聖女発覚6
湖水が立ち上がり人型を形作り、美しい女神の姿になった。腕にメルトを抱えている。
「供物じゃないのか?」
「違うよ。それに、ママ、人身御供は要らないって前に言ったよね?」
「運命を感じた気がする。だが、私のものあるお前がこの子と魂で結ばれているのなら、それは結局私のものということで、決め事のとおりだ。」女神は妙な納得をした。
湖岸に上がり、朦朧としているメルトを柔らかな草の上に横たえた。
「呼吸が弱いな。早く手当をしたほうがいい。」湖の女神は治癒の神である。
「どうしよう、女子寮には連れていけないし、男子寮には私が入れない。事務局に誰かいるかな?」
「それでは遅い。この子の体に息を吹き込むくらい、ここですればいいだろう?」
「人工呼吸!?」女神はローズに様々な治癒の知識を与えていた。
ローズはメルトの唇を見た。唇は血色を失い、ヒューヒューと音が漏れている。
「あちらの世界に連れて行ってもいいということか?」女神が怪訝そうにローズを見下ろした。
「それはダメ。私がちゃんとする。」
これは治療。全然やましくなんかない。ローズは女神のガイドに従って、メルトの口に息を吹き込んだ。
「・・・ありがとう。」メルトが言った。
受け答えができるのは良い兆候だ。ローズは一先ず安心した。だが、すぐには動けないだろうとメルトの体の様子を見た。濡れそぼった服のせいで、意外にも均整のとれた体が透けて見えた。ドキッとして慌てて立ち上がる。
「さ、寒いでしょう?小枝を集めて来るから魔法で火をつけてよ。」野郎の裸なんて腐るほど見てきたのに、おかしいな。
「・・・何で知っているの?」頼りない声が返って来た。火魔法を見せた覚えはない。
「昔、私を助けてくれたでしょ?覚えてない?」
メルトは明らかに考え込んでいる。やっぱり覚えてないのだと少し寂しく思う。
「昔、北の公爵領のミラで、あなたは私を人身売買組織から助け出した。それなのに、私はあなたを自分のいた孤児院のある教会に連れて行った。私を売ったのも、あなたを買おうとしたのも、私が懐いていた祭司だったのに。あなたにとっては忘れたい過去だろうけど、私にとっては、やっぱり忘れられないな。」
メルトは、公爵家に引き取られてすぐの頃に、誘拐されて、助けを求めた先の教会を火魔法で半壊させたことがあった。記憶の中で、松明でオレンジ色に見えていた女の子の髪が、白いランプ光で鮮やかなピンクに変わった。
思い出した!この世界のヒロインで、マリアに不幸をもたらす存在だ。メルトは慌てて上体を起こした。くらっと眩暈がして両手で額を押さえた。
「大丈夫?」ローズは屈みメルトの顔を覗き込んだ。
こんな大切なこと、どうして気づかなかったのだろう?だって、ランプの光と自然光では髪色が違って見えたから。痩せっぽっちだった女の子が、今や逞しい剣士になっているなんて思いもしなかったから。そもそも、あの事件は魔法の喪失と結びつて忘れ去りたい黒歴史だから。理由を上げ連らねれば切りがない。
「ねぇ?私たちは魂で結びついているの。だからこうしてまた巡り合った。それなのに、私だけが思っているなんておかしいわ。あなたも私たちの魂の結びつきを感じるべきよ。」
女神と同じようなことを言っている。メルトは意味がわからず目で問い返すと、ローズはぐっと顔を寄せて、濡れた衣服で自慢のバストラインを強調して見せた。
「な、何?」
瞳が不安気に揺れている。どうやら私の旦那様は純真無垢らしい。
「メルティ。あなた、今、とってもおいしそうよ。」ぺろりと舌なめずりをして見せた。
「おいしそう?」自分の体を見る。白い上着は濡れて体に張り付き、長めの丈で大事な部分は隠れているけれど(隠れていると信じたい)、大胆に太腿が見えていた。
「ぎゃぁぁあ!!!エッチ。」
「アッハハハ。」
驚いた鳥がバサバサと木々の間から飛び立った。
二人が大騒ぎをしたので人が来た。
「ローズ、何事だ?」
「あっ、団長。丁度良かった。溺水者です。応急措置は終えました。温かくして休ませてください。」
「溺水?湖で泳いだのか、罰当たりな奴め。」団長はメルトを抱きかかえると、ローズからわざと視線を外した。
「ローズ、お前も濡れているじゃないか。風邪をひかないようにさっさと帰りなさい。」
「団長、やっさしい♡」と茶化して、「バイバイ、ダーリン。また明日会いに来るね。」とメルトにブンブンと手を振った。
呆気に取られて見送っていると、団長が厳しい口調で言った。「あの娘は湖の女神に育てられた聖女です。中央貴族の気まぐれで弄ぶような真似はやめていただきたい。」
見上げると、怒っているようだ。弄ばれていたのは寧ろこっちなんだけど。
その後たくさんの人に怒られた。
「でも、そういうことは先に教えておいてもらわないと。」遠慮がちに反論を試みる。
「普通、教会内は神域だってわかるだろう?神域で勝手に泳ぐかって話。」とフィン。
