ヴァレリーとの約束
フォドレアは不思議そうに、宝石の柱とヴァレリーを見比べた。
「闇の大精霊……? 魔封じの結界の中にいるのに」
『ふん。甘くみるな、小僧。貴様らなど所詮、妾たちの威を借りた狐じゃ。妾たちの魔力を吸い上げただけの存在が、妾に勝てると思うな。妾のルティナの魔力は、貴様の魔力封印ごときで封じられるようなものではない』
「そうか、ますます欲しくなってしまったな。その体を開いて、中身を見てみたい。魔力を搾り取って、実験材料にしたい」
『まったく、気分の悪い。言うたであろう、貴様は妾には勝てない』
ヴァレリーの手の中に、その背丈の二倍以上の大きさがある漆黒の鎌が現れる。
優美な女性の姿をしたヴァレリーは、その鎌を軽々と掲げると、容易くワイバーンを切り裂いて、それから――宝石の柱を砕いた。
宝石の柱が砕かれたのなら、魔法が使える。
肉塊に成り果てたワイバーンの中から体を起こしたカイネルードは、詠唱を唱えようとした。
言葉を口にしようとすると、口から血液が噴き出した。
ワイバーンの足の下で、口の中か内臓に傷を負ったのだろう。全身が千切れるぐらいに痛んだが、これ以上――何もできずに情けない姿をさらすのなら、死んだほうがいい。
「切り裂け!」
封じられていた魔力が、体に戻ってくる。
魔力を封じられるというのは、苦しい。まるで、首を絞められているようだ。
ルティナはそれに耐えている。それがどれほど大変なことなのかを思い知った。
そして同時に――己の無力さにも。
こんな自分では、とてもルティナに好きだなんて伝えることはできない。
もう手遅れだが、伝えるのが早すぎた。
フォドレアの周囲を、何本もの光の剣が取り巻く。
フォドレアはルティナを片腕に抱き、その周囲に黒い膜を張り巡らせた。
倒れ込みそうになる自分を叱咤しながら、カイネルードはルティナの元に駆ける。
ルティナに手を伸ばす。ルティナはフォドレアの腕に思い切り噛みついた。
驚いたように離された腕の中から、ルティナが転がるようにしてカイネルードの元に逃げてくる。
ルティナを抱きしめた瞬間、何本もの光の剣がフォドレアに突き刺さった。
剣に貫かれながらも、フォドレアは生きている。
抵抗しようと新しい魔法を構築する前に――ヴァレリーの鎌がその首を斬り飛ばした。
どさりと、体が水気を帯びた草原に倒れる。
フォドレアの体は、黒い霧のようになり消えていく。
カイネルードの腕の中のルティナは、力の入らない手でカイネルードの背中に手を回した。
「カイネ様、ご無事で……お怪我を、させてしまいました。ごめんなさい」
「そんなこと……! 謝るのは僕のほうだ。僕が、弱いせいで。ルティを守れなかった。すまない」
「守っていただきました。カイネ様、ご無事で、よかった。カイネ様が死んでしまうかと、思って、私……っ」
「ありがとう、ルティ。僕が、サラデインの血を引いているから……」
「違います。……そうじゃない。私は、あなたが、好きですから」
不意に、腕の中のルティナの重みが増した。
カイネルードはルティナを抱えて、その場に座り込んだ。
ルティナの深く閉じられた瞼から、涙が頬に伝っている。
「ルティ……?」
その顔からは血の気が引いている。生気を失ってしまった、蝋人形のようだった。
「ルティ……っ」
だらんと垂れた四肢や、閉じた唇。それはまるで――死者の、ようだ。
考えたくない。
頭が思考を拒否している。ルティナの体はあたたかい。だが、呼吸は。
呼吸が、止まっているように見える。
『いままでおさえていた魔力を、一気に解放したのじゃ。それこそ、妾を呼べるほどにな。その負荷は、その幼い体には大きすぎる。それでもルティナの望みじゃ、妾は来てやった』
カイネルードの手からルティナの体がふわりと浮き上がる。
いつの間にか傍にきていたヴァレリーが、浮かび上がったルティナの体を抱きあげた。
「ヴァレリー、ルティを返せ」
『口だけは一人前じゃな、カイネルード。妾は常々、お前が気に入らないと思っていた。お前は役立たずの馬鹿者じゃ。ルティナを危険な目に遭わせた。二度もな』
「それは……」
『お前には妾のルティナを守ることなどできない』
指先までもが凍り付いてしまいそうなほど冷たい声だった。
カイネルードは奥歯を噛みしめながら、なんとか立ち上がる。
ルティナを連れていくというのなら、ヴァレリーも倒さなくては。頭の中がそれだけでいっぱいになる。
