリオが小声で言った。
「今回の舞踏会は、王国の安定を演出するのが目的です。
メルティは侍従長の件で陛下をお守りした英雄ですからね。ご褒美的な意味合いもあるようですよ。」
「えぇ?ご褒美なら僕、畳1畳分でいいから個室が欲しいな。」
国王がギロッと睨む。
「不足か。いくら欲しい。」
メルトはこの世界で、ドーナツ一つ自分のお金で買ったことがない。
「いえ、十分です。」
先輩侍従のキリアンが補足する。
「今日の舞踏会は、ブラックリリー公爵閣下が療養後初めて出席されるハレの席です。
ですから、陛下は、あなた様に公爵家にいた以上の待遇を与えていることをお示ししたいとお考えなのです。」
だから公爵家は王家に不満を持つなと。
「でも、僕、簡易ベッドだよ。」
国王がまた睨む。
「何でもないです。」
メルトは王より時間をかけてキラッキラに整えられた。
*
夜になった。
ホールに足を踏み入れると、歓談していた貴族たちの声がすっと止んだ。
天井は高く、絵画が一面を覆っている。天井と壁の灯は白い石膏の壁と磨かれた木床に淡い反射を落とし、 二階バルコニーからは音楽が静かに降ってきた。
王族が大広間奥の王族席につくと、舞踏会の開会が告げられた。
王と王妃が、始まりのメヌエットのステップを踏む。
王族席に残ったメルトとハロルド王子は、 前を向いて姿勢を正したまま、小声で言葉を交わした。
「陛下が踊ってる。」
「一曲くらい踊らないと母上が拗ねてしまうからね。
君のところの公爵夫妻もいるじゃないか。夫妻も仲がいいのだろう?」
メルトは、公爵夫人が折に触れて語っていた二人のロマンチックな昔話を思い出した。
そして同時に、公爵家を出た日に、夫人がマリアに向けて言った言葉を思い出した。
――私、本当は、あなたをくれてやることだって納得いってないの。
「……えぇ。理想の夫婦です。」
「ねぇ、デビュタント席を見てみなよ。あれ、マリア嬢じゃないかな。」
後方のデビュタント席には、白いイブニングガウンに長手袋、髪を花やティアラで飾った少女たちが並んでいて、その最前列に、マリアの姿があった。
「ほんとだ。そっか、姉さまも社交界デビューするんだ。」
王子は呆れたようにメルトを振り返る。
「他に言うことがあるだろう。いつもより綺麗だとか、似合ってるとか。」
「うん、みんな可愛いらしいね。」
王子はため息を飲み込み、マリアへ視線を移す。
大きなガーネットのチョーカーとイヤリング。 高くまとめた髪には同色のラナンキュラスと白いスイートピー。 白ばかりの中で赤は一際目を引き、 八重咲きのバラのようなラナンキュラスが、まるで「私を見て」と言わんばかりに主張している。
それなのに、本当に見てもらいたい相手には届いているのかいないのか。
「……報われないな。」
王子はメルトを残念そうに見つめた。
メルトはその言葉を聞こえなかったふりをして、視線を中央へ戻した。
「……マリア嬢は、育て方を間違えたな。……まあ、彼女だけではないけど」
王子はほんの少し眉を下げた。
王が席に戻ると、式武官がデビュタントの名前を読み上げる。
「ブラックリリー公爵閣下のご令嬢、レディ・マリア!」
マリアは公爵とともに国王の前へ進み、美しいカーテシーをした。
「うむ。」
王は短く答えた。
公爵が一歩進み出て、よく通る声で言った。
「娘のマリアです。
陛下。先のお約束どおり、娘のファーストダンスの相手に、陛下の魔法特任官をお戻しいただけますと幸いです。」
メルトは、不意を突かれたように瞬きをした。
――魔法特任官って……僕か。僕しかいないか。
「許す」王の声もまたよく通った。
広間の空気がざわざわと揺れた。
王は振り向くことなくメルトに言った。
「これで文句はなかろう」
すぐには意味がわからず、メルトは首を傾げた。
少しして気がつく。
――これが、ご褒美ってこと?
