マリア様
僕はルルと一緒に公爵様の馬に乗った。
針葉樹の間から谷を見下ろすと、雪原に三角屋根の我が家が小さく見えた。
家の後ろに見える剥き出しの地面には母が眠っている。
*
山々を越え、森を抜け、公爵家の北の館に着いたとき、メルトは不覚にも眠ってしまっていた。
「「「お帰りなさいませ、旦那様」」」
何事⁉
公爵様の肩越しに辺りを見回すと、同じ黒い服を着た人たちがずらっと並んでいた。
とんでもないところに来てしまった。
メルトは目を白黒させた。
「ただいま、マリア。いい子にしていたかい?」
公爵は愛情深い声で言った。
「もちろんですわ、お父様。」
冷ややかな声が返ってきた。
メルトは恐る恐る振り返る。
ふわふわと波打つミルクティ色の髪の女の子が、冷めた目でこちらを見ていた。
僕が公爵様に抱っこされているから、公爵様を取られたと思って怒っているのかもしれない。
いや、絶対怒ってる。目が怖い。
マリア。……マリア・ブラックリリー?
なんだろう、この既視感。
僕は以前から……この子を知っている?
首を少し傾けて、もう一度マリアを見つめた。
その瞬間、パズルのピースがカチッとはまる音がした。
そこから立ち上がった事実が、僕を全力で殴った。
僕は思い込みの激しいお子様だった。
牙のある凶暴な魔うさぎを「寂しいと死ぬ」と信じていたし、
出会うと全力で殴りかかってくる魔狸を「気の弱い小心者」だと思っていた。
知らなかったというより、確信に近い思い込み。
そのせいで酷い目にも遭った。
でも、これはただの思い込みじゃない。
――僕には前世の記憶がある。
マリア・ブラックリリー。
前世で読んだ小説の重要キャラで、間違いない。
前世の僕には、いつもゴロゴロ寝そべってゲームか漫画を読んでいる怠惰な妹がいた。
その妹が「ドラゴンソード~聖なる乙女伝説」というゲームにはまった。
僕はゲームに興味がないし、タイトルの厨二臭がひどい。
小馬鹿にする気持ちで「それ、面白いのか」と話しかけた。
――押してはいけないスイッチだった。
興奮した妹は熱く語りだし、ゲームの小説化本を押し付けてきた。
「絶対面白いから絶対絶対読んでみて!絶対よ、あとで感想聞くからね!」
マリア・ブラックリリーは聖女で、王太子の婚約者。
愛する人に裏切られ闇落ちし、眠れる竜を復活させて世界を滅亡の危機に陥れる。
そこでヒロインが攻略対象たちと力を合わせ、
愛のパワーで竜を倒し、世界に平和を取り戻す――そんな話だった。
うっ、思い出される徒労感。僕の時間を返せ。
ただ、AIを駆使して描かれた絵がとても美しくて、引き込まれるようだった。
だから僕はこの世界に引き込まれた……?
「よっこいしょ。」ドサッ。
混乱していた僕は、抱っこから下ろされたことに気づけず、そのまま体勢を崩して座り込んだ。
「マリア、今日から一緒に暮らすメルト君だよ。マリアはお姉さんだから色々教えてあげてくれ。」
僕の動揺は収まらない。
僕を見下ろしていたマリアが、不意に僕を顎クイした。
「ほえ?」
この子は、世界を破滅させるポテンシャルを秘めている。
「あ、あの、メルト・リリーです。5歳です。宜しくお願いします。」
マリアが僕の腕を掴んだ。
「ちょっとこっちにいらっしゃい。」
こ、怖いよ。
僕はとある一室に連行されると、黒尽くめの女たちに壁際まで追い詰められた。
絶体絶命。
マリアが薄笑いを浮かべて、黒尽くめの女たちに静かに命令した。
「さぁ、やっておしまいなさい。」
ギャー!
黒尽くめの女たちは容赦なく襲いかかり、僕の服をひん剥いていく。
悪魔たちの手が首に伸びてきて、僕はたまらず全力の魔法を発動させた。
どんな魔法かなんて考えられない。
できる限りの最大出力に――した、はず。
一瞬、違和感が走った。
次の瞬間。
「これは大切なものなのね。そのままで大丈夫よ。」
目の前にマリアがいて、僕の首飾りを魔の手から守っていた。
悪魔の親分が、なぜ?
辺りに何事も起きていない。
黒尽くめの女たちも、僕も、みんな普通にそこにいる。
僕、まだ何もしていない?
いや、絶対した。したはず。した気がする。
……え?今、時間、巻き戻った?
気のせいかな。
気のせいで酷い目に遭うのは、僕の得意技だけど。
僕の連れていかれた場所はお風呂場だった。
僕はマリアお嬢様に洗濯され、隣ではルルがメイドの方々に洗濯されている。
僕たち、そんなに汚かったんだな……と申し訳ない気持ちになった。
マリアお嬢様は機嫌よさそうに僕の頭を泡々にしている。
気が済むまできれいにしてください。
お風呂から上がり、メイドの方々に拭かれていると、
マリアお嬢様が服を何着も並べ始めた。
「お兄様の小さかった頃の服よ。これを着ましょうか、やっぱりこっちがいいかしら?」
どれでもいいです。
髪を乾かし、櫛で梳かして、全工程が終わったらしく、マリア様は僕を上から下までチェックした。
「メルティ、可愛い!まるで雪の妖精さんみたい。」
鏡に映る自分は、銀色の髪がキラキラしていて確かに可愛い。
でも、母様の言う可愛いとは少し違う気がする。
「……ありがとうございます。マリアお嬢様。」
途端に空気が変わった。
というか、マリアお嬢様の顔が変わった。
「違うでしょ、メルティ。
お姉さまでしょ。
マリアお姉さま。」
目が、有無を言わせない。
「は、はい、マリアお姉さま。……マリアお姉さまの方が可愛いと思います。」
容姿の美醜を言っているのなら、僕にはそう見える。
マリアお姉さまは、今までで一番いい笑顔を作って、僕をぎゅうっと抱きしめた。
その瞬間、僕は諸々の心労が祟って意識を失った。
お決まりの。




