パンデモニウム4
「目障りだ。消えろ。」
マクリーンは倒れ込んだメルトの顔を覗き込むようにして言った。革製の胸当ての間から、カプセルトイのような飾りがジャラリとこぼれた。丸い鳥籠に蔦が絡まったデザインで葉や花に宝石が散らしてあった。綺麗だ。一瞬気を取られていると肩を押され、扉が不快な音を立てて閉まって、鍵のかかる音がした。真っ暗闇の中バラの香りが残っている。
おかしいと思ったのだ、木刀と模擬刀をしまう倉庫にしては関連するものがない。これで何度目だ?いい加減学ぼうよ、自分。王城内なのでこれ以上事態が悪化することはない。ならば慌てても仕方がないので寝転がる。あぁ酔いそう。ほんと、おしゃれさんなんだから。
――― 王宮でのお勉強にやっと慣れてきたと思ったのに。
王子と勉強をしているのはメルトだけではない。王の諮問機関「王の頭脳」に属する要人の子息あるいは近衛連隊の隊長の子息の中から王子と年齢の近い者が非公式に選ばれて王子の雑用係をしつつ一緒に学んでいた。セオドア、近衛連隊長の子息ジョンブラウン・グラハム、外務大臣エルドレッド伯爵の子息トマス、高位聖職者の子息のフィン・メレオロイデス、財務大臣ベルガモ伯爵の子息マクリーンがそれである。
この面子になぜ僕が加えられたのかというと、王子あるいはその周りの大人は、言葉を選ばなければ、僕を洗脳したかったのだ。手口がまさにそれ。
最初の最初に、王子は、この国の魔法使いに期待をしてはいけないと言った。
力の弱い者が力の強い者を恐れるのは自然なことだ。王国はそのように自然に魔法使いを恐れている。魔法使いが反逆したら、それを抑えるためにより強い魔法使いが必要になる。でもその魔法使いが反逆したら?心配したら切りがない。この問題を解決するために王国が取った方策は、強すぎる能力者を早期発見し間引くことだという。人工魔法を超える力を持つ可能性がある子供は間引かれる。王子は唇に人差し指を当てた。過度な魔法は隠しておいた方がいい。君次第では、生かされる命も増えるかもしれないよ。
この世界の残酷さに絶望する。
僕を殺すわけにいかない以上、せめて国家に反逆しないように精神的な枷をはめる必要があるのだろう。こんな国家方針では魔法の使い手は激減するし、魔法使用登録者に人工魔法を超える能力者はいないことになる。そのことに思い至って、更に絶望した。
ただ、僕を洗脳するのは難しいだろうと思う。一生目の記憶があり、魔法が戻った今、いざとなればワイズマンみたいな生き方もありだと思う。そう、得意の逃亡だ。その時にはマリアも連れて行こうかな。やっぱり無いか、無いな。
ところで、洗脳の本来の目的である王子教育はすこぶる上手くいっている。
王宮でのお勉強は、いつも、机上の学びから始まる。例えば今日は、古典の叙事詩の授業を受けた。この講義の要旨は、王は宇宙の秩序を維持する者であり、王、戦士、生産者が各自の役割を全うすることで宇宙秩序は保たれるというものだ。そして午後には、多くの場合は家政長官であるマニサ侯爵が午前の授業に関連するテーマを示して、みんなでディベートをする。お勉強の最後には、官僚から王子が知っておくべき事項の報告を聞くことになっているが、そこに法務官僚が来て今日の議会の紛糾具合を報告すれば完璧だ。僕らがいくら自由に生きたいと願っても、自由などどこにもないのだと思い知らされる。
