王妃様の謝罪
乾いてひび割れた唇に、魔法薬が染みこんでいくようだった。
「母上、飲めるか」
「ミラ様、頑張ってください……」
王妃ミラはこんなにやつれていただろうか。
その細い手首や鎖骨がおそろしく浮き出た首元や、筋張った首は――毒のせいでなくても病的なほどに痩せている。
ルティナは、本当に今まで自分のことしか考えていなかったのだと――記憶の中の美しいミラの姿よりもずっとやつれて疲れ果てて見えるミラ姿を目のあたりにして、反省をした。
ミラはずっと、立ち向かっていたのだろう。
自分の境遇に。苦しみを悟られないようにしながら。
カイネルードをずっと守っていたのだ。
「ミラ様。これからはミラ様のことを私も、カイネ様と一緒に守らせてください。苦しい思いはさせません。ですから、どうか頑張ってください……!」
祈りが届いたように、口の中に入れられた魔法薬を、ミラは喉をこくりと動かして飲み込んだ。
喘ぐように苦し気だった呼吸が、次第に穏やかなものへと変わっていく。
土気色だった頬に、赤みが戻ってくる。
カイネルードとエミリオは、ミラの体をベッドに横たえた。
皆が見守る中、ミラの瞼がぴくりと動く。
それからゆっくりと瞼が持ち上がった。
「――カイネ、ルティナ」
「母上」
「ミラ様!」
助けを求めるように差し出された手を、カイネルードが握った。
ミラはぱちりと目を開いて、部屋を見渡す。それから安堵したように深く息をはいて、口元に微かな笑みを浮かべた。
「カイネ、ルティナ。皆――私を助けてくれたのね」
「母上、無事でよかった。ルティが、解毒剤をつくってくれました。俺は、何もできませんでした。……申し訳ありません、母上。俺が目を離していたばかりに」
「そんなことはないわ。……私も、気をつけていたの。信用できる侍女の用意したものしか、口にしないようにしていたのに。迂闊だったわ」
起き上がらせてとミラは言う。カイネルードはミラの体を優しく起こすと、その背に背もたれのクッションを敷き詰めた。
ミラはルティナに手を伸ばす。
遠慮がちに近づくルティナの手を握り、優しく微笑んだ。
「とても――すっきりしているわ。長い夢から覚めたみたいに。ありがとう、ルティナ。あなたが私を助けてくれたのね」
「いえ、私は……」
「あなたには助けられてばかりだわ。カイネも、あなたに救われた。そして、私も」
「私は、何も」
「十分すぎるぐらいに、あなたは私たちを助けてくれた。カイネはずっとあなたに甘えていたでしょう、あなたの優しさに。私があなたの母――マライアに甘えていたように」
「お母様に……」
ルティナの母マライアは、ミラの友人なのだという。
けれどルティナは、マライアからミラの話を聞いたことがない。
人と関わることを避けていたせいだ。会話も極力しなかった。
マライアは細かいことを気にしない大らかな母だ。ルティナがしたいようにさせてくれていて、小言を言われた記憶もない。そこにいるだけで周囲を明るく照らすような人だから、ルティナは母と話すと余計に気後れしてしまっていた。
どうして――私は、母のようになれなかったのだろうと。
「ルティナ。学園で、マライアと過ごした時間だけが私にとっては慰めだった。皇帝陛下との婚約が定められていた私は、自分が不幸になるだろうことが分かっていたの。マライアと一緒にいる時間だけが、私にそれを忘れさせてくれた」
「お母様とミラ様は、仲がよかったのですね」
「ええ。恋――といっても過言ではないぐらいに、私はマライアが好きだった。いつも明るくて、楽しくて、彼女は私の光だった」
皆が、静かにミラの言葉を聞いている。
それほど心を通じ合わせた友人がもてるというのは、どんなに幸せなことだろうとルティナは思う。
母は、幸せだ。ミラにこれほどまでに思って貰っているのだから。
「マライアが王都に来るのを知った時、私はとても嬉しくて眠れないほどだった。カイネにも、あの場所で――辛い思いをさせてしまっていたから。クオンツとルティナ、マライアの子供たちと出会えばきっと仲良くなると思っていたの」
「カイネ様は、私の友人になってくださいました」
「それは違うわ、ルティ。寂しかったのは、カイネ。寂しかった私がマライアに迷惑をかけてしまったように、カイネもあなたに迷惑をかけた。……私もずっと、自分勝手だった。あなたが怪我をしたとき、心の奥底では、これであなたは誰とも結婚ができない、カイネと結ばれるはずだと――喜んだのよ」
ミラは声を震わせて、それから毅然とした態度で顔をあげた。
「これは、自分勝手な私への罰だわ。後宮は、おそろしい場所だと知りながら――あなたをカイネの妻にしたいと望んだ。あなたが傷を負った時、カイネと結婚したらいいと言ったわね、私」
「……そうだったでしょうか。あの時のことは、ぼんやりしていて」
「言ったの。本心だった。カイネが、私がルティナに魅了をされていると言って誤魔化さなければ、強引に話を進めていたわ。……そうすれば、マライアと繋がっていられると思ったの」
それは――自分勝手なことだろうか。
仲の良い友人の娘と自分の息子を結婚させたいと思うのは、そう珍しいことではない。
ただ、ミラやカイネルードの立場が、ミラに罪悪感を抱かせている。
「ごめんなさいね、ルティナ。……ごめんなさい」
「ミラ様……私は、カイネ様に望んでいただけて嬉しく思っています。自分のことばかり考えていて、自分勝手だったのは私です。カイネ様の隣に並ぶことが怖くて、皆から相応しくないと思われるのが怖くて。人の目ばかりを、気にしていたのです」
ルティナの傍にはいつでも、ルティナを糾弾する目があった。
誰もいなくてもずっと見張られている気がしていた。
だからカイネルードが向けてくれる好意を、素直に受け止めることができなかったのだ。
ルティナの周囲にいる大多数の無関係な人間たちの顔色ばかり窺って、ルティナを大切にしようとしてくれる人を傷つけてしまった。――愚かで、恥ずかしい。
「カイネ様が好きだったのに。……好きでもない人のために、窓を開けたりしないのに。そんな簡単なことに、ずっと気づけなくて」
「窓?」
「……はい、窓を。……ミラ様。これからは、ミラ様のお傍にいるのはカイネ様とお母様だけではありません。私や、お兄様やお父様も。そして、私が子を産んだら、その子たちも。ミラ様の人生が彩られるように、頑張らせてください」
「カイネと、ルティナの子……私の、孫たち……」
ミラの頬が、喜びに紅潮した。ルティナの手をきつく握りしめて俯く。
ぽたぽたと、繋がれた両手に涙の雨が降り注いだ。
それは悲しみのものではない。
喜びの慈雨だった。
「……ルティ。……ありがとう。」
カイネルードが小さな声で呟いた。
セシアナが感極まったように泣き出して、クオンツが「落ち着いて、セシアナ」と言いながら慰めている。
すぐにエミリオも、セシアナにつられたように泣き出したので「もう、好きに泣いていいよ」と諦めたように笑った。




