アンバー・クワイエット
ルティナが父、アンバー・クワイエット公爵の元に行くと、アンバーは執務室で、目の上に冷やした布を載せて椅子に座って休んでいた。
扉をノックし中に入るルティナを、目の上の布をどけて一瞥する。
アンバーは年齢よりも若々しく見えるが、もう齢四十の坂をのぼり始めている。
学園を卒業したクオンツが公爵家の跡を継いでくれるのを、今か今かと楽しみにしていると、最近よく口にしている。
隠居をした後は、妻と二人で別宅でゆっくり余生を過ごすのだそうだ。
「お父様、お休みのところ申し訳ありません」
「いや、構わない。どうした、ルティ。お前から私の元に来るなど、珍しいな」
アンバーは常日頃から不機嫌そうな顔をしている。あまり愛想がないのだ。
世辞が苦手で、人と話すのも得意ではない。人付き合いに関しては、基本的に母マライアに任せている。
とはいえルティナのように他者を拒絶しているというわけではなく、必要があれば話をするし、公務の場にも参加する。仕事に関しては、過不足なくしっかりと行っている立派な父である。
ただ、一人でいることが好きなのだ。だからそれを選択しているというだけである。
そんなアンバーだが、マライアのことや子供たちのことはとても大切にしている。
ルティナの顔を見ると、不機嫌そうに寄せられた眉が柔らかい曲線を描き、口元に僅かに笑みが浮かぶ。
「お父様、このところ頭が痛いとおっしゃっていたでしょう? ですから、魔法薬を作ったのです」
「魔法薬を?」
「はい。本に載っている、頭痛薬を作りました。一錠飲んで効果を確かめましたから、効果に問題はないと思います」
ルティナは可愛らしい小瓶に入った魔法薬を、アンバーに手渡した。
アンバーは立ち上がり、それを受け取ると、まじまじと中身を見つめた。
「これを、お前が?」
「はい。もしよければ、お父様にと思いまして」
「そうか。ありがとう、嬉しいよ。頭痛はそこまでひどいわけではないのだが、心配をかけたな」
「いえ……お父様を、私が悩ませてしまっているのかと思って。ごめんなさい」
「どうしてそう思うんだ?」
「私がまともであれば、気苦労も少ないだろうと」
「お前はまともだ、ルティ。いや、そうではないな。まともかまともでないかと言えば、まともな人間などいない。皆どこか、変わったところがあるものだ。私も、クオンツも、マライアも」
アンバーは大切そうに頭痛薬を執務机に置いた。
それから、ルティナの手を引いてソファに座るように促した。
自分もその隣に座ると、呼び鈴で侍女を呼び出して、紅茶と菓子を持ってくるように指示をした。
「お父様、私、魔法薬を届けに来ただけで……」
「時間がないか?」
「そんなことはありませんが」
「ならば、構わないだろう」
侍女によってすぐに、紅茶とシフォンケーキが用意される。アンバーは威圧感のある見た目とは違い、甘党である。酒は飲めない。紅茶とお菓子の類を好んでいる。それとは逆に、マライアは酒が好きで、甘いものは苦手なのだそうだ。
口数の少ない父と、明るく天真爛漫な母は、ルティナが知る限りでは喧嘩をする様子もなく、いつも仲良くしている。
勧められるままに、紅茶を飲んで、シフォンケーキを口にする。
レモンピールが入っているらしく、甘さのあとに爽やかさが口の中に広がった。
「ルティ。昨日、殿下と出かけていただろう?」
「あ……ご、ご存じだったのですね」
「あぁ。セシアナが、お嬢様がいないといっておお騒ぎをしていたからな。まるで、過去に戻ったようだ。四年前までは、殿下は勝手にお前の部屋に忍び込んでは、お前を連れ出していただろう。あの時と、同じ」
「勝手にいなくなって、ごめんなさい」
「いいんだ。殿下もお前も、もう幼い子供ではない。咎めるようなことはしない」
今も昔も、カイネルードはルティナを無断で連れ出していた。
クオンツが一緒の時もあれば、そうでない時もあった。
それは、フォドレアの遺跡での事件の後でも続いていて、ルティナの両親は特に何も言わなかった。
カイネルードがルティナを部屋から連れ出してくれることは、ありがたいことだと考えているようだった。
だが今は、どうだろう。
二人とも子供ではなく、正式な婚約者である。
婚約者が二人で出かけるというのはそうおかしなことではない。
けれど、さすがにワイバーンの討伐に出かけたりはしないだろう。
ルティナは昨日のことを詳しく話すのはやめることにした。
カイネルードが秘密だと言っていたのだ。秘密は、守らなくてはいけない。
「頭が痛かったのは、お前と殿下のことでな」
「私と、カイネ様の……やはり私は、ふさわしくありませんよね」
「そういうことではない。王妃になれば、より多くの人の目に晒される。お前が再び傷つくこともきっとあるだろう。クワイエット家にいれば、お前は傷つかなくてすむ。もうあのような思いを、お前にさせたくはないのだ」
それは、ルティナが幼いときのことだ。
アンバーはルティナが皆から責められ、恐れられ、嫌われて、深く傷ついたことを気に病んでいる。
それは他の誰でもない、ルティナ自身の問題で、ルティナに責任があるというのに。
「お父様。それは、私が悪いのです」
「何も悪くはない。罪があるとすれば、お前に魅了の力があると気づけなかった私たちだ。すまなかったな、ルティ」
「そんなことは」
「私もマライアも、お前とクオンツを大切に思っている。だからこそ、傷つくことが目に見えている運命を辿ることを避けたいのだ。親としてな。そして殿下の妻になるということは、その運命を辿るということだ」
「……それは」
違うとは、言えなかった。
それほど、カイネルードの立場はこの国にとって大切なものだということだ。
「だが殿下は、ルティを必ず守ると約束してくれた。絶対に傷つけるようなことはしない、とな。私は殿下を信用し、お前との婚約を受け入れることにしたのだ」
「婚約は、皇家からの命令なのでは」
「それもあるが、殿下の希望でもある」
「そう、なのですか……」
「あぁ。お前もわかっていると思っていたが」
「私は……」
ルティナはカップの中の紅茶を見つめた。
いまだに、他人を信用しない、心の弱い女がそこに映っている。
「私は、カイネ様を……信用してもいいのでしょうか」
「それはお前が決めることだ、ルティ。お前の目で見て、心で感じたことを信用しなさい」
「お父様……」
「お前の作った頭痛薬のように、お前の心の傷が消える魔法薬があるといいがな」
「はい……」
「その薬は、殿下だけが作ることができるのかもしれないと、私は期待している」
アンバーはそう言って、ルティナの頭を撫でる。
それから「何かあったらいつでも言いなさい」と、優しく付け加えた。




