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倒れた小瓶3


 主席書記官アラステアは、独自の調査を開始した。そして侯爵領内で側妃の主治医を突き止め、医療監察の名目で正規の手続きに則り、診療記録の提出を求めた。その後、侯爵家にも側妃の病歴の提出を要請した。

侯爵家の申告書には、「幼少期に軽度の喘息があったが、適切な療養により改善した。咳が続いた時期もあったが、結核の可能性は低く、後遺症もない」と、整えられた文言が並んでいた。

一方、主治医の診療記録はまったく異なる。

五歳で中等度の喘息を発症し、六歳で肺結核の疑い濃厚。七歳の時点で呼吸器疾患は慢性化し、回復の見込みは乏しいと判断。家族の意向で山の療養小屋へ移された。「以後の診療は不要」との申し出により、主治医としての診療はそこで終わっていた。

あまりにも違いすぎた。

「念のため、主治医に現在の側妃様のご様子について意見を求めましたところ

――裏山に移された時点で看取りだと思っていた。それが今では健康で、しかも出産までされたとは、まるで奇跡だ、と申しておりました。」

「ほう。奇跡か。」

「さらに興味深い報告がございます。」

アラステアが眼鏡のつるを押し上げる。レンズが鋭く光った。

「主治医から、側妃様の乳母だった女性の名を聞き出せました。マルタといいます。内偵がそのマルタと接触したところ、側妃が山小屋に移されるのを機に職を辞したとのことですが、当時の側妃様のご印象は――“おっとりした可憐な少女”だったと。」

「はっ。お、おっとりして可憐?だ、誰の話だそれは。コーマック、お前は知っているか?」

補佐書記官コーマックは肩をすくめ、わざとらしく言った。

「山の療養小屋に行ったら、終末期の病が治る奇跡が起きて、性格は別人のようになって帰ってきた……。実に興味深い話です。」

もし別人だとしたら……。

―― 祭司様に、似ていますね。

王は、メルトが赤子に対して呟いた一言を思い出した。

バカな。あの男は、私が引き上げてやったのだ。

……いや、この世は裏切りと計算で満ちている。信じられるものなど端からないのだ。

「側妃の身辺を探れ。」

「かしこまりました。」

 メルトは、本物のカタリナが露見するのも時間の問題だと悟った。

側妃の替え玉というのは、どんな罰になるんだろう。カタリナも捕まって、一緒に処刑なんてことに……そんなの絶対にダメ。だったらどうしたらいい?

カタリナが自分で侯爵家の罪を告発するとか。ううん。そんなこと、できるわけない。カタリナは家族のことを誇りに思っているんだから。だったらどうしたらいい?

僕には、公爵様を救ってもらった大恩がある。―― 僕ならカタリナとオスカーをどこか遠くへ逃がすことができる。

メルトが自由にできる時間は、王が正妃の離宮にいる間だけ。その日は三日先になる。その間にカタリナが見つからないことを祈るばかりだ。二人をどこへ逃がそうか。妖精と一緒に暮らしていけるところとなると、まず思いつくのが守り人の谷。でも、カタリナの生活は兄の援助を受けていると言っていた。完全なサバイバル生活は難しいかもしれない。だったら……メレオロイデス教会。ローズだ。

