あなたは誰を信じますか
呼吸が止まるぐらいきつく抱きしめられて、ルティナは眉を寄せる。
少し強引なところもあるが、いつも優しいカイネルードとは思えない激しさだった。
婚約してから一年で、ルティナの体はより女らしいものへと変化していたが、それでもカイネルードに比べてしまえばずっと小柄だった。
閉じ込めるように抱きしめられて、ルティナはカイネルードの制服をおずおずと引っ張った。
「カイネ様……」
「ルティ、すまなかった。君を、一人にしてしまった。すまない、ルティ」
「それは、違います。私が、自分から一人になったのです」
「俺はすぐに君を追いかけるべきだった。大切な日に、君に寂しい思いをさせてしまうなど。俺は何よりも君を、優先するべきだったのに」
ルティナは首を振った。
ステラは隣国からの賓客である。どちらを優先するべきかなど、明らかだ。
「ステラ様を大切にしてさしあげてください。私……ごめんなさい。私の態度が、あなたを困らせてしまいました」
「君に困らせてもらえるのならば、それはいつでも大歓迎だ。そんなことより、ステラのことだ。ステラは」
「カイネ様。私なら、大丈夫ですから……私の傷も、私の立場も、それはカイネ様のせいではありません」
「──何を言っているんだ?」
この先、ゆるゆると首を絞められるような苦しい思いをして、心が醜い嫉妬に染まってしまうのならば。
今ここで、断じてほしい。
そうすればきっと、傷は浅くて済む。
道を踏み外さずにいられる。
想う気持ちが増えてしまうほど、優しくされるほどに、傷口が広がってしまう。
今も、カイネルードが来てくれて嬉しいと思っている自分がいる。
アルヴァイスから解放されて、抱きしめてもらえると、安堵をしてしまう。
ルティナは唇を噛むと、カイネルードの胸を軽く押した。
拒絶の態度に気付き、カイネルードはルティナの体を抱きしめていた腕の力を緩める。
「ルティ?」
「アルヴァイス様からお聞きしました。カイネ様は……殿下、は」
「ルティ」
「殿下は、ステラ様と結婚するはずだったと。でも、私に、傷があるから……私がこんな風で、そして、魔物憑きだから。殿下は、責任を感じてくださっている」
「……それで?」
平静よりも低い声が、続きを促す。
ルティナはカイネルードの顔を必死に見つめる。涙がこぼれないように、瞳に力を込めた。
「殿下に責任はありません。だから、私のことは、気にしないで欲しいのです。私、十分でした。殿下が、友人になってくださって。とても、嬉しかったから」
カイネルードのことは、友人として好きだ。
ルティナにとっては、それで十分だった。十分、嬉しかった。
一緒に冒険をして、色々あったものの、楽しかった。どれも、忘れ難い思い出だ。
その輝きを、黒く汚したくない。
嫉妬や、執着や、独占欲などといった薄暗い、冷たい炎のような感情で、塗り替えたくない。
「ルティは、俺ではなくアルヴァイスを信じるのか?」
「……それは」
「君に──余計な気を、使わせたくなかった。不安にさせたくなかった。だが、言わなかったのは俺の落ち度だ。確かにステラとの婚約の話はあった。だが、それはもう終わったことだ」
「ですが」
「俺は、ルティだけを愛している。君に嘘はついていない。ずっと好きだったと伝えただろう。婚約をしてから一年、一緒に海を見て、船に乗って、雪道を歩いて、花も、星も見た。君と二人だから、何を見ても輝いて見えた。何をしていても、楽しかった」
「殿下……」
ワイバーンの討伐にはじまり、ルティナはカイネルードに様々な場所に連れて行ってもらった。
海の冷たさを裸足で感じて、大きな船に乗って海風に吹かれた。
珍しい花が咲く樹海の奥を散歩して、雪深い街をホットココアを飲みながら散策した。
それから、星も。
山の頂上で、空を埋め尽くす星を見た。
あれは、ルティナの十七歳の誕生日だ。誕生日に娘を攫ったと言って、ルティナの父は珍しく怒っていた。
「君は、手紙の返事をくれた。楽しかったと書かれていた。楽しかった、嬉しかった。そう書かれているのを見るたびに、君も同じ気持ちでいてくれるのだと、俺は喜んだ。何度も読み返したし、今でも大切にしまってある」
「……それは、でも、私は」
「あの言葉は、嘘だったのか? 俺と過ごした時間は、偽りだったのか? 俺との記憶よりも、アルヴァイスの言葉を信じるのか、ルティ」
苦しげに、形のいい眉が寄っている。感情を押し込めたような低い声は、いつもの闊達なカイネルードとは別人のように、小さなガゼボの中に響いた。
ルティナの体を両手で逃げないように拘束しながら、カイネルードは唇をルティナの首に寄せる。
「で、殿下、首は、だめ……っ」
「アルヴァイスに、触られていた。君から、あれに触れられた記憶を、消してしまわなければいけないな」
「だめ、首は……っ」
封魔の首飾りの上から、唇が首筋を辿る。
首飾りに隠れて見えない傷を探り当てるように。
柔らかい唇が、薄い皮膚の上を滑った。
「殿下……っ」
「カイネだ、ルティ。何度、呼んだかな。罰ゲームをすると約束をした。俺はもう、君の全てに口付けていい。そうだな、ルティ」
「やっ……ぁ、……っ」
硬い歯が、首を軽く噛む。それから、ぬるりとしていて熱を帯びた舌が、首から耳の裏側までをゆっくりと辿った。
ルティナは体を震わせながら、瞳に涙を滲ませた。
あまりの恥ずかしさに。そして、いけない場所に触れられているという罪悪感に、どうにかなってしまいそうだった。




