パンデモニウム3
公爵家のタウンハウスに着いた。
頑丈そうな鉄格子の門扉に、雑多な人が集まっていた。
怒っているように見える。
「姉さま、あの人たちはどうして怒っているの?」
マリアはさらりと言った。
「怒ってなんかいないわ。ああ見えて楽しんでいるのよ。」
意味がわからない。メルトがもう一度人々を見ていると、マリアが呼んだ。
「メルティ、早く入りなさい。」
メルトは慌ててマリアの後を追って邸の中に入った。
公爵は留守で、セオドアに王宮でのお茶会について報連相をした。
セオドアの部屋は壁一面が本棚で、法律書がずらりと並んでいた。
到着して三十分もしないうちに宝石商がやってきた。
マリアは公爵夫人の誕生日プレゼントを選ぶのだという。
*
私は宝石商のカトリーヌ。
ルーペで宝石を覗く瞬間が人生の至福。
この美しさを多くの人に知ってほしくて宝飾商をしている。
だから私の扱う品は、厳選した宝石と最高のデザインを追求した一級品だ。
それなのに、この坊ちゃんの興味のなさそうな顔。
ええ、わかりますよ。宝石を路傍の石と同じくらいにしか思っていない顔です。
いいんです。
男性は、女性が欲しいと言った宝飾品を黙って買えばいいのです。
将来そういう大人になりなさい。
だから今はその口を開くな。
「姉さま、僕も公爵夫人に何かプレゼントを渡したいな。いくらくらいするの?」
意外にも宝石に興味を示した。
それに対する公女様は完璧。
「あのねメルティ、プレゼントって値段じゃないのよ。
私はこうして宝石を選んでいるけれど、価値があるのは“お母さまのことを思って選ぶ”という行為なの。支払いは全部お父様がするのよ。」
そう、公爵様はいい男なのだ。
続けて公女様は仰った。
「あなたは知らないかもしれないけど、
あなたの銀行口座はお父様の承諾がないと少しも引き出せないわよ。
あなたはバイオリンでも弾いてなさい。」
坊ちゃんが目を丸くする。かわいらしい。
「公爵夫人の誕生日っていつ?」
「一か月後よ。ちなみにお母さまの十日後が私、その十日後がお兄様、その十日後がお父様。」
もちろん嘘だ。
小さな子の困った顔は可愛い。ちょっと意地悪したくなる気持ちはわかる。
「同じ曲でも大丈夫?」
「使い回し……。いいえ、いいの。うん、無理なら仕方ないもの。」
気落ちした様子を見て、公女様の口角が上がったのを私は見た。
「じゃぁ、お母様のプレゼント選びを手伝ってちょうだい。
そうしたら妥協してあげます。」
公女様が流行りの宝飾品をお聞きになったので、ジュエリーセットと花束モチーフだとお答えした。
それは本当だ。
ただ、最近うちの工房は経営が厳しい。
公爵家には是非とも良いものを買っていただきたい。
ジュエリーセットは実入りがいいし、花束モチーフは高価な宝石を使うが、細かい部分に余り石を使えるのでこちらもおいしい。
うちの経営難は宝石商グロリオサに客を奪われたせいだ。
主人の死後、妻が稼業を継いでから事業は急拡大した。
そのグロリオサが人気の火付け役になった大ヒット商品がある。
実入りが良くないので勧めたくないが、世間のニーズには合わせねばならない。
「今巷で一番流行っているのは、香り付きジュエリーです。」
香水瓶型のペンダントトップやブローチに香水を数滴入れる、あるいは、香水を染み込ませた綿を入れる小さな入れ物をペンダントやベルトにつける宝飾品だ。
動くたびに香りが放たれ、一日中褪せない。
ただし宝石に香水が付くと褪色するので私は勧めたくない。
公女に見本を見せ、退色した宝石を示した。
「しかも、中身が本当に香水なのか怪しいものです。」
グロリオサの闇は深い。
宝石の販売はカモフラージュで、品質の伴わない品を異常に高く売っている。
口止め料だろう。
そんな品を高値で買ったと言いふらされては、適正価格で売った上質な品の価値が下がる。
だから公女様、どうか高価な宝石をたくさん買ってください!
「なるほどね。メルティはどの石が好き?」
僕は、色付きガラスと宝石の区別もつかないのに、聞かれても困る。
わからないので色で選んだ。
ラムネの瓶みたいな色の宝石。
「こちらのどこがお気に召したのでしょうか?」
宝石商があからさまに残念そうな顔をした。
どうやらハズレらしい。
「主張し過ぎず爽やかなところです。」と答えた。
この石はアクアマリンというそうだ。
「主張し過ぎないのがいいわけね。
ではこうしましょう。
この石で小さなピアスをつくりましょう。」
メルトは首を傾げた。
「公爵夫人だったら大きくてもいいような気がするけど。」
「何を言っているの?あなたがするのよ。」
そっちこそ何を言っているの?僕にはピアスの穴なんて開いてないよ。
「全然痛くないから大丈夫。
ピアスの穴をあけると運命が変わるって言うし。」
得意げに自分の耳のピアスを見せた。
マリアの運命が好転したかどうかは知らないが、僕に関して言えば、どん底を抜けたところだ。変わってもらっては困る。
「同じ曲で手打ちにしてあげてもいいけど?」
マリアは見透かしたように言った。
なんて横暴な。
「何が目的なの?僕は望んでないのに。」
「さぁ、何かしらね。……おまじないみたいなものかしら。」
結局、公爵夫人の誕生日プレゼントには、アクアマリンを主石として真珠とダイヤモンドで飾ったブローチを贈ることになった。
*
マリアの誕生日の夜。
メルトが寝ようとしていると、メアリーが呼びに来た。
マリアはドレッサーの引き出しからベロアケースを取り出した。
例のアクアマリンのピアスだ。
マリアは片方を手に取り、メルトの左耳に刺した。
そして自分の右耳を差し出した。
メルトは戸惑いながらも、もう片方を手に取った。
室内灯の光は柔らかく、顔を近づけないとよく見えない。
「ねぇ、姉さま。こんなことをしていいの?
なんだか悪いことをしているみたい。」
声が震えている。
「大丈夫。何も怖くないわ。」
声は優しい。
大きな鏡に、ピアスをつけあう二人が映る。
鏡の中は現実よりもほの暗い。
当然メルトは知らないが、対のピアスを分けることには意味があった。
守る者と、守られる者。




