聖女発覚12
次の日の朝
「おはようございます。」メルトは寝不足気味で食堂に入った。
「「おはよう。」」心なしか機嫌のいいマリアといつも通りのガイアス。
メルトは昨夜のことを何か言ってやろうと思ったが、ルルがメルトを追い抜いて、さっさっと自分の席に着いた。
惚れ薬は案外大した効果がないのかもしれない。
ほかほかと湯気の立つミルク粥と、少々不格好なオムレツ、ソースのかかった白身魚の香草蒸し、チーズと苺とナッツの入ったサラダが並んだ。
「ねぇ、このオムレツ私が作ったのよ。」
マリアが得意気に言った。
料理は北領生活が暇すぎてマリアが始めた趣味で、もちろんメルトも強制参加させられている。
「ありがとう。すごくいい匂い。」
「この魚は、今朝そこの川で釣ってきたんだ。」
ガイアスが得意気に言った。
「今度僕にも教えて?」「もちろん。」
メルトはオムレツを一口パクッと口に入れる。
「おいしい。」
うれしそうに微笑むマリアを見て、「今度は僕が何か作るね。」というと「楽しみだわ。」と返って来た。なんかいい雰囲気。
「あぁ、そうだ。少々ワイズマンのところに帰る用ができたから、フルドラを貸してくれないか。」
ガイアスは川辺でトネリコの木を見つけた。
転移魔法の魔法陣を作るよりフルドラを使った方がずっと早い。
「ということは、王都に戻るのね。」
「姉さまも行く?」
「久しぶりにお父様とお母さまにお会いしたいわ。」
本邸に行けば、ガイアスが戻ってくるのを待つことになるので、メアリもルルも連れて行くことにした。メアリが初めてのフルドラに興奮している。
取り敢えず定員オーバーなので、ガイアスとルルを先に行かせ、ガイアスにはそのままワイズマンのところに行ってもらうことにした。
メルトはマリアに手を差し出した。
「ほら、手。離すと迷子になっちゃうよ。まぁ、僕も離さないけど。」
冬の薄い日差しが雲の切れ間からこぼれた。
光が一筋落ちて、メルトの輪郭を淡く透かした。
*
メルトたちは本邸のトネリコの三又に出た。北領みたいな肌を刺すような冷たさはない。
眼下に広がる家々の屋根には薄く雪が積もり、朝日を受けて、街全体が薄いヴェールを被ったように輝いている。
視線を丘の下、公爵邸に続く坂道に移すと、いつもと様子が違った。
もともと人の出入りの多い邸ではあるが、服の色からするに王宮の近衛と歩兵、騎兵と公爵家の警衛が向かい合い、それを多数の野次馬が見守っている。
「……姉さま、戻りましょう。なんだか……嫌な感じがします。」
マリアの腕を掴んだ。
「お嬢様、そういたしましょう。」メアリも促した。
マリアは坂下をしばらく見つめていたが、
「分からないからこそ、確かめに行くのよ。そぅれっ!」と木からジャンプした。
メルトは慌てて雪のクッションを敷く。
「姉さま、なんてことするんですか!」
「だって、何かあったら、あなたが助けてくれるはずだもの。」
当然でしょっと言わんばかりの顔をした。
*
邸の中は、外の様子が嘘のように静かだった。
マリアは首を傾げ、公爵夫人の部屋に向かった。
「あぁ、あなたたち。戻って来てくれたのね。」
公爵夫人は少し疲れて見えた。
マリアは夫人を気遣いながら何が起きているのか尋ねた。
夫人はマリアが北領に向かった後のことを話した。
公爵は王子と国王を和解させた。王子は王宮に戻り、公爵も本邸に戻り、すべてが元通りになったと安心していた。
「最初はね、陛下からフェリクスに、メルティは本来国王の直属なのだから、成人してもいい年になったのにうちが囲っているのはおかしい、引き渡すようにとお話があったの。
でもあなたはまだ14歳じゃない?だからフェリクスは、まだ早いと申し上げたの。
そうしたら突然邸に兵が来て、あなたを、ハロルド王子殿下を教唆し国内を混乱に陥れた疑いで拘束すると言ってきたの。
加えて、うちがあなたを隠していることも王家に対する裏切りだと言うのよ。言掛りもいいところよ。
世間は、うちがどんな極悪人を囲っているのかと興味深々だわ。」
「そうとは知らず、申し訳ありません。」
「だったら……だったら、どうにかしてくれないかしら。あなたが王宮に行けば済む話よ。」
「お母様、何を仰っているの?お母様もこの家の成り立ちをご存じのはずです。
メルティを守るのは当家の責務ではありませんか。」
「それはわかっているけど、私は公爵家だって守らなくてはいけないの。
当家は序列第一位の貴族家ですよ。」
「どうなさったの、お母様?
