独占欲
◇
どこにいても、嘲りの言葉が聞こえてくる。
それに気づいたのは、物心ついたときだった。
「お飾りの王妃」
「アラベル様はお可哀想に、ミラ様のせいで正妃になれなかったのだから」
「アラベル様のお子こそが、王太子に相応しいでしょう」
「そうよ。カイネルードがいるせいで、アルヴァイス様は王位を継げないのよ」
アラベルの味方をすれば、後宮での立場は優遇される。
それを皆、理解しているのだろう。
母の姿を見ればいやらしい笑みを浮かべて罵った。
カイネルードの姿を見れば、眉をひそめてこそこそと陰口を言った。
(女というのは、嫌な生き物だな)
幼心に、カイネルードはそう思っていた。
母は何故、この場所から逃げないのだろうと、しなびた野菜やパンの切れ端、腐りかけた魚などが並べられた食卓を眺めながら、カイネルードは思ったものである。
「カイネ、クワイエット家に遊びにいきましょう! マライアにお手紙を貰ったのよ」
「マライア?」
「学友だったの。すごく明るくて、楽しくて……私の大好きな人よ」
母の明るい笑顔を見たのは久しぶりだった。
カイネルードに心配をかけまいといつも笑っていたが、どこか無理をしていた。マライアのことを話す母は、遠く離れた最愛の恋人について話しているようだった。
「マライアには、クオンツとルティナという子供がいるの。クオンツはカイネと同じ年、ルティナは二つ下だったかしら。きっと、カイネの友人になってくれるわ」
「友達、ですか?」
「ええ。友人とはいいものだわ。カイネ、二人と仲良くしてね」
カイネルードには友人と呼べる者はいない。腹違いの弟妹はいたが、皆、カイネルードのことを嫌っていた。ミラとカイネルードに優しくすると、アラベルが怒ることを皆理解していたのである。
クワイエット家に訪れたカイネルードは驚いた。
カイネルードとミラのために用意された食事や菓子は、とても食べきれないぐらいに豪華なものだった。
マライアは、ミラの顔を見るなり「会いたかったわ、ミラ!」と言って、母を抱きしめた。
カイネルードの知る限り、母をそのように扱ってくれる人はいなかった。
クワイエット公爵家の全てが、カイネルードにとっては別世界のように輝いて見えた。
「殿下、ごめんなさいね。クオンツは図書室に籠っているの。夫と同じで、人と話すのが得意ではないのよ。ルティナと話をしてあげてくれるかしら」
そう言って、マライアは傍らにいた愛らしい少女の背をおした。
ルティナは丁寧に、カイネルードに淑女の礼をすると、愛らしく微笑んだ。
豊かな黒い髪に、炎を宿したような赤い瞳。白い肌に、柔らかな曲線を描く頬や顎。
薔薇色の頬、折れそうに細い首や、指。
まるで人形のように愛らしい少女は、皆がいなくなったあとに、カイネルードの耳元で囁いた。
「男の子たちは、皆、私に結婚をしようと言います」
面食らったあと、思わず笑ってしまった。
ルティナは自慢をしているわけでもないらしい。少し困ったように、眉を寄せている。
その次に、「カイネルード様は結婚しようと言わないので、お友達になれますね」と言った。
つまりどういうことだと、一瞬悩んだ。
ルティナにとって求婚してくる相手は友人ではないらしい。
カイネルードとしても、出会ったばかりの少女に求婚をしようとは思わない。
それに、カイネルードにとって女とは煩わしいものでしかなかった。
恋愛や結婚には、吐き気がするほどの嫌悪感がある。
誰かを愛するのと同じぐらいに、誰かを嫌い憎むことができるのだ。
――そんな感情は、いらない。
カイネルードが欲しかったのは、恋人ではなく友人である。
ルティナとクオンツは、カイネルードの友人になった。
クワイエット公爵家に来た時だけ、息を抜くことができた。
他の貴族の子供たちに囲まれて誉めそやされるルティナを眺めながら、ルティナは自分の友人なのに――と、漠然とした苛立ちが湧いてくるのを、見ないふりをした。
(どうせ、あの言葉に心などない。クワイエット家の権力に纏わりつく蛾のようなもの)
ルティナには何度か、言葉に惑わされるなと伝えた。
皆に対してにこやかに笑っているルティナの表情が、その瞳が戸惑った色を浮かべてカイネルードを見るのが、嬉しかった。
そして――ルティナの魅了の力が判明して、波が引くようにルティナの周りに誰もいなくなった時。
カイネルードは嬉しいと思ったのだ。
これで、ルティナを独占できる。その瞳に映るのは、自分だけでいい。
その感情がただの親愛ではないのだと気づいたのは、フォドレアの遺跡でのことだった。
ルティナは身を挺して、カイネルードを庇った。
ルティナがいなければ、カイネルードは恐らく大魔導師フォドレアの仕掛けた罠にはまり、死んでいた。
感謝と、喜びと、後悔と罪悪感と。
色々な感情が綯交ぜになって、カイネルードの心を締め上げた。
あぁでも。
一番大きな感情は、愛しさだった。
ルティナは自分のせいで、傷を負った。
首に残ったその傷は、ルティナがカイネルードのものであるという証のように思えたのだ。




