ステラの恋
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サラデイン皇国とは、精霊の加護を受けた神秘の国である。
その四方を森で囲まれていて、地図上で見ると陸の孤島のようになっている。
その地には魔法で満ちている。
人ならざる者──大精霊と精霊たちの加護を受け、その土地の人々は魔法を使うことができる。
そして、サラデイン人は総じて皆、美しい。
かつて魔物と土地の覇権を争った、幻魔大戦でも、サラデイン皇国の魔導師たちが中心となって幻魔たちを打ち破った。
その時も今も、エルナン人は考えている。
幻魔とサラデイン人には差異はないのではないかと。
エルナン人にとっては、どちらもひとならざる力を持った者たちだ。
それを魔法という。
エルナン人たちが魔道具や、機械に頼らなくては成し遂げることができないことを、サラデイン人たちは苦労なく行うことができる。
もちろんサラデイン人たちにもその力の強弱はあるが、山を吹き飛ばしたり、街を火の海に沈めたり、雨を降らせたり。そういうことができてしまうのだ。
おそろしいことである。
そして、味方になってくれるのだとしたら、それは──とても、心強いことである。
「ステラ。サラデインの皇太子に嫁げ」
そう父に言われた時、ステラはその意味をすぐに理解した。
この婚姻は国と国とをつなぐためのものだ。
だが、自分にも幸せになる権利がある。
(サラデインは一夫多妻だと聞いたわ。でも、私は嫌)
エルナン王国では、夫婦とは一生を添い遂げる、連理の枝のようなものである。
一夫多妻などはあり得ない。神に認められて夫婦になるのだ。
離縁も浮気も神は許さない。
ステラはそう教えられて生きてきた。
夫婦になると定められた時点で、切り離すことのできない赤い糸で結ばれたようなものである。
「はじめまして、ステラ・エルナン姫。カイネルード・サラデインと申します」
ステラは、夫になるカイネルードに、他の女性を妻にするようなことをするなと伝えようと心に決めていた。
そしてそのカイネルードが、わざわざエルナン王国に訪れるのだという。
ステラに会いに来るのだ。
それを聞いたとき、ステラはこの婚姻はきっとうまくいくだろうと確信していた。
うまくいかずとも、自分が頑張ればきっとよい夫婦になれるだろう。
もちろんそれはエルナン王国のために、サラデイン皇国と友好関係を結ぶ意味がある。
だがそれ以上に、ステラは自分の幸せについて考えていたのだ。
「はじめまして、カイネルード。会いたかったわ!」
はじめて会ったカイネルードは、サラデイン人らしい美しい人だった。
線の細い、優美な少年である。
光を集めたような金の髪に、空色の瞳。
ステラも金色の髪をしているが、ステラの金はどこか、くすんでいる。
本物の光を見た気がした。
作り物のような美しい姿に圧倒されて、同時に魅了された。
この人の妻になるのだと。幼心にときめいた。ステラは十一歳、カイネルードは十三歳。
まだ、子供である。だが、女としての自覚もある。
曖昧な年齢ではあるが――ステラは十二分に、自分の立場を理解していたし、それと同時に恋愛や結婚に対しての憧れもあった。
ステラの元に訪れて挨拶をしてくれたカイネルードに、満面の笑みを浮かべてこたえる。
第二王女として大切に育てられてきたステラは、そうして微笑むだけで誰もが喜びに体を震わせることを知っていた。
ステラの微笑みを、言葉を、慈悲を、皆が乞うのだ。
「私に会いに、出向いてくださり嬉しいわ! 私たちきっと、よい夫婦になることができるわね、カイネルード」
「ステラ姫。今日はそのことについて話をしに伺いました」
「まぁ、何かしら。正式な婚姻の前に、仲を深めにきてくれたの?」
なんて健気で愛らしいのかと、ステラは満足した。
カイネルードは穏やかな笑みを崩さずに、淡々と告げた。
「あなたとの婚約は、白紙にしていただきたい。お受けすることはできません。すでに、エルナン国王陛下にはお伝えしました。条件を出されましたが……ステラ姫に黙っておくというのも、不実でしょう。私はあなたとは結婚できません。あなたも、私との結婚に縛られる必要はありません」
はっきりと、淀みなく――カイネルードは冷酷な言葉を綴った。
今までの人生で誰かから拒絶されたことのないステラは――あまりのことに眩暈を起こし、その場で意識を失った。
「お父様、どういうことですか? カイネルードは私が気に入らないと言っています」
「好きな相手がいるそうだ。一国の皇太子が、己の感情のみで国を乱すとは愚の骨頂だな」
「好きな相手?」
「あれはまだ若い。感情などは思い込みだ。一時の情動に、惑うこともあるだろう。時がたてば、目も覚める。ステラ、共に過ごせばきっと、お前の魅力に気づく」
エルナン国王は、カイネルードを国に引き留めた。
婚約を白紙にしたいのなら、魔法を使わずに自分を倒せとカイネルードに告げたのだ。
エルナン人は肉体的にとても強い。サラデイン人は魔法が使えるために、己を鍛えるということを怠っている。
魔法さえ奪ってしまえば、サラデイン人はエルナン人には勝てない。
ステラは満足した。父は、婚約を白紙にするつもりなどない。
カイネルードが父に勝つことができずエルナン王国に滞在している間、カイネルードと仲良くなってしまえばいい。
きっと――故郷の女のことなどすぐにわすれる。
初恋など、そんなものだ。
ステラも初恋をした記憶がある。それは、ステラの護衛騎士にだった。十五歳も年が上で、彼にはすでに妻と子供がいた。それでもステラにとっては、とても素敵に見えたのである。
だがそれももう、忘れた。
幼い日の憧れなど、所詮はその程度の感情だ。
「カイネ、お父様は強いでしょう? 勝てそうなの?」
勝たなくていいという気持ちを隠して、ステラはカイネルードに対して同情的に、親切に振舞った。
「必ず、勝ちます」
「でも、今のままでは難しいわ。そうだ、私から、リアス叔父様を紹介しましょうか。エルナン王国では一番強いと言われている人よ」
「よいのですか?」
カイネルードがエルナン国王に決闘を挑むことができるのは、月に一度である。
エルナン国王は多忙だ。早々、カイネルードにばかり構ってなどいられない。
その日も、月に一度の決闘のあと、カイネルードは体中に傷をつくって調練場の床に転がっていた。
ここではカイネルードの味方はいない。
ステラを拒絶した時点で、隣国の皇子の評判は地に落ちていた。
それでもカイネルードの世話を甲斐甲斐しく行うステラは、「まるで女神」だと、城の者たちに誉めそやされていた。
リアスを紹介すると言ったのは、カイネルードの信頼を勝ち取るためである。
優しくしていればきっと、自分を見てくれる。
いつか、故郷の女のことなど諦めて、愛を囁いてくれる日が来るのだと。
「ええ、もちろん。その代わり、条件があるの」
「条件とは?」
「もっと親しく話してちょうだい。そして、ステラと呼んで。私たち、お友達になれるわ、きっと」
カイネルードはしばらく考えていたが、諦めたように頷いた。




