マハラリィの花3
王女はハープを弾く手を止めて、何度も言った。
「ねぇ、メルティ。お兄様のことをよろしくね。」
「お兄様の傍にいてあげてね。」
「お兄様の力になってあげてね。」
メルトはその度に答える。
「できることはして差し上げたいけれど、僕にできることなんてそんなにないんだ。」
望む言葉を返してあげられなくて胸が痛む。
「公爵様がお兄様のお見方をしてくださるようになったら、その時は力になってあげてね。」
「それだったら問題ないよ。」
メルトは笑った。
「私にはお兄様を助けてくれるあなたの姿が見えているから、その言葉を聞ければ十分だわ。」
王女も微笑んだ。
少し迷ってから、メルトは尋ねた。
「あの・・・あのね。ヘレン先生の見ている未来では、王妃様は王妃様のままですか?」
「心配してくれてありがとう。王妃様は王妃様のままよ。」
王女は優しく笑った。
「あぁよかった。もしそうじゃなかったら、みんな不幸になってしまうもの。
でも、だったら何故、殿下に教えてあげないの?」
メルトは首を傾げた。
「お兄様は、魔法が好きではないの。そのせいで、あなたにも嫌な思いをさせてしまっているわよね。
許して差し上げてね。」
少し寂しそうな顔をした。
「もう、慣れっこだから平気だよ。」
メルトは笑った。
王女は、そっとメルトの髪を撫でた。
*
剣術の授業が終わり、片付け係になったメルトとフィンは模擬刀を片付けて、オークの木の下に戻ってきた。
フィンが言った。「メルト、殿下と喧嘩した?」
「喧嘩っていうか・・・僕ね、かくかくしかじかって言っちゃった。」
素直に答えた。
「ハハッ強すぎ。ちょっと殿下が可哀そう。」
「やっぱりそうかな。
でもさ、僕の立場も考えてよ。」
小さく口を尖らせた。
「公爵様は、この件に関わるつもりがないんだね。」
メルトが頷くと、クルクルっとしたくせっ毛とクリクリっとした目の、好奇心が強くて議論好きな少年は、顎の下に指を置いて少し考える仕草をした。
「ジョンのところは義理人情で動くから置いておくとして、
トマスのエルドレッド伯爵家はリコリスと平和条約を結ぶのに尽力した家だ。
公爵様は言うまでもなく反戦派、前いたマクリーンも反戦派だった。
もちろん僕の家だってそう。
まぁ、僕の家はリミン教会に奪われた王宮で儀式を執り行う地位を取り返すことが主目的なんだけどね。
つまり殿下の周りは反戦・親リコリスなんだ。
もし殿下が王位に就かなかったら反戦・親リコリス派は一掃されるだろうね。
それなのに公爵様が動かないのはどうしてだと思う?」
「公爵様と殿下は考えがあまり合わないみたいなんだ。
それに、公爵家は政治と距離を置いても、さほど困らない。」
公爵領は建国の功労により国に収める税を免除されている。
「公爵様と国王陛下も合わないよね。つまり殿下と国王陛下は同じ考え方なんだ。
殿下は周りを反戦・親リコリス派で固めながら、自身はそうじゃないんだ。」
「なんで!?」
「さぁ?君が聞いてよ。怖いもの無しなんだから。」悪戯っぽく言った。
「でもさ、殿下はさ、心の奥なんか言わないじゃないか。
何が本心で何が建前か僕にはわからないよ。」
「だったら真実の杯だ!」
「何それ?」
「僕の家の教会の宝物だよ。真実の杯の前で真実を語ると甘いお酒が湧くんだ。」
「いいね、殿下に使ってみようよ!」
「持ち出し不可だけどね。」
「えぇー。ちょっと借りるだけでもダメなの?」
うーん。フィンは考え込んだ。
数日後。
「じゃじゃーん。」
フィンがメルトのところに来て、机の上に木箱を置いた。
木箱は大人の手を広げたくらいの大きさで、蓋を開けると、持ち手の短い銀製のワインカップみたいな器が入っていた。
「うちの家宝だよ。内緒で持ってきちゃった。」てへぺろ。
フィンの実家、メレオロイデス教会は祭司の総本山だ。
そこで研修を受けて認められた者だけが祭司になれる。
そんな場所の宝物となれば、国宝級だ。
「バレたらどうするの!?」というメルトに「バレなきゃいいんだよ。」とフィンは答える。
フィンが怖い。
「今更ガタガタ言ってもしょうがないよ。バレた時には一緒に謝って。」
フィンは真実の杯を片手に持ち、もう一方の手でメルトの腕を引っぱって王子の席に行くと、ドンッと杯を置いた。
もう少し大切に扱おうよ。
部屋中の注目が集まった。
「これはうちの教会の真実の杯だよ。
殿下の本当の気持ちを聞かせてください。
どうして殿下は僕たちに寄り添ってくれないのですか。」
フィン、怖いものなし。
王子は真贋を見極めるように杯を見つめた。
しばらくして口を開く。
「わざわざこんなものを持ってこなくても、みんなにはちゃんと本当のことを話すよ。
でも、今はまだ決心がつかないんだ。もう少し待ってくれないか。」
