襲来
美しく輝いていた蛍たちが一斉に発光をやめた。
星のまたたく空に暗雲が立ち込め始めて、星と月を隠してしまった。
そうして、それはやってきた。
それは男である。
腰まである金の髪に、髪と同じ金の瞳。
古めかしいが豪華な貴族男性が着るような服を着ていて、翼のある蛇のような魔物──ワイバーンに乗っていた。
その男の異常さに、カイネルードはルティナを背中に隠した。
逃げることも考えたが、その男がなんなのかを確認するべきかと一瞬迷ったせいで、行動が遅れた。
男はカイネルードたちの前に降り立つと、気だるげな欠伸を一つついた。
「私の家を、荒らしたのはお前たちだな。そして、私のものを盗んだ」
低くよく通る声で、男はいう。
今目覚めたばかりだとでもいうように、その瞳は半分閉じ掛かっているが、声音だけははっきりとしている。
「お前は?」
「フォドレア」
「……大魔導士の?」
「そう呼ぶものもいる。幻魔と、呼ぶものもいる。いずれにしても、私はフォドレアだ」
幻魔とは、知恵のある魔物ことである。
幻魔大戦の時にフォドレアは幻魔と戦ったのではなかったのか。
大魔導士フォドレアは人間ではないのかと、カイネルードの頭は疑問でいっぱいになった。
ルティナが、カイネルードの背中にしがみつくようにして、小さく震えている。
──守らなくてはいけない。
今度こそ。
「幻魔大戦が終わり、私は研究所にこもっていた。幻魔は死なない。やがて飽きて、眠っていた。……目覚めて、今だ」
「お前は人の敵なのか?」
「私はどちらでもない。あの時は──同じ幻魔でも、意見が合わなくてな。人の王の味方についたが……お前は、王と似ている。気配が同じだ」
「僕は、カイネルード・サラデイン。サラデイン王国の皇子だ」
「なるほど。それにしてはずいぶんと、弱そうだ」
フォドレアは鼻で笑った。
自分は特別だ、特別に強いのだと思い込んでいたカイネルードは、フォドレアのその態度に苛立った。
逃げる、という選択肢を捨てた。
フォドレアの遺跡でカイネルードはルティナに救われた。
だから今度こそは、守りたい。
頼りになる姿を見せたいという欲が、カイネルードをその場に止まらせた。
もちろんそれだけではなく、男が王国の脅威になるのかを見定めないといけないという気持ちもある。
逃げたところで追ってくるだろうとも考えた。
「私の研究所に、何人もの人間が立ち入ったようだが、魔物に襲われ罠にはまり、皆死んだ。当然だ、人の家に勝手に入ってはいけない。子供でもわかるだろう」
「……お前はとっくに、死んだと思われていた」
「死なない。幻魔だからな。王国は私に大恩があったはずなのに──この、五百年……千年、か。忘れたが、短い間に、私のことなど忘れ去ってしまったようだ」
「王家の記録には残っていなかった」
「幻魔が生きていると、知られたくなかったのかもな。自分勝手なことだ。……ともかく、お前たちだけだ。私の家から、宝物を持ち去ったのは」
ルティナは首飾りに手を当てた。
宝物とは、封魔の首飾りのことだろう。
「もともとその首飾りは、幻魔を捕えるためのもの。私が作ったのだ。幻魔とは、お前たちよりもずっと魔力が強い。そのせいで牢に閉じ込めることもできなかった。簡単に抜け出されてしまうからな」
「だから、魔力を封じた?」
「その通り。魔力を封じるための首飾りだ。どうしてか弱い少女に首飾りをつけている? お前の奴隷にでもしたいのか」
「馬鹿なことを……」
フォドレアは腕を組んで、ルティナを値踏みするようにじっと見つめた。
カイネルードは震えるルティナを背中に隠す。
フォドレアからは今のところ敵意は感じない。
会話をすることもできる。首飾りを返せと言いにきたのだろうか。
「では、なぜだ? ……あぁ、なるほど。首飾りをつけてもなお、魔力が有り余っている。その少女の持つ力は異常だな。面白い」
異常と言われて、ルティナはびくりと震えた。
魅了の力について指摘されたのだと思ったのだろう。
「か、勝手に盗んで、ごめんなさい……お返しします……!」
ルティナが小さな声で必死に言葉を紡いだ。
ルティナはフォドレアをとても怖がっているようだった。
「ごめんなさいと言われたところでな、盗んだ事実は変わらない。そうだな。その少女をもらおう。とても、面白い力を持っている。そうすれば、お前たちの罪は許してやろう」
よいことを思いついたと、にこやかにフォドレアは言った。