『子犬が。死ぬぞ。お前の命は先程終わる予定だったのじゃ。妾がそれを救った。感謝をするがよい』
「あぁ。ありがとう、ヴァレリー。……ルティナを返せ」
『何故?』
「僕の大切な人だ」
『守ることもできないくせに。弱いくせに。身勝手で、強引な愛じゃな。誰かに似ていて、虫唾が走る』
「誰か……? ルークスレドか。お前たちは夫婦だと、伝承に残っている」
『ふん。人間たちはどうでもいいことばかり書き残す』
王家に残されている、精霊たちの伝承である。
かつてこの地に降りたのは、闇の大精霊ヴァレリーと光の大精霊ルークスレド。
彼らは愛しあい、多くの精霊を産んだ。
炎や水、風や土。精霊たちはヴァレリーとルークスレドの子供たちである。
そしてこの地には精霊たちの力が満ちた。
精霊たちの力が満ちたこの地に、人間がどこからともなくやってきて、住み始めた。
人間たちは精霊たちを神として崇めた。
精霊たちもまた人間たちを庇護するべきものとして扱ったが、精霊たちがいる限り、人間たちは精霊たちに従い、頼り続ける。
子の自立を促すように――精霊たちはこの地から姿を消した。
神秘の力だけが、この地には残り続けていると。
『あのような男の加護を持つか弱いお前に、妾のルティナを任せることはできない。妾の与えた加護は消えない。ルティナはこの地では生きづらい。精霊界に連れていく』
「ルティはそんなことを望んでいない!」
『何故わかる?』
「僕が、好きだと言ってくれた」
『そんなものは、一時の気の迷いじゃ。離れてしまえば、すぐに忘れる』
フォドレアと同じようなことをヴァレリーは言った。
『ルティナは死んではおらん。だが、妾を呼ぶほどの魔力を使った。冬眠のような状態じゃ。そのうち目覚めるが……お前には渡さん』
「ヴァレリー……」
カイネルードはふらふらと、ヴァレリーに近づいていく。
生きていると知って、安堵をした。それと同時に、怒りがすとんとおさまった。
今すぐ倒してやる。ルティナを攫うヴァレリーは敵だと、ただそれだけで頭がいっぱいだった。
だが、今は違う。
カイネルードはヴァレリーの前に跪いて、頭をさげた。
「ヴァレリー、お願いだ。ルティを返してくれ。僕は、必ず強くなる。ルティを守れるほどに、強く」
『それは無理じゃな。妾のルティナは誰よりも強い。妾が誰よりも強いのと同じように』
「それでも……! 努力する。できることは、なんでもする。ルティを返してください。ルティを、愛しているんです……!」
愛――とは、どんな感情なのかカイネルードにはよく分かっていなかった。
それでも、この激しい執着は。胸が張り裂けそうな切ない熱情は、愛なのではないだろうか。
自分勝手で一方的な思いかもしれない。
それでもルティナと共にいたい。ルティナの瞳に、映りたい。
手を握って、抱きしめて。一緒に、生きていきたい。
『では、一つ条件を与えよう。ルティナから、お主が好きだったという気持ちを、記憶を奪う。ルティナは思い出さない。今日のことをな』
「……記憶を」
『お前はルティナに話してはならない。妾はルティナがお前を嫌うように仕向ける。ルティナはお前に怯えるだろう。嫌悪するだろう。それでも好きだと、守ると言い続けられるのか?』
「当然だ。ルティはきっと、もう一度僕を好きになってくれる」
『そういう自信家なところも嫌いじゃ。――妾は、ルティナを迎えに来る。そうじゃな、いつがいいか……お前に猶予を与えてやろう。今から五年後にしよう。魔力が成熟するのは、人間では成人を迎える十八。子犬と戦っても意味がない』
最後に一つ、と、ヴァレリーは付け加える。
『ルティナを守ることができないと判断すれば、妾はルティナを精霊界へと連れていく。それまでに、力をつけておくとよい。妾に勝てるとは思えんがな』
そう言って、ヴァレリーはルティナを離した。
ふわりと浮かび上がりゆっくり降りてくるルティナの体を、カイネルードは抱きとめる。
「もし僕があなたに勝てたら、ルティの記憶を返してくれるのですか?」
『あぁ、それでいい。その間にお前の心が変わっていないといいがな。弱く、自己愛に満ちていて、役立たずなお前が、ルティナのために努力できると妾は思わん』
ヴァレリーの姿が闇に溶けるようにして消えていく。
ヴァレリーも、そしてフォドレアもいなくなった草原で、カイネルードはルティナの体を抱きしめて、しばらくじっと動かなかった。




