解毒剤
カイネルードの自室のベッドに、ミラは寝かされていた。
男子寮には女性は入ってはいけないが、今はそんなことを言っている場合ではない。
カイネルードの部屋はルティナの部屋とさほど変わらない。
大きいが古いデザインのベッドは年季が入っているが、よく手入れをされていて立派なものだった。
ベッドに横たわるミラの顔は、青色を通り越して土気色に変わろうとしている。
ミラの傍にはセシアナがいて、銀のたらいに水を入れて、布を絞ってその顔や手を甲斐甲斐しく吹いていた。
「殿下、お嬢様! エミリオ様という方に、王妃様の傍にいるように言われて……これは一体」
「エミリオは?」
「お医者様を呼びに行きましたが、まだ帰ってきていません。誰が信用できるのか分からないとおっしゃって……」
カイネルードはセシアナに「ありがとう」と礼を言った。
セシアナはルティナの侍女である。そのため信用できると判断されて、ここに連れてこられたようだ。
エミリオというカイネルードの側近を、ルティナは知っている。
何度か挨拶を交わしたことがある。寡黙で真面目そうな大人の男性という印象だった。
ルティナはミラに駆け寄り、その手を取る。
脈が細く、呼吸が浅い。
今にもその命は消えて行ってしまいそうだった。
「カイネ様、ミラ様は何の毒を飲まされたのか、お分かりになりますか?」
「ヘルゲナの根の毒だ。後宮では度々使われるものだ。首と腕に、赤い湿疹が出ている。母の命は――あと数時間だ」
「ヘルゲナの根……」
ヘルゲナとは美しい白い花を咲かせる植物だ。
花は美しいがその根には毒がある。ひと齧りするだけで、獣も人間もたちまち命を落とすために、別名暗殺者の花と呼ばれている。
どこでも手に入るようなものではない。高山の上方に咲く花で、登山者の中ではけして触れてはいけないと有名な花である。
「すぐに命を落とさなかったのは、毒を全て飲まずに吐き出したからだろう。だが、それが母を余計に苦しませる結果になってしまった。ヘルゲナの根には解毒剤がない。口にしたら、死の運命から逃れることができない」
ならばいっそ――と、言いたげな口ぶりでカイネルードが言う。
感情的に泣き叫んだり、怒鳴り散らしたりもしないカイネルードの姿が、ルティナの瞳には切なく映る。
そうして、どれほどの感情を今まで抑え込んできたのだろう。
辛いことも苦しいことも、自分の中に押し込んで。
ルティナの記憶の中のカイネルードは、いつでも楽しそうに笑っている。
その心の奥にどれほどの苦痛を抱えていたのだろう。
「一体、どうしてこんなことに……」
「アルヴァイスと、アラベルと皇帝が――俺から皇太子の地位を取り上げたいがために、画策したようだ」
「酷い……」
白い竜が、アルヴァイスの体を床に放り投げた。
拘束されて動けないまま床に転がっているアルヴァイスは、意識を失っているようだった。
殺されそうになり――その恐怖で心が限界を迎えたのだろう。
「すまなかった、セシアナ。助からない分かっていながらも、エミリオには医者を頼んだ。あなたなら信用できると思い、あなたに母の世話を頼んだのだろう」
「それは、光栄なことですが……王妃様は……」
セシアナは顔を曇らせた。
ミラは昔から、クワイエット家に遊びに来ていた。セシアナは「なんてこと……奥様がどれほど悲しむか……」と言って、涙をぬぐった。
ルティナはきつく、両手を握りしめる。
このままミラが命を落としていいはずがない。
ミラは――ミラもまた、カイネルードと同じで、ルティナの魅了の力を知ってもルティナを恐れたりしなかった。
ルティナを嫌っていれば、カイネルードとのことできっと嫌味の一つでも言われていただろう。
けれどそんなことは、一度としてなかった。
カイネルードにとっても、ただ一人の母親だ。こんな形で失いたくはない。
「カイネ様……解毒剤を、作ります」
「ルティ。ヘルゲナには、解毒剤がないんだ」
「今までに、あらゆる魔道具の書物を集めました。その中の一冊に、どんな毒でも解毒できる、魔法薬がのっていました。著者は、フォドレア」
「フォドレア……?」
「はい。……私ずっと、フォドレアに襲われたことを忘れていましたから、封魔の首飾りがもし壊れてしまった時のことを考えて、予備を作りたいと思ったのです。ですから、フォドレアの書物を集めていました」
もし、襲われた記憶が残っていれば、そんなことはしなかっただろう。
フォドレアとは恐ろしい存在だ。
ヴァレリーが倒してくれたが、カイネルードを殺されそうになった事実が変わるわけではなく、恐れ、忌避して、その名前を見るのも嫌だっただろう。
けれど、ルティナには記憶がなかった。
だから、フォドレアを尊敬できる大魔導師だと思っていたのだ。
「フォドレアの書物など、残されているのか」
「はい。あるところには、あるのです。お父様は私に甘いですから、お願いしたら――探してくださって。私は、カイネ様や、お兄様や皆に甘やかされていたのだと、つくづく思います」
「ルティ、皆、君が好きなんだ。だから君のために役に立ちたいと願う」
「――私も、皆の、カイネ様の役に立ちたい。王妃様を救いたい。……試させて、くださいますか?」
「あぁ、もちろん」
いつの間にか――ウリちゃんが、ルティナの足元にちょこんと座っていた。
ウリちゃんはきらきらした瞳でカイネルードの聖獣を見ている。
『レド!』
『ウルリカ』
ウリちゃんが唐突に、可憐な声でしゃべった。
白い竜――レドも、少年の声でウリちゃんに話しかける。
ウリちゃんは黒マメシバの姿から――小さな、黒い竜に姿を変えた。
小さな黒い竜は、角に可愛いリボンをつけている。
レドに向かってすいっと飛んでいくと、じゃれつくようにその鼻頭をレドの体に擦り付けた。
「ウリちゃん……?」
『あ……嬉しくて、とうとう話をしてしまったわ。聖獣は話をしてはいけないと決まっていたのに……声がでないように、なっていたのに。ルティ、魔道具を作るのでしょう。私が研究室に連れて行くから、乗って』
ウリちゃんは話はあとだと言わんばかりに、ルティナの元に飛んでくると、ルティナの服を咥えて引っ張った。
「俺が、転移魔法でルティと共に行こう」
『馬鹿ね! いつも馬鹿だと思っていたわ、だから嫌いだったのよ! アルヴァイスとセシアナを二人きりにするつもり? 王妃様の傍にいてあげなさい、カイネ。ルティのことは私に任せて』
噛みつく勢いでカイネルードを威嚇するウリちゃん――ウルリカに、レドが『ウルリカ、相変わらず気が強いね』とのんびり言った。
「カイネ様、すぐ戻ります。セシアナ、王妃様をお願いね」
ウリちゃんに引っ張られながら、ルティナは部屋の大きな窓から外に続いている広いバルコニーに立った。
人が一人乗れるぐらいの大きさになっているウルリカが、乗れと言って姿勢を低くする。
捕まる場所がなさそうだと困っていると、ウルリカの体が輝いて、その体に馬具のようなものが現れた。
持ち手の綱と、座るための場所。足を掛ける場所。
一人で馬に乗ったことはないが、なんとなくは理解している。
足をかけてウルリカの体に飛び乗ると、ウルリカはバルコニーから空へと飛び立った。




