再起編(一)母校
無気力な生活が続いていた。この寂寞とした無気力な生活が死の前日まで続くことを考えると、余計に無気力感が増してくる。
母親の介護をしていた八年間は、気がおかしくなるほど凄絶なものであったが、母親の葬式を終えて残されたのはただ絶無だけであった。この先何をすればいいのか途方に暮れていたが、差し当り就職活動でもしてみようと思い立ったのが十月、東京の街はすっかり秋めいていた。
就職活動をはじめるにあたり、まず生活環境を改善するように努めた。通常の会社の出勤時間にあわせて毎朝早起きをし、戸外に出て部屋に引き籠らないことを心掛けたのである。
就職活動はおもにハローワークを利用していたが、毎日通うわけではなく、あらかた検索するだけであったことから図書館通いをはじめた。
母親を介護する前は経理の仕事をしていたので希望職種を経理業務にしたが、八年間のブランクによって会計の知識をすっかり忘れていた。通信会社を退職した後しばらくの間、会計の国家資格の勉強をしていた時期があった。その頃に使用していた問題集をぺらぺらめくっていると、見慣れない用語を目にしたのである。以前は当然のことのように解いていた問題なのに、問題文にでてくる会計用語の意味がわからない。それどころか、そのような会計用語があったことすら忘れている状態だった。履歴書の資格の欄に、「日商簿記一級」と記入していたため知識を取り戻さなければならなかった。会計の学習をすることは、図書館通いをするための都合のいい動機付けとなったのである。
区立図書館では電卓が使用できないため、出身大学の図書館を利用することにした。適度な運動にもなるし学食を利用すれば食費も安くあがる。また、精神病棟同然のアパートの一室にひとり閉じ籠もっていたくはなかった。
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