お父様が国璽を持って北領に行かれた時には、あんなに毅然としていらしたのに。」
「あれは国の一大事よ。フェリクスのしたことには大義があったじゃないの。
だけど今回はどう?なんでこんな子一人のために。納得いかないわ。
……私、本当は、あなたをくれてやることだって納得いってないの。」
もっともだと思う。僕はもう十分よくしてもらった。
「ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。」
「メルティ?」
「姉さま。またルルをお願いします。」にこっ。
「待って!」
声が背中に追いすがった。
公爵邸の門前は混乱していた。
王宮の兵が先にメルトを見つけ、 ざわりと槍先が一斉に向けられた。
遅れて、公爵家の警衛が振り返った。
その一瞬の“隙”を、王宮の兵は逃さない。囲みは破られた。
「いけない!」
公爵は反射的にメルトの前に飛び込んだ。
ドンッ。
鈍い衝撃音とともに、 槍の穂先が公爵の胸を貫いた。
「嫌ぁぁぁぁっ!!お父様!!!」
マリアの絶叫が石畳に響き渡った。
「公爵様!」
メルトは公爵を抱きかかえた。
兵士がメルトに手を掛ける。
メルトは弧を描くように氷柱を飛ばした。
「待って、僕は逃げないから!」
黒いコートに触れた手が血で染まっていく。
マリアが駆け寄り「傷口を見せて、早く!」と急かした。
時魔法を使うつもりだ。
「姉さま、ここではダメだ。」
「一刻を争うのよ。お亡くなりになってしまっては、私でもどうにもできない!」
時間が経つにつれてマリアの負担も重くなる。従うしかない。
メルトは急いで公爵のコートのボタンをはずし、ベストのボタンを外し、シャツのボタンを外した。
マリアは一瞬気が遠くなる思いがしたが、唇を固く結び、傷口に両手を当てた。
ザザッ
ほんの一瞬公爵の体が映像障害のようにぶれた。
傷は塞がり、流血すら元に戻っている。人々は奇跡のような光景に騒めいた。
「お父様、お父様!」
マリアが呼びかけた。
「何故来た?……自分の立場を弁えなさい。」
公爵は肩で息をしながらメルトを咎めた。
傷は塞がったのに治っている感じがしない。
「おかしいわ。どうして元通りにならないの?時を戻したのに何故?」
「毒?」
体は元に戻るけど、体内に入った異物は取り除けない。僕が妖精飯を食べたときもそうだった。
「侍医に見てもらいましょう。」
公爵家の警衛が公爵の体を抱えた。
まだ邪魔をしようとする王宮の兵にメルトは言った。
「今日一日ください。一日くれれば明日には出頭します。」
「罪人の言葉を信じろというのですか。」
「まだ罪人と決まったわけではないでしょう?
僕にとって、あなた方を消すことは造作もないことです。
だけど、あなたたちは陛下の駒でしかない。僕はあなた達のために言っています。」
かつてないほど冷ややかな物言いのメルトに、兵士たちは逆らえなくなった。
*
公爵の寝室で侍医が診察をした。
毒には違いないが何の毒かまではわからず、手の打ちようがないと言った。
夫人もマリアも皆が泣き崩れた。
どうすればいい?
