とかれる封印
ぶちんと、ルティナの首輪がアルヴァイスの指で引きちぎられた。
白く細い首があらわになる。首輪に隠されていた傷も。
それは小指ほどの長さの小さな傷だ。他の皮膚とは違う、薄い色をしていて、僅かに膨らんでいる。
見られたくないと、咄嗟にルティナは首を押さえようとした。
けれどそれはできず、背中や腰や頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
アルヴァイスが、ルティナの体を押し倒したのである。
地面に倒されて強かに頭を打ったルティナの目の前が、一瞬白く濁った。
その僅かな、意識が遠のいていた時間。
アルヴァイスはルティナの両手に炎の手枷をはめて、地面とルティナの体を繋ぎ止める。
その上に馬乗りになり、金杯を掲げた。
「精霊の加護を奪え!」
アルヴァイスの高らかな宣言と共に、ルティナの体から魔力が引き摺り出されていく。
全身の血を強引に抜かれていくような脱力感と吐き気に、ルティナは白い顔を蒼白にさせた。
見開いた瞳から涙がこぼれる。
きつく閉じた唇から、堪えきれない呻き声が漏れた。
ルティナの体からあふれた黒い霧のようなものが、金の杯へと吸い込まれていく。
「あはは……っ、これで、ヴァレリーの力は僕のもの。皆が僕に平伏す。僕を認めない城の連中も、気に入らないカイネルードも、僕を拒絶した君もだ、ルティナ!」
「拒絶なんて……」
「しただろう。僕たちは似ていると思ったのに。君は僕に力を貸してくれると思ったのに!」
それはあまりにも一方的な想いだった。
ルティナがアルヴァイスと言葉を交わしたのは、入学式の一度きりだけだ。
その後アルヴァイスは、ステラに命じてルティナを苦しめようとした。
カイネルードに対する信頼がなければ、愛情がなければ、ルティナきっと──ステラの言葉に傷つき、カイネルードの感情を疑い、心を真っ暗闇の中に落としてしまっていたかもしれない。
一人では這い上がれそうにない深い深い、井戸の底に。
底にアルヴァイスがツルベを落としルティナを引き上げてくれたのなら、ルティナはきっとアルヴァイスに心を傾けていただろう。
甘い言葉に惑わされて、道を踏み外してしまっていた可能性もある。
けれど、そうはならなかった。
ステラに嘘をついたことも、ステラの命を奪おうとしたことも。
許されるべきではない。
けれど、不思議と怒りは湧かなかった。
ただ、悲しかった。
一つの物事にこだわって、周りが見えなくなってしまう。それはルティナも同じだった。
クオンツに諭され、カイネルードに連れ出されて、ルティナは今のルティナでいることができる。
アルヴァイスには、誰もいなかったのだろうか。
手を差し伸べてくれる人は、誰も。
皇帝になどならなくていい。光の精霊の加護など持たなくていい。
そのままのあなたでいいのだと、誰かが抱きしめてくれなかったのだろうか。
例えば、彼の愛する母親のアラベルが。そして、二人を愛しているはずの、サラデイン皇帝が。
カイネルードは皇帝に愛されなかった。後宮の中では窮屈な思いをしていた。
それでも王妃ミラは、カイネルードを愛していた。
ただそれだけのことが、どんなにカイネルードを救ったのだろうと、アルヴァイスを見ると、そう思わずにはいられない。
「……アルヴァイス様。あなたは、あなたのままでいいのに」
ひどい脱力感と眩暈に襲われながら、ルティナはそう呟いた。
「魔法の力で誰かが従っても、虚しいだけです。孤独が、埋められない心の穴が、広がっていくだけ。私はあなたを、許します。だから、もうやめましょう……!」
「黙れ。僕を憐れむな、魅了の魔女の分際で。そうだ、魅了の力が手に入ったら、まずは君にかけてあげる。カイネルードの前で、僕に愛されたくて媚を売る君を見たらさぞ気分がいいだろうなぁ!」
アルヴァイスは、ルティナに馬乗りになりながら、壊れた人形のように笑い続ける。
金の杯の中身を、闇が満たしていく。
ルティナの体からは魔力が抜け続けている。
けれどそれは、際限がない。
今まで身のうちに閉じ込めていた魔力が、一気に解放されたのだ。
無尽蔵に溢れる魔力を吸い込み続ける金杯に、ピシリとひびが入る。
「……っ、なんだ?」
違和感を覚えたのか、アルヴァイスが訝しげに眉を寄せた。
ぴしり、ぴしり。
ぴしりぴしりぴしり。
小さなヒビが、大きな歪みになっていく。
金の杯は、一瞬のうちにヒビだらけになっていた。
そして──内側から弾けるように、バリン、と割れた。
「なんだって……!?」
『愚かな。そのような器に収まるものではない』
どこか艶のある女性の声が、どこからともなく裏庭に響く。
ルティナとアルヴァイスを中心に、闇が地面を舐めるようにしてどこまでも広がりはじめる。
その闇の中から、十三人の人の姿をした異形たちが現れる。
それは剣を持つ男の姿であったり、仮面をつけた煌びやかな女の姿であったり、歯車を盾に持つ鎧を纏う騎士の姿であったりと、さまざまだ。
誰も彼もが、ただそこにいるだけで相手に畏怖を抱かせる姿をしている。
そしてその体から溢れ出る魔力は、同じように魔力をもつサラデイン人ならば、僅かに気配を感じただけで腰を抜かして座り込んでしまうほどの強大さであった。
『離れろ』
『我らの姫君から離れろ』
『頭が高い』
『下郎が』
『身の程を知れ』
彼らは口々にそう言いながら、アルヴァイスに向かってそれぞれの武器を向ける。
まさか、ルティナの魔力に『精霊の檻』が負けてしまうなど予想もしていなかったのだろう。
顔色を無くしたアルヴァイスは、がたがたと震えながら、呆然とその光景を目にしていた。




