王妃の暗殺
ルークスレドとの契約を終えたカイネルードの前には、問題が山のように積みあがっていた。
皇帝とは多くの妻を娶らなくてはいけないという古い考え方。ルティナは王妃に相応しくないという貴族たちの声。クワイエット公爵の許可、など。
だがそれは、エルナン王に打ち勝ち、聖峰を踏破することに比べればたいしたことではなかった。
ルークスレドを呼び出す力を手に入れた証に――いつもは隠している聖獣レドを、クワイエット公爵には見せた。
小さな白い竜の姿をしているレドを見ると、クワイエット公爵はエルナン王の件も含めて「よく努力しましたね、殿下。今まで、娘が大切だということに盲目で、意固地になっていました。申し訳ありませんでした」と、ルティナとの婚約を認めてくれた。
サラデイン皇帝も、ルティナを娶ることを認めた。
そこにはルティナの持つ力を皇家の役に立てたいという下心が透けて見えたが、カイネルードは黙っていた。
皇帝やその周囲の思惑がどうであれ、ルティナと結婚できるのならば余計な波風を立てる必要はない。
彼らは老いる。そして、死ぬ。
もしカイネルードに口出しをしてくるようなら、エルナン国王のやり方を見習えばいい。
つまり――力だ。
他者を圧倒するほどの力があれば、誰も文句は言わない。
やらなくてはいけないことは多くあったが、ルティナと再会してからのカイネルードはずっと幸せだった。
確かにルティナは何かに怯え、カイネルードに心を開いてはくれなかった。
好きだと言ってくれたルティナは、そこにはいなかった。
蛍の原野でのことは、二人の間からは消え失せて、埋められない空白がそこにはあった。
フォドレアも、ヴァレリーも。
離れていれば恋心など忘れる。幼い頃の恋心など気の迷いだと言った。
しかし、カイネルードのそれは募る一方で、ルティナに再会するとさらに燃えあがるようだった。
怖がらせないように、自分を抑えるのに必死だった。
ルティナ以外何もいらないのだと、全てを投げだしたくなる自分を心の奥底に閉じ込めた。
あの日のやり直しのように、ルティナに愛を捧げ続けて――そうして、ようやく気持ちが通じたと思った時には、泣きたくなるほどに幸せだった。
全てが順調に進んでいる。
ステラは邪魔だが――ルティナはステラを友人だと思っている。
それならば、放っておくしかない。あまりにも目に余るようなら、エルナン王に伝えて、国に返そう。
アルヴァイスの動向も気になるが、今は罪に問えるようなことはなにもしていない。
そして――王妃ミラの凶報が届いたのである。
「ミラ様がお倒れになりました」
青ざめたエミリオに言われて、カイネルードは急いで後宮へと向かった。
学園に通い始めてから、後宮にはあまり帰っていない。
時々母に会ってはいたが、いつもと変わりなく穏やかに「特に変わったことはないわ。ルティナとはうまくいっているの?」といって、笑っていた。
具合が悪そうな様子もなかった。
病気であることを隠していたのだろうか――。
そう思い後宮に向かうと、ミラは相変わらずの質素な屋敷の質素な部屋のベッドで、深く目を閉じていた。
血の気を失い、呼吸が細い。その姿は、かつてのルティナの姿を連想させた。
喉の奥に氷塊が詰め込まれたような気持ちで、カイネルードはミラの細い手首に触れる。
弱いが、まだ脈がある。
「何があった」
ミラの傍にいる侍女たちは、皆、アラベルの手先だ。
知らないと首ふる彼女たちに、カイネルードははじめて怒りをあらわにした。
今までのカイネルードは、後宮の中で己の感情を出したことはなかった。
感情を出せばすぐに足元をすくってくるような人間が数多くいたからだ。
「立場を分かっていないようだな。――黙っているつもりなら、一本ずつ指の骨を折るが、構わないな」
「も、申し訳ありません……! いつも通りにお茶を、淹れました。それを飲んだ途端に、ミラ様はお倒れに……っ」
昼食の時だそうだ。
食前の茶を飲んだミラは、その茶を吐き戻した。
そして、椅子から崩れ落ちたのだという。
「……毒だな。母上が、吐いてくれてよかった。エミリオ、母上を学園に連れていく。俺の部屋で休ませる。医者を呼べ」
「心得ました」
カイネルードはミラを連れて転移魔法で自室に戻り、ベッドに寝かせた。
この五年間、カイネルードは母を顧みることはあまりしてこなかった。
母の置かれていた環境は相変わらずひどいもので、カイネルードとルティナのことがあってからは、クワイエット公爵家に遊びに行くこともなくなってしまっていた。
時折、クワイエット夫人が母を連れ出してくれていたようだったが、それも度々というわけにはいかない。
元々細かった母は、いつの間にかさらに細くやつれてしまっていた。
「すまなかった、母上」
誰がこんなことをしたのかなど、分かっている。アラベルか、アラベルの息がかかったものだろう。
まずはミラを殺し、それからカイネルードを殺し――アルヴァイスを皇帝の座に据えるつもりだ。
その罪を――吐けと言ったとろこで、恐らくは口を割らない。
もしかしたら、サラデイン皇帝――父も、母の暗殺に加担している可能性もあるのだ。
「……そうだ。自白剤がある」
ふと――ルティナが作った失敗した頭痛薬について思い出した。
それは今でも、大切に保管している。
カイネルードはエミリオに母を任せると、再び城に向かった。
皇帝とアラベルは、アラベルの豪華な屋敷で睦み合っていた。
もうよい年だろうにと呆れながら、カイネルードは無遠慮に二人のいる寝室へと踏み込む。
何しに来たのだと怒る皇帝とアラベルを魔法で拘束して、その口に錠剤を押し込んだ。
「母に毒を盛ったな」
「そうよ……! 全ては、あの子のため。アルヴァイスに頼まれたの。ミラを殺せと。もう我慢はしなくていい、魅了の力が手に入るのだから……そのために、ミラを手にかけて、カイネルードを足止めしておけと言われたのよ」
「お前など私の子供でもなんでもない。何が光の精霊の加護だ。アルヴァイスが私の子だ。お前などいなければ……ミラなど、いなければ……!」
「何の毒を飲ませた」
「ヘルゲナの根よ! 解毒剤はない。助からないわ。私から全てを奪った罰よ!」
ミラは――アラベルから何も、盗んでいない。
ずっと不遇の人生を生きてきたのだ、文句も言わずに。
(母上の命を奪い、ルティナまで奪うつもりか)
激しい怒りに心が黒く染まりそうになるが、カイネルードはその怒りを腹の底へと押し込んだ。
他者への怒りよりも、自分の無力さが憎かった。
二人はそれからも何かわめき続けていたが、カイネルードはそれ以上二人の話を聞くことはなかった。
アルヴァイスが仕組んだのだ。
ルティナに危険が迫っている。
――俺はまた、何もできないのか。
絶望に心が曇りそうになる。カイネルードがルティナの元に向かうと、ルティナは――今まさにアルヴァイスを殺そうとしているヴァレリーに向かって、必死にやめてと叫んでいた。




