つかのまの、さよなら
転移魔法で公爵家にルティナを連れて戻った。
ルティナをベッドに寝かせて、カイネルードはその手を握る。
ゆっくりと深く呼吸を繰り返しているルティナの青白い頬を撫でた。
「ルティ……すまない、ルティ」
ルティナの手には、引きちぎった封魔の首飾りがきつく握られている。
こんなもの――と、その手から奪おうとした。
「……お願い。私の、大切なもの、だから。とらないで」
眠りについている筈のルティナが、譫言のようにそう言ったので、カイネルードは首飾りを無理やり奪い取ることをやめた。
「カイネ様から、いただいた、から……」
ルティナを抱きしめたかった。許されるのなら、抱きしめて――城に、攫ってしまいたかった。
役立たずで自分勝手で、自己愛に満ちている。
ヴァレリーに言われた言葉が、カイネルードの心臓を抉った。
その通りだと、思う。
しばらくすると、バタバタと部屋の外が騒がしくなった。異変に気付いたのだろう、クワイエット公爵が部屋に現れた。
カイネルードの元に真っ直ぐ進んでくると、思い切りその頬を張った。
大人から殴られたことなど、カイネルードは一度もない。
叱られたことも、一度もなかった。
皇帝はカイネルードを見ようともしなかった。
カイネルードに寂しい思いをさせないためか、その分ミラはカイネルードに優しかった。甘やかされていたといっても過言ではないぐらいに。
「殿下。今まで、あなたの境遇を思い好きにさせていた。だが、二度もルティナに怪我を負わせた」
「申し訳ありません、クワイエット公」
「何があったかは、手紙に書け。今すぐ立ち去れ。二度とルティナには近づくな」
「しかし、僕は……!」
「殿下。ルティナは私の大切な娘だ。一度目で反省をしたかと思ったが、これで二度目だ。あなたは怪我をしていて、ルティナは魔力枯渇を起こしている。そのような状況に陥ったのは、あなたに責任がある」
それは、その通りだった。
公爵はカイネルードから話を聞かなくても、何かおそろしいことが起こったことは理解したのだろう。
カイネルードは深く頭をさげた。
それから、ルティナの傍から離れた。
「必ず、まともな男になります。……ルティを守ることができる男に。本当に、申し訳ありませんでした」
「……殿下。殴って悪かったな。あなたに感謝をしている。あなたがいてくれたから、ルティナの傷は少しずつ癒えていっている。それは理解している」
「公爵。……時間をください。僕が、あなたに認められるような男になれば、ルティに会わせていただけますか?」
クワイエット公爵はしばらく押し黙っていた。
考え込むように腕をくんで、それから顔をあげると頷いた。
城に戻ったカイネルードは、手紙を書いた。
フォドレアのことを。そして、ルティナが救ってくれたことを。
ヴァレリーとの約束は書かなかった。それは、ヴァレリーとカイネルードだけの秘密だ。
城に戻ったカイネルードは、城の文献をろくに寝ることもなく漁った。
ヴァレリーに勝つためには、ルークスレドを呼び出すことができる力を手に入れなくてはいけない。
精霊の加護とは生まれたときに決まるもの。
今のカイネルードにはその力がない。
持ち出し禁止になっている、禁書の間に連日籠り続けて、ついに見つけた。
『精霊界に行く方法』
その古びた本には、精霊に直接会う方法が書かれていた。
それは、天まで届くほど高い切り立った岩山である『聖峰イムソムニア』を登り切った先で願うこと。
しかし、イムソムニアには人々が立ち入れないように、不思議な力で守られている。
そこに立ち入った瞬間に、魔力枯渇を起こすのである。
そこには多くの門番の獣がいる。魔力枯渇を起こした状態で門番の獣と戦い、頂上まで登り切った者にだけ、精霊界への扉が開かれる。
とても無理だ――とは、思わなかった。
カイネルードは、ルティナと結ばれるためならなんでもすると決めたのだ。
半年後、公爵から返事が来た。
ルティナが目覚めたのは、あれから数か月後のことだったらしい。
数か月はずっと、夢の中にいるような状態だったようだ。
ルティナは何があったか覚えていない。思い出したくないぐらいにおそろしい思いをしたのだろう。
手紙も、花も、贈り物も。
ルティナに届けずに捨てていると書かれていた。何も送ってくるな、とも。
カイネルードとステラの婚約の話が出たのはその直後のこと。
カイネルードはエルナン王国に赴き――そうして、希望と出会った。
