第二章:言葉にならない
苦痛を、薬で「黙らせる」深夜の給水塔の下。叶汰は、二十四時間続く終わりなき介護の合間に襲ってくる強烈な眠気と頭痛を飛ばすため、震える手で母親の処方薬である精神安定剤を盗み飲みしていた。
最初は栄養ドリンク代わりのつもりだった。だが、一度その麻痺を覚えた脳は、限界を超えるためにさらなる量を要求し始めていた。その隣で、リアは団地の同じマレーシアルーツを持つ不良グループの先輩から手渡された、安価な植物性薬物である密輸大麻の包みを開く。
「これ、俺たちの国の神聖な草だよ。日本の息苦しさを忘れられる特効薬だ」そう言われたとき、同じルーツの仲間として認められたい、この国での息苦しさから逃れたいという一心で、リアはあっけなく一線を越えていた。
大人は「正しい手続きをすれば、未来は変えられる」と耳当たりの良い正論を語る。しかし、言葉が不自由なリアや、明日の生活さえ見えない叶汰にとって、複雑な大人の手続きは理解できない不条理でしかなかった。明るい未来のことなどどうでもいい。今この瞬間の、頭を引き裂くような疲労と恐怖を消すことの方が、圧倒的に切実だった。
給水塔の下、冷たい鉄錆の匂いの中で、二人は初めてお互いの地獄の温度が同じであることを知った。
リアが拙い日本語で、ぽつりと呟いた。「みんな、優しい声で話す。でも、私の言葉、誰も聞かない」
叶汰は盗んだ錠剤を噛み砕き、かすれた声で返した。
「俺も、頑張れって言われるたび、首を絞められてるみたいだ」
日本語が滑らかに口から出ないリアと、脳の要領を得るのが苦手でいつも大人の会話から置いていかれる叶汰。二人の間には、世間の言う「正しい言葉」は何一つ必要なかった。リアが震える指先で差し出した大麻の煙を叶汰が吸い込み、叶汰が分け合った錠剤をリアが口に含む。薬物が脳を麻痺させていく薄明のなかで、二人は初めて、誰の所有物でもない自分たちだけの呼吸を取り戻していった。
言葉にならない苦痛を薬で黙らせ、ただ寄り添い合う。それは、世間の優しい正論から隠れるための、二人だけの深く美しい防空壕の始まりだった。




