花嵐3
礼拝堂の中は、石壁と祭壇以外に何もなく、祭壇の後ろにある、草花、鳥、星等の模様をくりぬいた漆喰の飾り窓が目を引いた。この窓から陽の光が差し込めば、さぞや美しい影を落とすことだろう。
ローズはメルトの手を引き、嬉しそうに祭司のところに駆け寄った。
白い祭服を着た、痩せた眼鏡の男は、ローズが父親だと言っても違和感のない年頃に見えた。
「ローズ、今までどこにいたのですか?」穏やかに言った。
「心配かけてごめんなさい。お使いの途中で人買いに捕まってしまったんです。」
「それは大変でしたねぇ。無事で安心しました。」
祭司がローズの頭を撫でると、ローズは嬉しそうに微笑んだ。
「で、この子はどうしましたか。」
「この子も一緒に捕まっていたんです。貴族の子みたいだから、祭司様のお力でお屋敷に帰してあげてください。」
祭司はメルトを頭からつま先までざっと見て目を細めた。メルトは白シャツ短パンサスペンダーと、いかにもな格好をしていた。
「雪催いの髪色の貴族の子、ということは、君が竜の守人かい?」
何だろうこのパワーワードは。竜と言われて思い浮かぶのはあの竜しかない。意味はわからなくても、絶対に碌なものじゃないことだけはわかる。
「守人?祭司様は、この子のことを知っているのですか?」ローズは大きな目をまたたかせた。
「天然礫のまぐれ当たりと言ったところか。上出来だ。」
ニヤリとする祭司を、ローズはきょとん見上げている。メルトは次の言葉を聞きたいような、聞きたくないような気持で視線を彷徨わせた。
「もしかして、君は何も知らないのかな、ホワイトリリー?」
祭司がメルトの瞳を捉え、覗き込む。
「人の運命は、神の恩寵により決められています。ならば、その運命を知らず抗うことは、無益なことだと思いませんか。我等が導いてあげましょう。恐れることはない。真の自由は信仰と共にあるのです。」
メルトは、祭司が蛇のように思えて後退った。
「知りたいでしょう?自分自身のことを。」
「うっ。」知りたい。知りたいけど・・・。
「ちょっと待ちなさい!うちのメルティに何をしてくれているのかしら!」
バタンと扉が開いて、大きな声が張りつめた空気を破った。
振り向くと、マリアが堂々と立っていた。
「メルティ、迎えに来たわよ。」
マリアはボルドー色のシンプルなドレスに濃紺の外套をまとい、まるでヒロインみたいに格好よかった。
「姉さま!」
二人は駆け寄った。
「・・・もしかして一人なんですか?」やっぱり不安。
「そんなはずないでしょう。私が動けばみんな動くの。」
清々しいほどの悪役令嬢思考。もはや安心感すら湧いてくる。騎士が三人現れた。
「おや、公爵家のご令嬢にしては供回りが少ないのでは?」と祭司。
「そのうち来るわ。ところで、何故ここに、うちの可愛い子猫ちゃんがいるのかしら?」
「さぁ?偶然ですよ、お嬢さん。」
「そうかしら?犯人が言っていたわよ、ミラの祭司に頼まれたって。」
騎士が一斉に剣を抜いて祭司を囲んだ。
「やはり異教徒は使えんな。」
吐き捨てるように言うと、祭司の腕のブレスレットが光り、両の手に魔法陣が浮かんだ。
「させるか!」騎士が斬りかかった。
祭司は右の騎士をかわしながら、他の二人に向かって魔法を放った。背後の騎士には当たらなかったが左の騎士には当たって、横殴りに飛んだ。外した魔法は石壁にあたり建物全体が軋んだ。
「メルティ、ここを離れるわよ。」ローズが言った。
頷くメルトの視界にローズがいた。混沌とした状況に訳が分からずしゃがみこんでいる。今、メルトはとんでもない状況にいるが、ローズの、一緒に逃げようと言って差し出した手に偽りはなかったと思う。
「姉さま、あの子も一緒に連れて行かないと。」
ローズまでは数歩の距離で、メルトはすぐに動いた。
祭司が逃げる二人に気づき、足止めとして二人の行く手に攻撃を放った。でもメルトの行く先は?