メルトには聖女ローズのことしか思い浮かばなかった、トネリコの木を通って、もう一度教会に行くことにした。
*
この時間、ローズは既に仕事中のはずだ。
でも、メルトがいた頃は教会の正面を国王軍が塞いでいた特殊な状況だったからで、もしかしたら女子寮にいるかもしれない。
「ローズ!どこにいるの?」
大きな声で叫んだ。
「あら、ダーリン。会いに来てくれたの?嬉しい♡」
ローズが湖の方から顔を出した。
嬉しくてうっかり涙がでてきた。
メルトが事情を話すとローズは言った。
「もし、私があなたの願いを聞いて公爵様を救うことができたら、
私の願いも一つだけ聞いてくれるかしら。」
「願いって何?」
聞かなくてもわかる気がするが。
「その時まで内緒。救えるかわからないもの。」
ローズは魔法を使うわけではない。
「そう。ただ、明日には王宮に出頭することになっているんだ。
その後どんな処分が下るかわからない。それでもいい?」
「誠実ね。そんなところも大好きよ。
その後で構わないわ。私、十年も待っていたの、少しぐらい延びたって平気よ。」
約束に約束を重ねて、どうなるのかさっぱりわからない。
もうどうにでもなれとローズの手を引いてトネリコの木を潜った。
*
ローズが部屋に入ると公爵夫人がヒステリックに怒り出したが、もう無視だ。
「ローズ、どう?」
「うーん」
胸のあたりの皮膚が、 わずかに黄色がかって見えた。
「……黄変している」
侍医が驚いたように顔を上げた。
「黄疸ではありません。肝臓は正常です。 これは……説明がつかないな。」
ローズは公爵の瞳を覗き込んだ。 瞳孔が揺れ、焦点が合っていない。次に、手首を取り、脈を確かめる。 一拍、二拍、そして突然の空白。
「……脈が飛んでいる。」
「心臓の病はありませんでした。」
「そう。心臓そのものの病なら、こんなに急な悪化はしないでしょう。」
公爵の指先を持ち上げた。爪の下が、わずかに青く染まっている。
呼吸は浅く、脈だけが乱れている。 視界が揺れて光をまぶしがる。そしてこの黄変。
「……これは、民間で『狐の手袋』と呼ばれる毒草の症状です。」
侍医は眉を顰めた。
「貴族の家ではまず用いません。だからあなたが知らなくても無理はない。」
「じゃぁ、解毒剤は?」
「残念だけど、無いわ。狐の手袋はもともと毒草じゃないの。民間に伝わる強心剤。つまり量の問題。」「だったら自然治癒もありうるってこと?」とメルト。
ローズは首を横に振った。
「自然治癒する範囲を超えているわ。」
公爵夫人とマリアが悲鳴を上げた。
でも、諦めるわけにはいかない。
「ローズ、僕と一緒に来て!」
メルトはローズの腕を引いて、もう一度トネリコの木を通った。
*
ローズの知らない山の中に出た。
「まるで愛の逃避行ね、素敵♡
ところで、ここはどこ?」
メルトはローズを引っ張りながら答える。
「どこかは僕もよく知らない。マニサ侯爵家の製薬会社の裏手らしい。」
妖精オスカーに会いに来た。
野原の端っこにぽつんとある、可愛らしい家の玄関扉をノックした。
カタリナが返事をして、扉が開いた。
「まぁ、メルティ。お久しぶりね。大きくなって。
あら?もしかして彼女を紹介しに来てくれたのかしら。」
おっとりとした調子でにこやかに話す。
「そうなの!メルティの恋人のローズです♡よろしく。」
「まぁ素敵。」
そんなことより、「オスカーはいる?」
「ええ、いるけど。」
LDKに入るとオスカーは皿洗いをしていた。
「おう、悪僧坊主。また湿気たツラして、今度はどうしたんだ?」
メルトはオスカーに駆け寄り、両腕を掴んだ。
「僕の養父の公爵様が毒で倒れた。お願い、助けて。」
「毒って言ったって、色々あるだろうが。」
ローズが代わりに説明した。
「なるほど。だが、その解毒剤は、この世界にあるものでは一朝一夕に作れないな。」
「そこをなんとかお願いします。神様仏様オスカー様!」
オスカーはまんざらでもない顔をする。
「仕方がないな、ちょっと待ってろ。」
そう言うと、七色の鱗粉を撒き散らして消えた。
「ここで、こうしていても仕方がないわ。みんなでお茶でもしましょうか?」とカタリナ。
「賛成!」とローズ。
カタリナは心を落ち着ける効果のあるお茶を二人に振る舞った。
カタリナとローズはおしゃべりが弾むが、メルトにそんな余裕はない。
――― 二人はどうやって、知り合ったの?