メルトは王の離宮行きを待ちわびた。

 メルトは王を離宮に送り届けると、すぐにトネリコの木へ向かった。離宮の門を出ようとした瞬間、 近衛がすっと前に出て、行く手を塞いだ。

「少将様、どちらへ?」

頭が真っ白になり、服の上から首飾りのペンダント部分の指輪を無意識に弄んだ。

「えっと……落とし物をしたかもしれなくて。」

近衛が瞬きをした。

「落とし物、でございますか?」

「そ、そう。両親の形見の指輪を首飾りにしていたんですけど、無くて。」

近衛は心配そうに顔を曇らせた。

「それはお気の毒ですね。どこら辺で落とされたのですか?」

「その……たぶん、ここへ来る途中だと思います」

王は離宮と王城を馬車で移動している。それほどの距離がある。

「では、私も一緒に探します。どのような指輪ですか。」善意の塊。

「そ、それは困ります。」

近衛が怪訝そうに首を傾げた。

「コホン。私のせいで警備に穴をあけるわけにはいきません。どうかお仕事を優先させてください。」

「……承知しました。なるべく早くお戻りくださいね。どうぞ。」

少しだけ良心が痛むが「ありがとうございます!」メルトは足早で離宮の門から離れた。

 トネリコの木が風に揺れているのが見えた。 周囲に人影がないことを確かめ、 「フルドラ、フルドラ……ここを通して」

幹を軽くノックすると、 幹の表面がファスナーを下ろすようにすうっと裂け、 懐かしい公爵邸の匂いがふわりと流れ込んだ。

とたんにフルドラのお小言が始まる。

「君さあ……。 何も言わずに出て行ったくせに、 こういう時だけ“フルドラ、フルドラ”って呼ぶんだよね。ほんと、扱いが雑」

メルトは息を整える暇もなく言った。

「ごめん、フルドラ。今は時間がないんだ。 お説教はまた今度にして、ね?」

フルドラは大げさにため息をつく。

「“今度”って、どうせまた忘れるんでしょ。君、そういうとこあるからね。僕は都合のいい時だけ呼ばれて、都合よく黙らされて、都合よく使われるんだよ」

文句を言いながらも、裂け目を広げる。

「……ほら。 通れば? どうせ断れないって分かってるんでしょ」

「ありがとう、フルドラ。ほんと大好き。」

「もう……ほんと、質が悪いんだから」

 光の向こう側に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。およそ半年ぶりに公爵邸に帰って来た。いつもの三つ又の枝に立ち、公爵邸を見渡すと、青々と茂る葉の隙間から、以前と変わらない景色が見えた。公爵様が回復したという話は聞いていたが、坂の下まで続く来客の列はその証だろう。マリアの部屋も、以前のまま。今にもドアが開いて石段を下りてきそうだ。感傷的な気分に浸りそうになって、慌てて首を振った。今はそれどころじゃない。

「妖精オスカーのいる野原へ」メルトはフルドラに命じた。

「はいはーい。」フルドラは不服そうに返事をした。

公爵の執務室。

白髪の老人エルディン・ディスポルムは、公爵の書斎机に封書の束を置いた。

「遠路遥々、家門の皆様方からの直訴状を持って来ましたぞ。」

声が大きく、部屋の空気が震えた。

数通目を通せば、

「守り人を王に取られたのは公爵家の怠慢だ」

「そもそも谷から出したのが軽率だった」

「どう責任を取るつもりか」 どれも責め立てる内容ばかり。

エルディンは手近なソファにドスンと腰を下ろした。 斜向かいには、公爵夫人が手を膝の上で固く組んだまま俯いて座っている。

「守るべきものを守れんかった落とし前はどうつけるつもりか、きちんとした答えを示してもらわんと帰るわけにいかん。」

公爵は返答に困り、沈黙した。

「儂はな……メレオロイデス教会から北領の館まで、あの子と旅をした十日余りが、初めて孫と過ごした時間じゃった。夜は火を焚いて眠らせ、朝は小鳥を見せて笑わせた。 あれは……儂の人生で、二度とないと思っとった。」

老人の声が震えた。

「こうしたのはお前さんたちじゃないか。それなのに王に渡すとはどういう了見か。

……こんなことなら、儂の家に連れて帰ればよかった」

エルディンはテーブルの脚を杖でカッカッと叩いた。夫人はびくりと固まる。

「余所者のあんたは知らんかもしれんが、守り人こそ家門の誇り。お前さんたちなど政治の看板にすぎんわ。勘違いするでないぞ。」

エルディンは背をソファに預け、 杖を膝に置いた。

「さて―― 答えを聞かせてもらおうか、公爵様」

逃げ場のない沈黙だけが、 重く積もっていく。

 庭のトネリコの木の葉擦れの音が、やけに大きく聞こえた。マリアは胸騒ぎを覚え、窓を開けた。古木が全身で揺れている。フルドラだ。メルトがいなければ姿を見せない精霊が、まるで何か伝えたいことがあるかのように枝を震わせている。マリアは急いでトネリコの木の下へ向かい、メルトがいつも寝そべっていた三又の枝を見上げた。しかしメルトの姿はない。でも、微かに香りが残っている。マリアの知らない、どこかよそゆきの香り。けれどその奥に、ほんのわずかにメルトの匂いが混じっている気がする。

――メルティが帰って来た。

もしかして私に会いに来てくれた?それとも、どこかに行く途中だった?もし、どこかに行く途中なら、もう一度ここを通るはず。

三又の枝を見上げていると、背後から声がした。

「お嬢様」

振り返ると、侍女のメアリが困った顔で立っていた。

「キャロライン・バガンザ伯爵令嬢がいらっしゃって…… その、おじい様のご病気を治していただけないかと仰っております。」

キャロライン嬢。マリアが主催するメルティを愛でる会の副会長だ。恥ずかしがりやで、いつも必要以上にマリアに気を遣っていた子。そんな子までも。

私はメルティみたいに無限に魔法が使えるわけではないのに。

「嫌!もう嫌なの!聞きたくない。 結局みんな同じよ。自分の大事な人のためなら、 私が壊れても構わないのよ。もう帰ってもらって!」

メアリが去ったあと、 マリアは胸に手を当て、震える声で呟いた。

「メルティ……会いたいよう。」


貴族は国政構造に三つの仕方で同時に関わる。1不入権を持つ土地領主として、2グラーフ(官僚)として、3レーンを保有する封臣として。(「ヨーロッパ法制史入門」より)レーンとは王から軍事的義務と引き換えに与えられた土地です。

 今回のお話で問題になるのは1との関係です。これを側妃の健康に関する宮廷内の問題として王宮の管轄内の問題ということにしました。 こういうことってみんな気になりますよね。ね?


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