「姉さま、駄目だ!」
思わずマリアの前に飛び出した。飛び出したはいいが、今のメルトは魔法が使えない。魔法陣が迫る。
クソ!切れかけの電球だって、時間が経てばもう一度くらいチカッとするはずだ。
一瞬、走馬灯を見るように時が止まったような気がした。メルトは自分の首飾りを握った。
――― 母様父様、力を貸してください。
「焔」
瞬時に爆炎が湧き起こり、あっという間に魔法陣は焼け落ちた。
メルトは目をパチパチと瞬かせたが、それよりも、
「姉さま、今何かしましたか?」
一瞬時が止まったようなこの感じは、初めて公爵邸に来た日にお風呂場で感じたものと同じだ。
マリアは表情一つ変えず、人差し指を唇の前で立てた。それとほぼ同時に、屋根がガラガラと落ちてきた。魔法が天井を破り屋根を壊したのだ。みんな急いで外に出た。
「メルティ!あなたやりすぎよ。」
マリアが腰に手当てて怒っている。
「ごめんなさい。」
こんなことになるとは思わなかったんです。僕は魔法が使えないはずなのに、おかしい。いや、魔法が使えないことの方がおかしい。後ろ手に、こっそり魔力を集めてみるが、やっぱり何も感じない。僕のフィラメントは完全に切れた。何故?どうして?これから何を頼りに生きていこう?
警備隊が到着して、誘拐事件の現場保存が始まった。
建物の損壊は三角屋根の一部に留まり、建物は原型を留めた。屋根の張り替えだけで済みそうでメルトは少しほっとした。何しろ僕にはお金がない。前世民法なら正当防衛だし、年齢的に責任無能力だからいい(?)のだけど、この世界ではどうだろう。公爵領は公爵の一存でなんとかなるのだろうか。たとえそうだとしても公爵様は賠償するような気がする。申し訳ない。
祭司の姿はなかった。
「君の名前は?」「ローズです。」
少し離れた所から、警備隊とローズのやり取りを見た。松明の火がローズの髪をオレンジ色に染めている。一人が書き物をしようとして、もう一人がランプで手元を照らした。白っぽい光がローズを照らし、オレンジだと思った髪色は、実は鮮やかなピンクなのだと知った。
ピンク髪のローズ・・・・・・ヒロインだ!
メルトは目を見張った。マリアとヒロインの出会いがこんなにも早いなんて聞いてない。まだ物語を始める心の準備ができてない。咄嗟にマリアの外套を掴んだ。
「姉さま、もう帰りましょ?」
「そうね、帰りましょう。」
マリアはニコっと笑って手を差し出した。マリアが笑うと、何もかも大丈夫な気がしてくる不思議。メルトも思わず笑って、手をつないだ。
まもなく公爵が北館に来て、メルトとマリアは王都の本邸に回収されることになった。
王城近くに大きな教会がある。その執務室に、立派な椅子に座った中年の、しかし美しい男と、その前に痩せた眼鏡の男が立っていた。
「我らは最大の好機を逃した。捕らえて陛下に献上すれば、さぞや覚え目出度くなったものを。この失態は大きい。」
「申し訳ありません、大祭司様。次こそは必ず」
「お前は面が割れている。もう結構だ。」
眼鏡の祭司が項垂れた退室すると、その後数人の職員が立ち上がり、静かに部屋を出た。
数日後、川に死体が浮いた。体はガスで膨張し顔は原型を留めておらず、身元不明で処理された。
王城内の池に天蓋のついた美しい舟が浮かんでいる。乗っているのは、国王夫妻とその一男一女。池には蓮の花が咲き、船縁から水面を覗けば泳ぐ魚の姿が見えた。王子と王女が、はしゃいで水面に手を伸ばすと、王妃が優しく二人を窘め、王は家族に穏やかな眼差しを向けていた。
うーん、やっぱりサスペンスになってるような。私としてはキュンキュンするやつが描きたいのだけれど、今はお子様時代だし、仕方がない・・・はず。