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花嵐

目覚めると、一人、広々としたベッドに横になっていた。天井には絵が描かれていた。


 前世の僕には妹がいた。僕と妹は2歳差で特に仲がよいつもりはなかったが、子供時代の多くの時間を一緒に過ごした。幼い頃は、母に連れられて二人で近所の音楽教室に通っていた。僕はヴァイオリン、妹はピアノを習い、母は、大きくなったら妹の伴奏で僕がヴァイオリンを弾けたら素敵ねとよく言っていた。小学校中学校は共に近くの公立校に通い、中学で僕が吹奏楽部に入ると、妹も吹奏楽部に入った。喧嘩もよくした。大概は僕が妹の出来ないところを小馬鹿にするのがいけないのだけれど、齢が近いためその逆もあった。あんまり煩くすると、母から「どんぐりの背比べすな!」と一喝されたものだった。

 僕は高校でも吹奏楽部に入り、2年生で部長になった。妹は僕とは違う高校に進学し、音楽を止めた。二人の人生が少しずつ違ったものになっていくことを感じ、なんとなく寂しかった。高校3年になった僕は、受験勉強と高校最後のコンクールに向けて時間がいくらあっても足りなくなった。言い訳かもしれないが、他人のことを気にかける余裕がまるでなかった。夏休みが終わると、妹は心の病にかかり学校に行けなくなった。悩みを聞くこともしなかったことに後ろめたさを感じた。

 両親は、妹を無理に高校に行かせることはせず、かといって引き籠るのもよしとせず、高校を高卒資格取得と大検取得を目指す予備校に変え、もう一度近所の音楽教室に通わせた。僕の前世の記憶はここまでだ。僕がゲームに嵌る妹を小馬鹿にして絡んだのは、妹の病状が安定し僕の遠方の大学への進学が決まった頃のことで、妹と話す切っ掛けが欲しかっただけだった。

 妹は今頃どうしているだろう。妹からすれば、僕こそどうした?と思っているかもしれないが。


 前世に思いを馳せながら、ぼんやり天井画を見ていると絵が物語になっていることに気づき、意識が現世に浮上した。

 眠っている女神の傍らで乳を吸っている赤ちゃんがいて、次に、女神が目を覚まして乳から赤ちゃんを外すと、女神の母乳が飛び散って、天に飛んだ雫は星々に、地上に落ちた雫は百合の花になりました。

「なんか、すっげー。」いったいどこの美術館だよ。

あー、ここは公爵邸か。僕には世界を滅ぼしかねない姉ができたのだった。最悪。

むくっと起き上がってルルを呼ぶと、ルルはぴょんとベッドに飛び乗り、いつも通りじゃれついて来た。現実を受け入れるためには猫吸いが必要だ。

―――いったい今の僕は誰なのだろう。

小説の登場人物にメルトなんていただろうか。普通に考えて、ゲームの小説化はオールスター勢ぞろいだ。ヒロインと一緒に戦った仲間たちがこの世界のヒーローたちで、確か、王子、神職、公子、侯爵家子息、伯爵家子息、男爵家子息だったはず。やっぱりメルトはいない気がする。僕はモブキャラだ。世界平和は誰かが守ってくれる。・・・・・・モブ?

ヒロインが平民設定だったから、子爵が入っていれば自由民をコンプリートすることになる。それに、モブにしては僕のスペックが高すぎやしないだろうか。母様によるスパルタ式実地教育(主に食糧確保の目的)の賜物で、幼児にして氷雪系の魔法が難なくこなせる。それとも、この世界ではこれくらいのスペックは標準装備なのだろうか。前世の記憶があることだって珍しくはない?なんだろう、この嫌な感じは。

―――マリアは、どうなるんだっけ。

長い眠りから目覚めた竜が大きな口を開けると、マリアは自分を食べろというかのように両手を広げて、そのまま吞み込まれた。うっ、鬱展開。

極端な展開が読者受けするのはわかるけど、たかが婚約者から愛されなかったくらいで、この世の終わりみたいに。思い詰め過ぎじゃないだろうか。愛のない結婚生活を一生続けるより、結婚前に気づいてよかったね、くらいに思えばいいものを。まぁ、小説はゲーム内の結末の一つに過ぎないのだから、違う展開だってあるかもしれない。だったら考え過ぎても意味がないことになる。考えれるほど真面目に読んでないし。

 とりあえず、子供の僕は早く一人立ちして物語の本流から外れることだ。当面の生存戦略は、公爵家で愛される子になることだろう。ところで、愛されっ子ってどんな感じかな?