ルティナを、渡すわけがない。
誰も彼もが、ルティナの力のことを気にしている。
それが腹立たしかった。
カイネルードも確かにルティナの力に助けられた。
けれどそんなことがなくても、カイネルードはルティナの友人だっただろう。
そして、きっと、ルティナを好きになっていた。
力があろうとなかろうと、ルティナの人となりが変わるわけではない。
真面目で健気で、自分の立場をよくわかっていて、少し流されやすくて、それだけ人に優しくできる人だ。
カイネルードにとってはそれで十分だった。例えルティナにヴァレリーの加護がなかったとしても、自分の気持ちは変わらないと言い切ることができる。
「ルティは渡さない」
「少年。幼い日の恋心など、いっときの気の迷い。会わなくなれば、そのうち忘れる。だから心配することはない」
「ふざけるな。ルティは僕の大切な人だ。お前に渡すわけがないだろう!」
「では、私と戦うか? 幼い姫君をかけて、この私と? はは……ッ、死ぬぞ、少年」
フォドレアの雰囲気が、唐突に変わる。
それは、闇の支配者のようだった。
月の光のように美しい髪が風に靡き、フォドレアの隣で大人しくしていたワイバーンが翼を羽ばたかせて、咆哮をあげた。
「カイネ様……!」
「大丈夫だ、ルティ」
幻魔など、魔物と同じ。ワイバーンぐらい、カイネルードの力があれば、簡単に倒すことができる。
ワイバーンも、フォドレアも怖くはない。
「射抜け」
カイネルードの言葉と共に、フォドレアとワイバーンの周りに無数の光の矢が現れる。
その一本一本が、神殿の柱のように太い。
フォドレアは面倒くさそうにそれを一瞥すると、パチリと指を弾いた。
フォドレアやカイネルードを囲うようにして、青い宝石でできたような柱が地面から現れる。
その柱が現れた途端に、カイネルードの魔法はかき消されてしまった。
「なぜ……」
「封魔の首飾りは私が作ったと言っただろう。私は、魔力を封じるのが得意なんだ。精霊たちの力が満ちたこの地では、皆が魔法に頼りたがる。魔法を封じてしまえば、無力だ。だから、魔力を封じる研究をした。合理的だろう?」
宝石の柱の中にいる限り、魔力が封じられる。
それを理解したカイネルードは、ルティナの手を引いて走り出す。
勝ち目がないのなら逃げるべきだ。
転移魔法で逃げて、フォドレアに勝つ方法を考えなくては──。
「ぐ、ぁ……っ」
逃げようとしたカイネルードの体は、ワイバーンの足によって地面に押さえつけられた。
太い爪が地面に食い込んでいる。胸や腹が圧迫されて、今にも押しつぶされそうだった。
うまく呼吸ができずに、呻き声と嫌な音が喉から漏れる。
土を掴んで逃げようともがく。手の中で、雑草がぶちぶちとちぎれた。
だが、ワイバーンの太い足に押さえ込まれて、カイネルードは一歩も動くことができなかった。
魔法を使うことができれば敵ではないワイバーンが、途端に恐ろしい存在に思えてくる。
その鋭い牙に噛みちぎられたら、カイネルードの首など簡単にもげてしまうだろう。
「カイネ様……っ」
カイネルードに駆け寄ろうとしたルティナは、フォドレアの腕に捕まった。
「大丈夫、痛くしないよ、姫様。君の持つ力を知りたいだけだ。封魔の首飾りを嵌めれば、魔力が封じられる。どんなに力のある幻魔でもそうなるように、強力なものを作ったのに。君の体からは魔力が漏れ出ている。興味深いことだ」
「カイネ様を離して!」
「それはできない。少年は、戦うと言った。一度戦うと決めたら、殺すか殺されるか。情けをかけるのは、互いにとって不名誉なことだ。だから、少年は、死ぬ」
「だめ、やめて……!」
「──では、死ね」
ワイバーンの顔が、口が、カイネルードを食いちぎろうと迫ってくる。
魔力は封じられている。呼吸が苦しく、酸素が足りずに眠気が襲ってくる。
ルティナを守らなくてはいけなかったのに。
何も、できなかった。
情けない。悔しい。恥ずかしい。情けない。情けない。
──死にたくない。
「ヴァレリー! カイネ様を助けて……!」
悲鳴のような声と共に、ルティナは首飾りを引きちぎった。
肌をひりつかせるほどの濃密な魔力がルティナを中心として溢れる。
「カイネルード。なんとまぁ、役立たずか」
呆れたように、嘲るように、艶のある声がカイネルードを呼んだ。
まんまるい大きな月を背にした妖艶な美女が、夜空に浮かんでいた。




