ステラの嘘
指を折り曲げ、拳を握りしめる。
悲しみに曇りそうな心を叱咤して、ルティナは真っ直ぐに前を見た。
「──ステラ様。信じてくださらないかもしれません。けれど、私は魅了の魔法は使っていません」
「嘘よ!」
「……封魔の首輪をしている限り、魅了の魔法は使えません。人の精神を支配するためには、とても大きな力が必要になるのです。人の心ほど複雑で、難しいものはありませんから」
「そんなもの、なんとでも言えるでしょう?」
「私は、信じて欲しいとしか言えません。……過去、私は魅了の力を無意識に使って、友人たちを傷つけてしまいました。ですからもう二度と、この力は使いたくない。こんな力、いらないと、幾度も思いました」
ステラは両耳を両手で塞いで、首を振った。
もうルティナの言葉は聞きたくないと言わんばかりの仕草に、ステラとの間に埋められない溝が生まれていることを感じる。
けれどその溝は、最初からそこにあったのではないのか。
ルティナはステラがカイネルードのことを好きなのだろうと薄々気づきながらも、見ないふりをし続けていた。
氷のはった湖の、薄氷を踏み抜いてしまいたくなかった。
そんなことをしたら、凍えてしまう。冷たい水の中に沈んでいきたくない。
ステラが友人でいてくれることは、ルティナにとって救いだった。
それに甘えて、大切なことから目を逸らしていた。
ルティナはステラからカイネルードを奪ったのだ。
ルティナさえいなければ、カイネルードとステラは婚約者になっていた。
──気づいていたのに。
「嘘よ。嘘だわ。全部、嘘! あなたはカイネが好きなんでしょう、ルティナ!? だから、カイネの心を支配しているのでしょう!?」
「……ステラ様。違います」
「違わないわ! エルナン王国に来た時に、カイネは言ったもの。私が好きだって。愛を、囁いてくれたのよ? でも、サラデインに来たら、カイネは別人になっていたわ! あなたの、魅了のせいで!」
ルティナは一瞬目を見開いたが、けれど静かに首を振った。
カイネルードを疑わないと、決めたのだ。
「私は、カイネ様を信じています」
「信じるって何? 魅了で心を支配しているから、信用できるのでしょう? 支配しているから、裏切ることはないものね!?」
「ステラ様……私は、カイネ様が好きです。けれど、カイネ様がステラ様が好きだというのなら、身を引きます。誰かの心を強引に支配してまで愛情を得たいとは思いません。それは、虚しいだけです」
魅了の力を使おうとして、カイネルードに処断をされるという夢を幾度も見た。
家族のためにも、自分のためにもそんなことはしてはいけないと、自分を戒めていた。
その時のルティナのカイネルードに対する気持ちは曖昧なもので、ただ自己保身だけを考えていた。
今は、違う。
違うと、はっきり言うことができる。
婚約が決まってからの一年間、そして、学園に入学してからの数ヶ月。
カイネルードと過ごした日々は、静かな部屋にこもっていたルティナの人生の中で、どの時間よりも濃いものだった。
刺激に満ちていて、楽しくて、鮮やかで。
いつでも愛情を伝えてくれるカイネルードの気持ちを、ルティナは受け入れた。
そして、自分の感情を認めた。
カイネルードが好きだ。
好きだからこそ、心を支配などしたくない。
カイネルードのことを信じている。けれど人の心はうつろうものだから、例えば彼がステラを選んだとしても、ルティナは受け入れるつもりでいた。
きっと悲しいだろう。
立ち直れないほどに、苦しいだろう。
その黒い感情を受け入れることが、誰かを愛することだと──今は、思うことができる。
嫉妬も、優越感も、独占欲も。
ルティナにとっては忌避すべき感情でしかなかった。
けれど、そうではないと、カイネルードが教えてくれた。
だから、今は──前を向いて、立っていられる。
「……ルティナ」
ステラは先ほどルティナが渡した髪飾りを髪から抜き取って、両手にギュッと握りしめた。
大きな瞳から涙があふれて、頬を伝ってパタパタと落ちる。
「本当は、わかっていたの……っ、あなたは魅了の魔法なんて使っていないって。嘘つきは、私。ごめんなさい……!」
「ステラ様……?」
「私は、嫌な女だった。カイネがエルナン王国に来た日に、私はカイネに婚約はできないと言われた。私との婚約を断るために、エルナン王国に来たのだもの。それは、当然よね」
泣きながら、ステラは続ける。
ルティナは戸惑いながらも、ステラに手を差し伸べた。
「でも私は、諦めきれなくて……いらないと言われているようで、悔しかった。見た目の美しさに、惹かれたの。カイネのことが好きだったわ」
細い肩に触れる前に、ステラはルティナから一歩後退って離れる。
そこには、拒絶があった。
「優しいふりをしてカイネに近づいて、好かれようと努力した。サラデインに来てからもずっと、そうしていた。あなたの友人みたいな顔をしていたのは、カイネの傍にいるため。私は、他の同級生たちに言っていたのよ、ルティナはカイネを魅了している、ひどい女だって!」
「……そうなのですね」
「ええ! あなたが皆に嫌われるように仕向けていたの。ルティナに話しかけてはいけない。ひどい女だから。カイネは本当は私を愛しているのにルティナのせいで、私たちは結ばれないのだと……皆に、嘘をついたわ」
ルティナは小さく頷いた。
なんと声をかけていいのか、言葉が見つからない。
傷ついているわけではない。ステラがそんなことをしなくても、ルティナは嫌われていた。
ステラは嘘をついたかもしれないが、そうでなかったとしてもルティナの立場は大きく変わったりはしなかっただろう。
「でも……一緒にいて、分かった。あなたは悪い子じゃないって。いつも、私に優しくしてくれた。山では、私を助けてくれた。カイネを奪おうとする私は、邪魔なはずなのに」
「邪魔なんて……そんなふうに思ったことは一度もありません。ステラ様が話しかけてくださって、私は嬉しかったのです」
「……ミモザの髪飾り、私のために作ってくれたのよね。エルナン王国の国花だと、調べてくれたのでしょう? 私はあなたを裏切っていたのに……!」
ルティナはステラに一歩近づいた。
再び逃げようとするステラの手を、強引に握りしめる。
かつてカイネルードがそうしてくれたように。
他人を怖がるルティナの手を強引にとって、外に連れ出してくれたように。
「ステラ様。……私は、気にしていません。それよりもずっと、ステラ様が私を信じてくれていたことが、嬉しいです」
「何を言っているの……?」
「私は、カイネ様に魅了の魔法を使っていないと、ステラ様はわかってくれたことが嬉しいです。私に魅了の力があることは事実ですから……疑われるのは当然です。嫌われることにも、慣れています」
「そんな……」
「それでも、信じてくれました。それが、嬉しいのです」
「私は裏切ったのよ? あなたの、心を。親切を、踏み躙ったの!」
「──ステラ様は私の友人です」
傷つけた人とも、仲直りをすることができる。
フェルズとルティナは仲直りをすることができた。
ルティナはそれを、学んだ。
だから、ステラとも仲直りができる。
きっと、大丈夫だ。
「──役立たず」
不意に、低い声が裏庭に響いた。
ステラの背後に──男が立っている。
男の手には、短剣が握られていた。