 僕は自分の思う可愛いを実践した。

男の使用人に対しては、こんな感じで。

「ねぇ、料理人のお兄さん、お名前なんていうの?」

「ピーター。」

「ピーター、いつもおいしいお料理をありがとう。」

「どういたしまして。」

「あのね、メルティ、おなかが空いちゃった。ピーター、プリン頂戴。」

上目遣いで両手を差し出し、頂戴のポーズ。これは可愛いはず。

ピーターは、仕方がないなぁと言いながらプリンを持ってきた。

「ありがとうピーター!あのね、しゃがんで?一口あげる、はいどうぞ、あーん。」

共犯にするつもりで、スプーンをピーターの口元まで運んだところ、

「メルティ、何をしているの?」

後ろから怖い声がした。勝手に間食をするとマリアに怒られるのだ。

「あっ、お嬢様。」ピーターが慌てて、僕も恐る恐る振り返る。

僕は目と手を彷徨よわせたあげく「・・・お姉さま、はいどうぞ、あーん。」とした。


女の使用人にはこんな感じで。

「メアリー、しゃがんで?」

メイドのまとめ髪に摘んで来たクロッカスを挿す。

「メアリーの瞳の色と同じ色のお花だよ。可愛いね。」にっこり。

雪の妖精のピュア(そう)な笑顔。これは可愛いはず。

にっこり笑ったメアリーの顔が、僕の背後に視線を移して強張った。

「メルティ。お姉さまには無いのかしら?」後ろから怖い声がした。

使用人が許可なく庭の花を髪飾りになんてしたらマズイに決まっている。

「お、お嬢様。」メアリーが慌てて、僕も恐る恐る振り返る。

目と手を彷徨よわせたあげく、ポケットを漁って、

「・・・お姉さま、僕の大事な・・・石、どうぞ。」


 地道な努力の結果、僕はわずか数日にして、そこそこの自由を手に入れた。

僕がそこそこの自由を手に入れたことを見届けるようにして、公爵は王都へ帰った。王国議会が始まるそうだ。ここ北の館には管理人のジョンがおり、公爵がいなくても回るようになっている。

 僕のお気に入りは、厨房と庭と図書室と裏口だ。

 厨房のよいところは、料理を手掴みで食べても怒られないところだ。

ダイニングで摂る食事はすごく緊張する。テーブルクロスが3重になっていて、手掴みしていい雰囲気ではない。ナイフとフォークで皮付きの魚を食べるのは難易度高すぎで、何度ガシャンと滑らせたことか。

その度にマリアが「あらあら仕方がない子ねぇ。はい、あーん。」とフォークを僕の口元に運ぶ。

「うっ、僕はそんな子供じゃない!」と言って、口を両手で押さえるけれど、

「何を言っているの?はい、あーん。」と迫って来る。

首を横に振って拒み続けると、マリアの目が据わって、声も一段低くなって、

「あーんは?」

怖い。無理。「・・・はいお姉さま。あーん。」

酷い。闇落ちの素質があり過ぎだ。早く大人になりたい。


 庭は、自然風景的で、池の周りにラッパ水仙が咲き、ミモザも咲いて、春告げ鳥が鳴いている。僕の住んでいた所より春が来るのが随分早い。ルルと追いかけっこやかくれんぼを無限にできそうなほど広いが、全て石造りの高い塀で囲われていた。

 だから裏口は、僕が外界と触れ合える唯一の場所になる。商人や食材搬入業者などが出入りをする。業者の人が、皮を剥いだだけで原型の残る豚肉を投げるように渡し、料理人が上手に受け取るところとか、篭いっぱいの苺とか見ているだけで楽しい。

「ねぇ、おじさん。この豚はどこから来たの?おじさんが豚を飼ってるの?」

「坊、最近よく見るね。おじさんはただの卸さ。豚は西のハインフリー村から仕入れてる。」

「そこも公爵領なの?」

「そうさ。」

「そこには、羊とか、牛とか、馬とかもいる?」

「ああ沢山いるな。」

「へぇー。行ってみたいな。」

運送人はポケットから紙をだして料理人と搬入物の確認を始めた。

「あの坊やは誰だい?お貴族様かい?」

「あぁ。最近旦那様がお引き取りなすった親戚の子だよ。可愛そうに両親を亡くしたんだとよ。」

「へー、それは大変だ。でもいいところに引き取られて幸せだ。」

「そうさな。」

メルトにはこの話がついて回る。僕は興ざめして立ち上がり、図書室へ向かった。

「ハインフリー村、ハインフリー村。」

地図でさっき聞いた地名を探す。どこだろうと指を彷徨わせていると、先客のマリアが、

「ハインフリー村は全国地図じゃなくて、公爵領地図で見るのよ。」と教えてくれた。

公爵領は北と南にあり、北方領地はさほど大きくない。王国の北の守りを担っているそうだ。

「この館があるのがラスゴー。中心街がミラっていうの。ミラの町は代官屋敷と教会くらいしかないわ。ちなみに代官屋敷とこの館の間には兵団の駐屯地があるのよ。ハインフリー村はミラから西に行って、ほら、ここ。」

「へぇ、マリアお姉さまは物知りですね。」

「ふふっ。自分の家の領地くらい知ってないと恥よ。」

それは、そうかもしれない。

「僕のいた場所はどこだろう?」

「この山の向こうよ。」

ラスゴーの北に川が流れており、その川の向こうに山が少しだけ描かれて見切れていた。

全国地図で見てみると、山と森が国境を守るように広がっている。随分と凄いところに住んでいたんだなぁと我ながら感心した。


 その日も、僕は裏口に遊びに行った。

今日は公爵邸から運び出すものがあるらしく、管理人のジョンが、たまに見かける運送人のおじさんに指示を出していた。ジョンが搬出物の数を数えて首を傾げた。何か不都合があったようで、館の中に戻って行った。

ジョンを待つ間手持無沙汰になった運送人は、メルトのところに来て、

「坊、いいものを見せてやるよ。」

と、ポケットの中からクシャッと丸まったハンカチを取り出し、差し出した。

何だろう?とメルトがのぞき込むと、運送人の手は止まることなく、メルトの鼻と口を塞いだ。


甘い匂いがした。

――― Sleep well, little boy.


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