思わず笑みがこぼれた。
「ありがとうございます、陛下。」
続くデビュタント紹介を浮足立った気持ちで眺めていた。
その華やぎの中で、ふと胸に影が差した。
――僕なんかが、マリアと踊っていいのかな。
一通りデビュタント紹介が終わると、公爵がマリアを連れてメルトのもとに来た。
「元気でやっているか。」
「はい。お気遣いありがとうございます。その……公爵様もお元気そうで、よかったです。」
「君のおかげだ。マリアを頼む。」
「本当に僕が姉さまのデビュタントの相手でいいのでしょうか。」
公爵が軽く笑った。
「君はたくさんのものを持っている。もっと自分に自信を持ちなさい。」
メルトは、胸の奥に浮かんだ言葉を、そっと飲み込んだ。
「……ありがとうございます。」
マリアに視線を向けると、期待の込もった目でメルトの言葉を待っていた。
――ダンスはね、男の子から誘うものよ。その時だけはその子だけの王子様になったつもりで、できるだけスマートに誘いなさい。
昔、公爵夫人が、そう教えてくれた。
ちゃんとしなくちゃ。
「姉さま。ファーストダンスを僕と。」
メルトが手を差し出した。
マリアは、この時のために、自分のデビュタントを二年延ばした。
ふわりとほどけるような笑みを浮かべ、そっとメルトの手を取った。
二人はゆっくりとホールの中央へ向かう。
みんなの視線が集まるのが分かった。
「あの若さで陛下のお側に仕えているとは、さぞや優秀なんでしょうな。」
「見目麗しいですから、そちらの方で寵愛されているのでは、との噂もございます。」
「冷酷無比な魔法使いだそうだ。でも子爵は子爵。公爵令嬢の相手としては、どうなのだろうね。」
「マリア様、とってもお綺麗ね。やっぱり恋は女性を美しくするものね。」
「恋?でも、婚約者はまだ決まっていらっしゃらないはずですよ。
公爵家は、どう考えていらっしゃるのかしら。」
「このエスコートが答えでは?」
「どうかしら。公爵家もいろいろ問題があるわよね。
マリア様は治癒魔法を隠していて、しかも、助けを求めてきた瀕死の重病人を追い返したとか。
貴族の社会的責任と義務をどう考えていらっしゃるのかしらね。」
ささやきは、褒め言葉と悪口が入り混じり、心無い言葉が胸にグサグサ刺さって、メルトの足取りが重くなった。
すると、マリアが不敵に笑って言った。
「メルティ、みんな、あなたに釘付けね。」
さすが貴族の鏡。その精神構造は見習うべき。
「僕かな?姉さまじゃない?」
軽口を返すと、
「じゃぁ、二人ともってことにしておきましょうか。」
二人で顔を見合わせて笑った。
それから、周囲のざわめきが遠くなった。
公爵は、二人がホールの中央に立ったのを確認すると、静かに王へ向き直った。
「陛下、このまま少しお話ししてもよろしいでしょうか。」
「うむ。」
「……あの子を返していただくわけにはいきませんか。」
王は目を細めた。
「その話なら、せんぞ。」
公爵は肩をすくめ、わずかに笑った。
「冗談です。――私は、そろそろ引退しようかと考えております。」
王は目を見開いた。
「ど、どうした急に。まだ、そのような年ではないではないか。」
「いろいろありましてね。幸い、息子のセオドアは優秀です。 本人は法曹院に進みたかったようですが、公爵家の当主には要らぬ長物でしょう」
王はしばし公爵を見つめ、静かに息を吐いた。
「そうか。余と公爵は犬猿の仲ではあったが、そなたがいなくなるとは寂しくなるな。」
公爵は苦笑を浮かべた。
二人の間に、ゆるやかな沈黙が落ちた。
その沈黙を破るようにワルツが始まった。
音楽がホールに満ちると、メルトの体は自然と拍を刻み始め、マリアは軽やかに合わせる。
スカートの裾がふわりと広がり、光を受けて柔らかい影を床に落とした。
「なんで踊れるのよ。練習した?」
「全然。姉さまのリードがうまいからじゃない?」
マリアが小さく笑う。
「二人でリードの取り合いをしたこと、覚えてる? 私たち、あの頃と何も変わらないわね」
「そうかな。今日の姉さまは、とってもきれいだよ。」
ホールのぼんやりとしたオレンジ色の光の中で、大粒のガーネットは紫にも黒にも見えて、初々し白を身に着けていても、落ち着いていてマリアらしい。
「何よ、突然。」
マリアが顔を赤くして俯き、ステップが狂ってメルトの足を踏んだ。
「今のはメルティが悪い!」
「ははは、本当のことを言っただけだよ。」
「完璧令嬢、完璧令嬢。集中、集中!」
次第にリズムを取り戻し、 二人の刻む拍が噛み合う。
クルクル、クルクル。
まるでオルゴールの上で踊る人形のように円を描いてホールを回った。
やがて音楽は最高潮に達した。
ターラ ターラ タン
ジャカジャン ジャン ジャン ジャ――ン
「楽しかったね。」
「ええ。とっても。」
二人は笑い合い、静かにお辞儀をした。
メルトは王の後ろに戻った。
音楽は続き、ホールは煌めきを深めていく。
王は貴族の挨拶を聞いている。何か考え事をしている様子で、ただ短く返事を返すだけった。
何の曲かわかるかな。