その瞬間、真実の杯からコポコポと小さな音がした。
みんなで頭を寄せ合って覗くと、底に金色の液体が薄く溜まっている。
おぉ、すごい。
ジョンが指を突っ込み、舐めた。
「美味いな、これ。」
ジョンも怖いものなし。
王子は言った。
「フィン、この杯を少しの間貸してくれないか。三日のうちには必ず返す。」
フィンは快諾した。
*
その夜、王子は真実の杯の入った小箱を持って国王の私室に行った。
扉の前で、事前の約束がないことを理由に取次を拒む護衛と押し問答になった。
騒がしくしていると、王子の声を聞いた国王が顔をだし、王子を室内に入れた。
国王の部屋は、繊細な浮彫が多用されたこげ茶色の木製家具、緑青色とくすんだ金色のマーブル模様の壁、大理石の暖炉があり、コレクションの武具の一部が飾られている。
灯は少なく、もう直に寝るつもりらしい。
国王は長椅子に腰を下ろし、王子にも座るように促した。
王子は国王と間を開けて座り、その間に小箱を置いて蓋を開けた。
「お父様、これはメレオロイデス教会の宝物です。」
「ほう。真実の杯か。何が聞きたい?一つだけ答えてやろう。」
少し離れたところにある丸テーブルの上には多頭の燭台と一人分の酒器があり、国王からはほんのりと酒の匂いがした。国王は酒好きだ。
「お酒を召し上がっていたのですか。」
「あぁ。だから気分がいい。酔いが醒めないうちにさっさと言え。」
いっぱい聞きたいことはあるのに、お父様が一つだけと言ったら絶対に一つだけなのだ。
しばらく考えて、すべての問の根源となる問を選んだ。
「お父様は、お母様のことを大切に思っていらっしゃいますか。」
「そ、そんなつまらないことを聞くのか?他にあるんじゃないか?
だが、い、一度口から出た言葉は戻らない。
――― ヘンリエッタを愛しているよ。心から。」
夜の静寂の中、真実の杯の立てる音は前に聞いた時よりも大きく聞こえた。
王子が杯を覗くと、底にはちゃんと酒が溜まっていた。
「ありがとうございます。」
王子の頬を大粒の涙が伝って、杯の中に落ちた。
数日後、国王はマニサ侯爵家から側妃を迎えることを決めた。王妃の廃妃を回避し、臣下の不満を和らげるための折衷案だった。
王子はフィンとの約束を果たすことにした。剣術の授業が終わった後にオークの木の下でみんなを集めて話し始めた。
「私は、リコリスの血が濃く流れているのに魔法が使えない。
同じ兄妹でもヘレンは使えるのに何故?そう思ったことは1度や2度じゃない。
でも、魔法が使えなくても陛下は賢くて強い。
だから陛下のようになろうと努力をしてきた。
……でも、やっぱり、私にはできそうにない。」
王子は少し息を吸った。
「王妃様が昔、何かの折にこぼされたことがある。
陛下はいずれリコリスを攻めるだろう、と。
その時は信じられなかったけれど、今は違う。
陛下にとっては、王妃様も私もヘレンも――
みんな置き換え可能なんだ。
陛下が結婚したのは誰でもなく、カサブランカという国だった。」
王子の目が赤い。
ジョンがそっと王子の頭を撫でた。
「お前は、陛下と同じにする必要はないんだぞ。
国を愛することと家族を愛することは両立できるし、国を愛する方法は版図を広げる他にもある。」
「よしよし。無理して背伸びをしていたんだな。」とトマス。
「よしよし。コンプレックスの塊だったんだね。」とメルト。
「よしよし。愛されたかったんだね。」とフィン。
「もう、言い方。傷口を抉らない!」
王子は、くしゃっと笑った。
真実の杯と言えば、色々伝説がありますが、アーサー王伝説の聖杯が有名かなと思います。ガラハッドの話です。搔い摘むと、ガラハッドはアーサー王の妻を寝取ったランスロットの子(しかもアーサー王の妻との子ではない!)で、騎士のくせに殺生をしたことはなく童貞で、聖杯に選ばれると地上での使命を終えて神に召されるというとんでもなく説教臭い話です。ガラハッドが可哀そうだろ!
上記はガラハッドの話で聖杯についてではないですね。アーサー王伝説の中でキリストの血を受けたとされる聖遺物として登場します。聖槍(ロンギヌスの槍という設定)で傷を負った漁夫王が聖杯を守っていて、傷は王国の国土と連動しており王国が荒廃します。聖杯に正しい問いを発すると聖杯が答え、王は語り始め、傷と国土が癒えます。王と国土が連動している点と語りに応答する器という点でケルト神話の名残が感じられますが、キリスト教色が強く、その影響がなければどの様な話になったのかと少しだけ残念な気持ちになります。
問い:「聖杯は誰に仕えるのか?」(Whom does the Grail serve?)
答え:「神の意志に仕えるものであり、純粋な者にのみその力を示す」
ガラハッドが可哀そうだろ!