――― 実はかくかくしかじかで。
――― まぁ!運命の再開ね。なんてロマンチックなのかしら。
小一時間ほどでオスカーは戻って来た。
「メルト、喜べ、蒼脈石が見つかったぞ。」
何の変哲もない石をテーブルの上に置いた。
「石?」
「まぁ見てろ。」
オスカーは石を両手で包み、そっと息を吹きかけた。
石はまるで心臓のように鼓動を始め、血管のような青い筋が鼓動に合わせて光った。
三人は目を見張った。
オスカーが金槌で石を砕くと青い火花が散った。飛び散った粉は淡く光り続けている。
ローズが興味深く見つめていると、
「お前、製薬の知識もあるんだろう?少し代わってくれ、これはなかなか力がいるんだ。」
そう言って石臼を渡した。ローズは喜んで引き受け、乳鉢でさらに細かく砕いた。
「カタリナ、月露を持ってきて。」
カタリナは窓辺から薬瓶を一つ持ってきた。
瓶を凝視するローズに説明した。
「妖精は月光で力を回復する。故に月光を浴びた露は我等の薬だ。」
わかったような、わからないような。
オスカーは砕いた蒼脈石を月露に混ぜ、薬液の上澄みだけ掬い取った。
「できた!」
オスカーはローズに使用方法を伝えた。
「ありがとう、オスカー。なんてお礼をいっていいかわからないよ。」
「そんなのはいいから、早く飲ませてやれ。」
オスカー大好き。
篤いハグを交わしてメルトとローズは公爵邸に帰った。
*
ローズは侍医に青い液薬を見せ、小さじ1杯分を蜂蜜にといて飲ませるように指示をした。
当然、侍医も公爵夫人も訝しむ。
「このまま放置すれば、どうせ死ぬのよ。」とローズ。
「まぁ、なんてことを仰るの!」と公爵夫人。
「いや、しかし、このままでは公爵様は夜を越えられないかもしれません。」と侍医。
折角解毒剤を手に入れたのに。
「公爵夫人、この家には僕の友達のフルドラもルルもいます。
誰もこの家の人を傷つけてないでしょ?
だから、僕の友達の妖精のことも信じて?」
メルトは泣きそうな顔で懇願した。
それでも公爵夫人は決められない。
すると公爵が言った。
「グレイシー・・・よい。・・・飲む。」
侍医は公爵に薬を飲ませた。
みなで公爵の容態を見守り、一時間ほど経つと容態に改善が見られた。
「ありがとう、ローズ。」
メルトはローズを外に連れ出した。
「ローズのお願いって何?」
ローズは、これは私が公爵様を救ったと言えるのかしら?と首を傾げた。
それなのに律儀に約束を守ろうとするダーリンはなんて健気。
「うーん、何にしようかな。一つだけってのが難しいのよね。
王様の用事が済むまでに考えておくわ。」とはぐらかした。
その気遣いがメルトにはちゃんと伝わる。
「そうか。考えておいて。じゃぁ、送るよ。」
トネリコの木を通って、教会の林の中にローズを帰した。
「ダーリン、ハグして。あ、これはそのお願いじゃないからね。」
メルトは思わず笑ってローズとハグをした。
★
トネリコの木からぴょんと飛び降りた。
さて、次は自分自身に始末をつける番だ。
公爵夫人にあのように言われ、公爵様に瀕死の重傷を負わせて、流石にこれ以上の迷惑はかけられない。こんなことなら、最初から王様の言うことを聞いておけばよかった。
剣に毒が塗ってあったということは、僕を始末するつもりなのだろうか。
出頭したらそのまま処刑ということもありえる。
「あぁ、今世も短かったな。来世はもっと楽な人生がいいな」
ルルが足元にすり寄ってきた。
「あぁルル。僕、もう戻って来られないかもしれない。お前のことをどうしようか。」
僕が戻らないのにルルだけをこの家に残しておくわけにはいかない。
森に返す?
今更自然に返して、ルルは一人で生きていけるのかな。
ガイアスに預ける?
ガイアスはいつ帰って来るかわからない。ワイズマンのところにはワイズマンの聖獣がいる。
「本当にお前をどうしようか。」
ルルの首に抱きつき、ぎゅぅうっと抱きしめた。
「ミャーオン。」
メルトに応えるように鳴いた。
ルルの足元から、 白い光がふわりと立ち上がった。
驚いて腕を緩めた。
ルルの身体が、光の粒へと解けていく。
「えっ、どうして?嫌だよ。待ってルル?ルル!」
もう一度抱きしめようとしても、もう掴めない。
毛並みが、輪郭が、声が、すべてが柔らかい光に変わって、フッと消えた。
「ルル、ルルが!」
涙がこぼれそうになった時、メルトの右手の甲が光を放った。
手の甲に六角形の雪の結晶の紋様が浮かび、結晶の中心に、丸くてふわふわした猫のシルエットが現れた。
「ははっ、ルル、こんなところにいた。馬鹿だな。僕と心中する気?」
「ミャーオン!」
猫の紋章が返事をした。
「ありがとう。僕、お前がいればどんな暗闇も怖くないよ。」
メルトはそのまま坂道を下りて、王宮の兵士にその身を預けた。
少し長くなりましたが、この章はこれで終わります。少々話半ばですが、全体としてメルティの話なので仕方ないですね。
狐の手袋はホームセンターでも売ってます。ジギタリスと言います。容易に毒の抽出ができないので簡単に購入できるのでしょう。だからって食べたりしないでくださいね。食べたくなったら、まず「いのちの電話」に電話をかけましょう。