「普通、他人の家の庭で勝手に泳ぐかって話。」と王子。
ごもっともです。返す言葉もございません。
湖の女神の他に、丘には大地の女神というのもいるらしい。
翌日、王宮からの使者が来た。
「陛下のお言葉をお伝えいたします。
武運長久・国家守護の祈念に遥々聖地に参籠するとは、真に殊勝な心掛けである。其方の祈願は既に神慮に叶ったものと心得、早々に帰城せよ。
以上でございます。」
王子は声を荒げた。「陛下は少しもわかっておられない。戦に勝つことだけが国を強くする方法ではないはずだ。
使者よ、帰って陛下にお伝えせよ。私の気持ちが陛下に届くまで、今しばらく神に祈りを捧げます、とな。」
メルトは隣で聞いていたが、どうにも長引きそうな気配がする。粗食も、修行僧の着る麻の衣服も、多少の不便さも、それ自体は平気だ。ただ、以前はこうだったと公爵邸を強く想い起こさせる。寂しくなって、またトネリコの木を探しに出た。
「おはよう、マイダーリン。」ローズ待がち伏せをしていた。
ローズはマリアに不幸をもたらす存在だ。ただ、この世界は自分の知っていた話とは随分違っていて、マリアは王子を好きではないし、婚約もしていない。だからそれほど警戒する必要はないような気もする。
「おはよう。昨日はありがとう。ローズはここに住んでいるの?」
「うん。私はミラでの事件の後、この教会に引き取られたの。」
「でも騎士団員なの?」
「うん。祭司は性に合わなくて。」
「ふーん。」
「何か探し物?」
「うん。でも大丈夫。自分で探すから気にしないで。」あまり詮索されたくないので、そっけなく答えた。
しばらく彷徨ってやっとトネリコの木を見つけた。
「フルドラ、フルドラ。」呼びかけるも反応が無い。
今度は木に触れながら呼びかけてみる。「フルドラ、フルドラ。」
すると、手を当てた部分の幹の感触が消え、懐かしい風の匂いがした。
「早く帰っておいでよ。」フルドラが言った。
「みんなは元気?」とメルト。
「元気なものか、大騒ぎだよ。特に姉ちゃんは見てられない。帰ってちゃんと謝りな。」
やっぱり怒っている。「じゃぁ、手紙を書くから姉さまに届けて。」
仕方がないなぁと言って、フルドラは気配を消した。背後でポキンと小枝を踏む音がした。
「まだいたの?」メルトは振り返る。
「今のは何?」と戸惑うローズ。知らない人が見れば、木に向かってしゃべる頭のおかしな人だ。
「そんな驚くこと?君だって湖の女神を呼び出したじゃないか。僕のは、姉さまの庭の木の精霊だよ。」
「もしかしてマリア様!?懐かしいな。」
「うん。懐かしいね。」まだ数日しか離れてないのに会いたくて仕方がない。
メルトは毎日手紙を書いて、フルドラに投函した。「ごめんなさい」と「会いたい」と。
狡猾な国王は、軍隊を続々とメレオロイデス教会に送って、王子を再度リコリス攻めの総司令官に任命する旨を公表した。臨時で軍を率いているマニサ侯爵は、事実上投降を促す書面を王子と教会に送った。教会の護衛騎士団の何倍もある軍に囲まれて、教会内の緊張は高まった。そんな時でもメルトはいつもどおりトネリコの木に向かう。そんなことをしていると、そのうち誰かに気づかれる。トネリコの木の前で手紙を持ってブツブツ言っているところを団長に見つかった。
「そこで何をしている?」
「何も。」慌てて手紙を隠した。
団長はメルトに必要のない制圧をし、手紙を奪って、王子と大祭司の前に突き出した。「内通者です。」
王子は目を丸くして、証拠の手紙を受け取る。
「ダメ。見ちゃダメ。見ないで。」メルトは大騒ぎした。
王子は一読した。「フッハハ。内通者って。」
ホームシック全開の手紙を読まれた。メルトは恥ずかしくて急いで手紙を燃やした。
本当はすごい魔法使いが、顔を真っ赤にして隠したのはただのラブレターで、しかも器用にそれだけ燃やしている。
「メルト。いつか君は、私に夢の一つも語れと言っていた。今なら言えるよ。私は、君が君らしく生きられるように平和な世の中を作ろう。もし、そうできたら君の、君たちの自由を約束するよ。」
メルトの頬を涙が伝った。
王子と教会は共同でリコリス戦に反対する宣言を出した。宣言は教会の伝達網を使って国中に伝えられ、国王と王子の対立構図が公になった。困ったのはマニサ侯爵だ。王子をリコリス戦に担ぎ出したかったのは王命だからというだけではない。国王は王子が困難な戦いを勝ち抜くことを期待しているが、侯爵は敗ける方に掛けている。いっそ死んでくれたら都合がいい。国王からは敢えて攻撃することは禁じられているが、こちらが攻撃された時はやむを得ない。侯爵は反撃ということにして実力行使に出た。王子と教会側も反戦宣言を出した時からこうなることは想定済みだ。メルトは急ごしらえの櫓に登り、ずっとその時を待っていた。黒い人波が雪崩打って動き出した。
――― 闇を切り裂く雷よ ひれ伏せ 迅雷!
