25.いろはの話(9)‐サム視点‐
(※)本作品には、暴力的表現、児童虐待・養育放棄の描写が含まれます。
幼少期の不遇な描写が苦手な方はご注意ください。
いろはの見舞い後帰宅するとパールが家の中で忙しそうにしていた。
「パール!家事は僕がするって言ったろ!休んでいないと!」
「だって、みんな大変な事になってるのに……私だけ休むなんてできない!
動き回っていないとどうにかなってしまいそうなのよ!」
「それでも、今は自分の体を大事にしてほしい!」
取り込んだ洗濯物を抱えたパールごと抱きしめる。
洗剤の香りと、乾かした洗濯物の温かさがふわっと広がった。
「本当に、心配をかけたね。
スマラグはまだ目を覚さないけど、いろは君は元気になってきているよ。
君はスーカにミルクをあげるのが仕事だろう。僕にはできないからね。それ以外はしっかり休んでほしい。
何のために僕が研究所を休んでいるか、分かってる?」
「分かってるけど……
…………!!あなた、お茶してきた?甘い香りがする!ずるい!」
「バレちゃった。でもちゃんとお土産買ってきたんだよ。」
テイクアウトしたケーキの箱を急いで持ってきて、パールが抱える洗濯物と交換する。
彼女も所長と同じく思い詰めた表情をしていたが、少し肩の力が抜けたようだ。
「さあ、交代だ。これは僕が片付ける。君はケーキを食べておいで。」
「……ありがとう。」
彼女は嬉しそうに微笑む。
洗濯物を畳んでいるとケーキを頬張りながら、パールが弾けたように言う。
「そう!ポケットに物を入れないようにっていつも言ってるでしょう!?
危うく一緒に洗濯しちゃう所だったわよ!!
これ、仕事で使う物じゃないの?」
そう言って受け取った物を見て汗が吹き出る。
「……いろは君から預かってたのを、すっかり忘れてた!」
いろはが気を失う前に託された『証拠』となるデータディスクだった。
もうすでにシルエは逮捕されているが、いろはは家で確認するように言っていた。
「なんでそんな大切なものをポケットに入れっぱなしにしてるのよ!」
パールは長い溜息をつく。
僕はいつもポケットに入れた物を取り出し忘れ、よく怒られるのだ。
パールが確認してくれて本当に良かった。
スーカは今、ベッドの中ですやすや眠っている。
この子だけがこの騒動とは離れた場所で、安心の中眠っている。
起こさないように静かに移動しPCへディスクを差し込む。
すると画面が動かなくなり、操作が一切できなくなった。
無数のコマンドラインが次々に起動し、見ていることしかできない。
「これ、ウイルスじゃないの!?」
隣でパールがあわあわし始めた。
一瞬画面が止まり
――――――――――――――――――――――――
!サムさん、パールさん、ごめんなさい!
回線借りるね
全部終わったらチップは捨てて!
!他言無用!
――――――――――――――――――――――――
とポップでカラフルなメッセージが表示された。
為す術もなくまた無骨なウインドウが忙しなく動き始める。
様々な文書や写真、動画など、メーラーが起動し次々にどこかへ送信されていく。
電源を切ろうとしても、それすらも一切できなくなっていた。
「一体、どうなっているの!?」
「わ、分からない。いろはくんは『証拠』だって言っていたけど……」
スマラグが事故に遭う前にいろはに託したのだろうか……
ワケも分からずただ呆然としていると、パールが背中を叩く。
「あなた!見て!」
パールはテレビを指差して固まっている。
先ほどまでお昼のバラエティ番組が放送されていたはずだが、女が人を海へ突き落とす映像が繰り返し流れていた。
お昼のサスペンスドラマでも始まったのか?と一瞬思ったが、切り取られたような映像がループしていて何か変だ。
よく見ると、映っている男女は、スマラグとシルエだった。
僕たちは、海に落ちそうになったシルエを助けようとし、スマラグが誤って海に落ちてしまったと聞いていた。
これは、街の至るところに設置されている防犯カメラの映像だろうか?
画面が切り替わる。
女性が海辺にしゃがみ込み、何かをしている様子が映る。
「シルエ!危ないよ!一体何をしてるんだ!」
スマラグの声だ。
今度は定点カメラでなく、スマラグ視点のようで、シルエの手には小瓶が握られている。
「そんな格好で、一人で海に近づいたら危ないって知ってるだろう!?」
「あぁ、びっくりした!
……あなたこそ!どうしてここに?病院にいるんじゃなかったの?
体調は良くなったの?出歩いたりなんかして、大丈夫?」
微笑みながら、猫なで声でスマラグに話しかける。
「こんな、日が暮れる前に海に近づいて、落ちたらどうするんだ!
……それは、海水を瓶に詰めているのか?危ないから、早く捨てなさい!」
今まで自分の言いなりだったスマラグとは違う、ということに気がついたシルエは態度を一変させる。
「あなたには関係ないでしょ?
こんなところまでついて来ないで。早く病院へ戻りなさいよ。」
「とにかく、その瓶の中身を捨てるんだ。」
「嫌よ。話しかけないで。触らないで!!!!!」
取り上げようとしたスマラグを瓶を持った方の手で殴りつける。
「やめなさい!とにかく、その瓶を地面へ置いて!」
「分かったわよ。はい。」
そう言い、波打ち際のすぐ側に瓶を置いた。
スマラグがそれを拾おうとしゃがんだ瞬間、女がスマラグを海へ突き落としたのだ。
水中に漂う無数の空気泡がしばらく画面いっぱいに映し出される。
落ちたスマラグは自力で海から上がる。
「シルエ……何をす………ウウッ……
救急車を……きゅ……急車を……呼ん…で……」
息も絶え絶えに頼むが、
女は心配する素振りすら見せず、スマラグを冷たい目で見下ろし、無視した。
「あー……だるっ。
…………フフフッアッハハハハハハハ!
でも、もうこれでチマチマ食事に海水を混ぜる必要もなくなったわ!
ちょうど良いわ、そのまま死んで?」
「おーーーい!大丈夫ですかぁ!!!?」
「キャーーーっっ!夫が海に落ちました!助けてください!!!」
たまたま通りかかったであろう人達の声が遠くから小さく聞こえている。
他人に見られていると気付いた瞬間に女の態度が変わる。
スマラグはもうすでに意識がないようで、映像は動かなくなっていた。
あまりに残酷な事実に、2人は動けない。
夜が来て、暗くなりつつある空が映る画面の向こう側で、通行人が手際よく助けを呼ぶ音声だけが流れていた。
この人たちが駆けつけなければ、スマラグはどうなっていただろうか。
画面を見ながら座り込むパールの肩を抱き、2人で身を寄せ合う。
すると次に、女と男が仲睦まじく腕を組んで歩いている映像や、写真に切り替わる。
もちろん女側はシルエだ。
「……この人、見たことあるわ……
保護施設の受付で私を追い返したおじさん。
この人も、この、女の人も……」
パールは顔面蒼白のまま、力なくつぶやく。
親密な様子で密会をしているであろう映像が代わる代わる映し出される。
どの人も男女関係なく、かつてのスマラグと同じようにシルエににうっとりとした様子だ。
知らない人も多く写っているが、何か今回のことと関わりがある人物なのだろう。
セヴァたちが通う保育園の理事長と、園長が映った時、テレビの電源を僕は切った。
もう良い、もう十分だ。
PCの方を見ると、先程までの動作は停止していて、いつもの画面に戻っていた。
操作もできるようになっている。
震える手でデータディスクを抜き取り、電源を切った。
次回でいろは編おしまいです!