エルナン王国の騎士たちは、ワイバーンに魔法を使わずに立ち向かう。
場合によっては、素手で戦い、殴り倒すこともあるのだという。
リアスの元で鍛錬を積んだ。その間、ステラが色々と話しかけてきたが、あたりさわりのない返事をしておいた。興味がなかったのだ。いらない諍いをうみたくない。
サラデインの皇太子として相応しいふるまいは身についているつもりだった。
ルティナの望んでいる自分の姿――明るく希望に満ちて、誰にでも優しい男を演じることは、容易かった。
魔法を使わない生活というのは思いのほか難しく、同じ人間だと思えないほどの武力を誇るエルナン王に、帰還命令の出る二年後にはまだ勝つことができなかった。
エルナン王国から帰還してからは、時間を見つけては聖峰踏破に挑戦をしていた。
「殿下は、何故ルティナに連絡を取らないのですか? ルティナが可哀想だ。父との約束など、とっくに果たせているのではないですか。せめて父と話したらどうでしょうか」
学園で再会したクオンツには苦言を言われたが、カイネルードはその提案に頷かなかった。
エルナン王にも勝てていない。聖峰踏破もできていない。ワイバーンも素手で、倒せていない。
とても、クワイエット公爵に認められるような男にはなっていない。
それから二年。
カイネルードはエルナン王に勝ち、ワイバーンを魔法を使わずに倒せるようになった。
聖峰にのぼり、精霊界の扉を開き――。
『よくここまで来たね、カイネルード』
極彩色の花や鳥であふれた精霊界で出迎えてくれたルークスレドに挨拶をした。
『君の事情は知っている。君を見ていたら、久々に妻の姿を見ることができた。嬉しかったよ』
「ヴァレリーと仲違いでもしたのか?」
『そうだよ。そもそも、私たちが精霊界に移り住んだのは、喧嘩が原因だった』
植物を編んで作ったような玉座に座った光の王は、悩まし気に溜息をついた。
『かつて人間たちは私を神と呼んだ。私たちにとっては人間とは、可愛い子犬のようなもの。まぁ、悪い気はしなかったし、子犬を守るように人間を守っていたんだ』
「子犬……」
ヴァレリーにそう呼ばれたことが脳裏をよぎり、カイネルードは苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべそうになることに耐えた。
『やがて人間たちは私に多くの貢ぎ物をするようになった。その中には、サラデインの姫も含まれていた。私たちは人の営みなどどうでもいいことだったが、人というのは身分を作りたがるのだろう。サラデイン皇帝が自分の権力を維持するために、サラデインの姫を私に捧げたのだね』
「……それで、ヴァレリーは怒ったのか」
『それだけでは怒らなかった。不愉快には思っていただろうが。私はサラデインの姫が不憫で、城には戻れないと泣く彼女を傍においた。子供が欲しいと乞われたために、情けを与えた』
「浮気では」
『子犬を可愛がるのと同じ――だったのだけれど。子ができると、姫はヴァレリーに対して不敬な態度をとり始めた。精霊は、人間のように子を産むことはない。力を混ぜ合わせて精霊をつくることができる。そうして私はヴァレリーと共に世界をつくったのだから』
――子供も産めないくせに。
そう、彼女はヴァレリーを馬鹿にしたのだという。
ヴァレリーは怒り狂い、その怒りはサラデイン皇国を滅ぼしてしまうほどだった。
ルークスレドはヴァレリーを拘束して、全ての精霊を連れて精霊界をつくり、移り住んだ。
精霊たちが人と関わってはいけない、ヴァレリーには可哀想なことをしてしまったと、深く反省をしたのである。
『私は、ヴァレリーに謝り続けたよ。でも、彼女は私を許してくれなかった。そうして、私の元から逃げ出して、十三の使徒たちを連れて、どこかに消えてしまった』
「精霊界にヴァレリーはいないのか」
『どこかにはいるよ。隠れていて、見つからない。私には会ってくれない。きっとずっと、子を産めないと言われたことを気に病んでいたのだろう。過去、ヴァレリーに深く信仰を捧げていたクワイエット家の子孫に、自分の加護を与えるようになった。まるで、子供をかわいがるように』
特別可愛い子には――多くの力を与えた。
魅了の加護もその一つ。
愛しい我が子が皆から愛されるように。自分のように、苦しい思いをしないように。
腕に閉じ込めて愛玩動物を可愛がるように、可愛がって、可愛がって。
そうして――ルティナのことは、連れて行こうとした。