大分脱線したが、そろそろ僕が閉じ込められた理由を考えるべきだろう。確かに僕は「王の頭脳」の子息たちからすれば取るに足りない存在だ。それでも貴族の上澄みは振る舞いすらも上品で、僕はそれなりに丁寧な扱いを受けていた。特に財務大臣ベルガモ伯と公爵は、ともに議会と王との間で板挟みになる同志なのだから、マクリーンにはよほどの理由があるはずだ。そうは言っても、僕は毎度授業についていくのに必死だから、恨まれるほど彼に絡んだ記憶がない。僕は月に3回だけのお勉強を二生目の優位性だけで乗り切るつもりだ。少しは自習をしたらどうかって?嫌だよ。これは僕の本分じゃないんだから。閉じ込められる前は剣術の時間だった。稽古中の僕は、王子とジョンブラウンのかっこいい模擬戦を見ながら木刀を振っている。重いので休み休み振っている。年齢的にはこんなものだし、ガイアスが言うには、魔力が強いといい剣士にはならないそうだから不真面目な態度だと言われればそれはそう。授業の後、マクリーンと道具を片づける係になったのは偶然だ。
以上をまとめると、傍から見た僕は、たまに顔を出すだけなのに勉強ができる、だけど剣術は弱くて、弱いくせに努力をしないクソガキだ。これはマクリーンじゃなくても懲らしめてやりたくなる。そこに、王子が僕を気にかければ、それが慣れない年少者への配慮だったとしても、努力を続けてきた人間は報われない気持ちになるかもしれない。でも…僕がそこまで気を遣う必要ある?来たくて来ているわけじゃないのに。
考えるのが嫌になって寝ることにした。
倉庫の扉が不意に開き、耳障りな音でメルトの目が覚めた。王子と王女と、その後ろに家政長官の顔が見えた。言葉を出そうとしたが喉が乾燥して咳が出た。家政長官に抱えられて、子供用の翼の応接間に運ばれて長椅子に寝かされた。セオドアがいた。お水をもらって一息つくと、みんなの心配そうな視線が痛い。
「どうして僕の居場所がお分かりになったのですか?」
王女殿下が微笑んで言った。「私は、ふとした瞬間に未来が見えることがあるの。偶然あなたの居場所が見えたのよ。」
それはすごい。魔法のない世界でも稀にそういう人がいるみたいなので、この世界なら尚更そういうこともあるのだろう。
「信じなければ見えないのと同じことだ。状況を正しく判断すれば誰にでもわかることだよ。」王子の口調は思いのほか強く、王女の眉尻が悲しそうに下がった。
「これは誰の仕業だろうか。」王子が厳しい声で言った。
目星はついているが、マクリーンが認めず、メルトも認めなければベルガモ伯に責任を取らせることはできない。
メルトは答えた。「誰のせいだとか、そういう問題ではありません。私が場違いな所にいることが原因です。もうお勉強に来なくていいようにしてください。謀反がご心配なら惑いの森に帰ります。」
実家でガイアスと一緒に生活するのは案外楽しそうだ。あれ?それが一番いい選択な気がする。ガイアスがいることで生まれた新しい選択肢だ。今度公爵に相談してみようかな。考え込んでいると、頭に手が置かれた。
「そんなことを言わずにもう少しだけ頑張って、ね?」
王子にこんな顔をされて嫌だなんて言えるはずがない。
理想の王子を演じるハロルドは、メルトをどう評価すべきか決めかねていた。
以前、理想の国家像を皆で討論した時に、メルトは正直者が馬鹿を見ない国だと言った。その意味を今だに消化できていない。また、メルトは誰に対しても等しく優しい。敬意とは結局のところ、この人には敵わないという気持ちからくるものだろう。見たところ、メルトが敵わないと思っているのはマリア嬢だけなのだ。
日本的なご学友制度にしてみました。宗教もなんだこれは?と思われたことでしょう。最初のころはこれをどうしたら世界三大宗教の一角と区別してもらえるかなと思ったものでした。参考にしている宗教はありますが、馴染みがない習慣も多く、改変しているのでかなり独自宗教になってます。もし興味があれば「イモルグ」で検索してみてね。