パンデモニウム3
公爵家のタウンハウスに着いた。
頑丈そうな鉄格子の門扉に雑多な人が集まっていた。メルトが「あの人たちはどうして怒っているの?」と聞くと、マリアは、「ああ見えて楽しんでいるのよ。」と答えた。
公爵は留守で、セオドアに報連相をした。セオドアの部屋は壁一面が本棚で、法律関係の本がずらっと並んでいた。
到着して30分もしないうちに宝石商がやってきた。マリアは公爵夫人の誕生日プレゼントを選ぶのだという。
私は宝石商のカトリーヌ。ルーペで宝石を覗いているときが私の一番の幸せで、この素晴らしさを多くの人に知ってもらいたくてこの仕事をしている。だから私が取り扱う宝飾品は、厳選した宝石とその美しさを最大限に引き立てるデザインを追求した一級品だと自負している。
それなのにこの坊ちゃんの興味のなさそうな顔。ええ、わかりますよ、宝石を路傍の石と同じくらいにしか思っていませんね。いいんです。男性は女性が欲しいといった宝飾品を黙って涼しい顔で買えばいいのです。将来、そういう大人の男になりなさい。だから今はその口を開くな。
「姉さま、僕も公爵夫人に何かプレゼントを渡したいな。いくらくらいするの?」なんと意外にも宝石に興味を示した。それに対して公女は完璧な回答をした。
「あのねメルティ、プレゼントって値段じゃないのよ。今、私はこうして宝石を選んでいるけれど、これはお母さまのことを思って選ぶことに価値があるのであって、支払いは全部お父様がするのよ。」
そう。公爵様はいい男なのです。
続けて公女がいった。「あぁ、あなたは知らないかもしれないけど、あなたの銀行口座はお父様の承諾がないと少しもひきだせないわよ。あなたはバイオリンでも弾いてなさい。」
目を丸くする坊ちゃんの様子がかわいらしい。
「公爵夫人の誕生日っていつ?」
「1か月後よ。ちなみにお母さまの10日後が私の誕生日で、その10日後がお兄様で、その10日後がお父様だから。」
お客様情報によれば、公女の誕生日はそうだが、その他は嘘です。子供の困った顔は可愛いい。ちょっとした意地悪をしたくなるのはわかります。
「同じ曲でも大丈夫?」
「使い回し・・・。いいえ、いいの、うん、無理なら仕方がないもの。」
気落ちした様子を見て、公女の口角が上がったのを私は見た。
「じゃぁ、お母様のプレゼント選びを手伝ってちょうだい。そうしたら妥協してあげます。」
公女が流行りの宝飾品を聞いたので、ジュエリーセットと花束モチーフだと答えた。それは実際本当だ。ただ、最近うちの工房の経営が厳しいので、公爵家には是非ともたくさん良いものを買ってもらいたい。ジュエリーセットは複数の宝飾品からなり大変実入りがいいし、花束モチーフは、花にルビーやサファイア、葉はエメラルドと高価な宝石を使うのだが、それだけでは使えない小さい部分を使うため、こちらにとってもおいしい商品だ。
うちの経営難は宝石商グロリオサに客を奪われたことが原因だ。グロリオサはもともとそこそこの宝石商だったが、そこそこである。うちの方が断然人気店だった。それが、主人の死後に妻が稼業を継いでから事業は急拡大した。そのグロリオサが人気の火つけ役になった大ヒット商品が実はある。あまり実入りが良くないので勧めたくないが、世間のニーズに合わせることもやはり必要なことだ。誠実であれ。
「今巷で一番流行っているのは、香り付きジュエリーです。香水瓶型のペンダントトップやブローチに香水を数滴入れる、あるいは、香水を染み込ませた綿を入れる小さな入れ物をペンダントやベルトにつけるのです。動く度に香りが放たれ、一日中褪せないので、大変人気です。ただ、香水が宝石に付くと褪色してしまうので私はあまりお勧めしておりません。」
公女に見本を見せて、退色した宝石を示した。
「しかも、中身が本当に香水なのか怪しいものです。」
グロリオサがどのように客を獲得しているかを探ると、闇は深く、宝石の販売はカモフラージュで、品質の伴わない品を異常に高く売っているのは口止め料だと思わざるをえない。そんな宝飾品をいくらで買ったと言いふらされては、適正価格で売った上質な品の価値が下がってしまう。だから公女様、高価な宝石をたくさん買ってうちのお店を助けてください!
「なるほどね。メルティはどの石が好き?」
そもそも色付きガラスと宝石の区別もつかない僕の好みを聞いて、意味なんてある?
わからないので色で選ぶ。ラムネの瓶みたいな色の宝石を指した。宝石商があからさまに残念そうな顔をした。どうやらハズレらしい。この石のどこがいいのか聞かれたので、主張し過ぎず爽やかなところと答えた。この石はアクアマリンというそうだ。
「主張し過ぎないのがいいわけね。ではこうしましょう。この石で小さなピアスをつくりましょう。」
メルトは首を傾げる。「公爵夫人だったらある程度大きくてもいいような気がするけど。」
「何を言っているの?あなたがするのよ。」
そっちこそ何を言っているの?僕にはピアスの穴なんて開いてないよ。
「全然痛くないから大丈夫。ピアスの穴をあけると運命が変わるって言うし。」そう言って得意げに自分の耳のピアスを見せた。マリアの運命が好転したのかどうかは知らないが、僕に関して言えば、むしろどん底を抜け出た気さえする。
「同じ曲で手打ちにしてあげてもいいけど?」
なんて横暴な。「何が目的なの?僕は望んでないのに。」
「さぁ何かしらね。おまじないみたいなものかしら。」
公爵夫人の誕生日プレゼントには、アクアマリンを主石として真珠とダイヤモンドで飾ったブローチを贈ることになった。アクアマリンは公爵夫人の誕生石で、マリアの誕生石でもある。
マリアの誕生日の夜に、メルトがもう寝ようとしていると、メアリーが部屋の扉をたたき、マリアの部屋に連れて行った。マリアはドレッサーの引き出しからベロアケースを取り出した。箱の中には例のアクアマリンのピアスが入っていた。マリアは片方を手に取るとメルトの左耳に刺し、自分の右耳を差し出した。メルトは戸惑いながらも、もう片方を手に取った。室内灯の光は柔らかく、顔を近づけないとよく見えない。
「ねぇ、姉さま。こんなことをしていいの?なんだか悪いことをしているみたい。」声が震えている。
「大丈夫。何も怖くないわ。」声は優しい。
大きな鏡にピアスをつけあう二人が映る。鏡の中は現実よりもほの暗い。
当然メルトは知らないが、対のピアスを分けることには意味がある。守る者と守られる者という意味がある。