大きな閃光がいくつも走り、敵軍の前に突き刺さり、雷鳴と地鳴りが轟いた。
「ちょっとやり過ぎじゃないか?」と王子。
「できるだけ派手にしろって言ったくせに。」とメルトは口を尖らせる。
「完璧な神の怒りの具現化だ。みんなひれ伏すに違いないさ。」とフィンは上機嫌。
予想通り進軍は止まった。
その夜、敵兵の投降があった。
「殿下、ジョンだよ、ジョンが来た!なんて心強いんだろう。」メルトはジョンの胸に顔を擦り付けた。
「よく言うよ。もっと早く来たかったんだが、なかなかいいタイミングがなくてさ。お前の魔法で全軍浮足立って、大勢連れて来ることができたよ。」
近衛第一連隊と魔法連隊をごっそり連れて来た。
新しい仲間を粗食と少しのお酒でもてなして、いつまでも話は尽きなかった。まだお酒を飲めないメルトは途中で抜け出したが、楽しい余韻で手紙を書いた。しばらく手紙を送れてなかったので、送れる時に送ることにした。
夜の林は昼間とは雰囲気が違う。途中で、可愛らしい花がたくさん咲いているのを発見した。どうやら迷ったみたいだ。花は、四枚のハート型の花弁で真ん中が白くて、周りが淡いピンク色をしている。
「うわぁ、可愛い。何て花だろう。」
「イブニングプリムローズよ。」ローズが答えた。
「なんでいるの?」
「野郎が増えたから警戒しているの。そこの境を越えちゃダメ。」
花壇が境界線になっていた。
「なるほど。でも、ローズが一番年頃の女の子なんじゃないの?」
「まぁそうね。」
「ハハ、可愛いんだから、しっかり鍵をかけて寝ていなよ。」そう言いながら、一輪摘んだ。
「それ、どうするの?」
「これ?姉さまにあげようと思って。ところで、トネリコの木はどこか知ってる?」
「そんなの知らない。夜が明けてから探しなさいよ。」くるっと背を向けて行ってしまった。あれ、なんかちょっと怒ってる?
女子寮がここだとすると、男子寮があっち、ということは湖はこっちで、トネリコの木はもっとそっち。あった!
「フルドラ、フルドラ。」呼ぶと幹の一部が星空に変わった。
「お誕生日おめでとう。」さほど目出度いとは思ってない声が返ってきた。
「もうそんな時期か。僕も忘れていたのによく覚えているね。」
「姉ちゃんが言ってただけ。」
「・・・そうか。」
煮え切らないメルトにフルドラはお説教をした。「君は帰れるんだから、一度くらい顔を見せてあげたら?君がそうできることをみんな知ってるんだよ。だから余計に、なんで一度も帰って来ないんだろうって自分を責めるんだ。」
「本当だ。酷いね、僕は。でもそうだね。少し顔を見るくらいしたいかな。」
「そうだよ。そうしなよ。」
トネリコの木に手を掛けて星空を押し広げると、よく知っている、三又に出た。邸は眠りについていてとても静かだ。幹を滑り降りて、静かにマリアの部屋に向かった。窓辺で立ち止まってぐずぐずしていると「ニャー!」とルルが来た。「しー、静かに。」ルルはごろんと寝転がっておなかを見せた。フカフカのおなかをワシワシしながら、その後の展開を想像してみる。まず絶対に怒られる。これは避けられない。それから姉さまなら、まず僕をお風呂に入れて、美味しいものを食べさせて、それからふかふかの布団に入れて、王子のところになんか戻りたくないと僕に言わせる。やっぱり危険だ!手を止めると、ルルがもっともっととせがんだ、「ゴロゴロニャーン」。「しっ、静かに!」
「誰?もしかしてメルティ?」マリアの声がした。
マズい。メルトは慌ててトネリコの木に駆け戻った。マリアが灯を灯して窓が開けた。その足元にルルがすり寄った。「なんだ、ルルだったの。」
マリアは屈んでルルを撫でた。ルルの首輪に花が挟まっていることに気が付いた。
「何で月見草?」抜き取ると、萼の部分に手紙が結びつけられている。
開けると、「ジョンが来た。すごく嬉しい。」と書いてある。
マリアは内履きのままトネリコの木に駆け寄ったが、もう誰もいない。
「メルティの大バカ。」
切りが悪くて長文になってしまいました。
湖の女神に育てられたと言えば、ランスロットです。湖の女神(乙女)に育てられたということが何を意味しているのかというと、異界のルールに従っているということで、アーサー王の妻グネビアを愛することも異界のルールに従ったからということらしい。
湖の女神の伝説は様々あり、人間との間に子をもうけたりしています。治癒の力を持つことが多いです。水がゆったりと流れる場所は優しい女神様になるのでしょうね。宗像三女神や罔象女神は日本の優しい水の女神です。




