心の奥底からこぼれたもの
ルティナの様子に気づいたカイネルードは、その体をすぐに抱きあげた。
転移魔法の魔力が体を包む。
風の吹き荒ぶ龍の巣の景色が歪み、海の音が遠くなっていく。
ルティナはカイネルードの服を掴んで、吐息をついた。
はぁはぁと呼吸を続けることだけが精一杯で、体の中を何かが暴れ回っているかのようだった。
カイネルードの触れる手が、体の感触だけが、妙にはっきりと感じられる。
それ以外は、蜃気楼のようにかすみぼやけているというのに。
カイネルードの心音が、息遣いが、硬い骨と筋肉が、その体の体つきが、声が、全てが。
ルティナの中でいっぱいになってしまったような気がした。
触れられる指先が、熱をもつ体よりもずっと熱い。
心臓が、とくとくと鼓動を刻んでいる。カイネルードの美しい横顔が、引き締まった口元や金糸のような髪が、ルティナの心を震わせた。
感情があふれて、とまらない。
「……カイネ様、私、変です」
「ルティ。話さなくていい。大丈夫だ、俺が一緒にいる」
「……っ、はい」
深く閉じていた瞳を開くと、そこは見知らぬ部屋だった。
大きな窓の外には海が見える。白いベッドに、籐を編んで作られた椅子とテーブル。
異国のような場所である。
壁には大きな赤い花の絵が飾られていて、テーブルの上には水差しや飲み物の瓶が置いてある。
半分ほど開かれた窓から風が優しく吹き込んでくる。
「大丈夫か、ルティ」
柔らかいベッドの上に寝かされているルティナの頬を、カイネルードが撫でる。
上着を脱いでシャツだけになっているカイネルードの胸元や首筋が、妙に艶めいて見える。
まだ、頭がぼんやりしている。熱は引いていかない。カイネルードの声を聞くだけで、心が跳ねる。
「頭痛薬を作ったと言っていたな。もしかして、飲んだのか?」
「……試作品でした。ですから、効果を試すために、一錠飲みました」
「そのせいだろうな。頭痛薬に何かが混じったのだ。今の君は……そうだな、強い酒を飲んだ時のような状態にある」
「カイネ様。……私、そうではなくて、多分」
魔法薬を作る時には分量をきっちりはかる必要がある。
それを間違えたりはしなかったはずだ。
途中で違う材料を混ぜてしまったという可能性もある。
しかし、ルティナは気づいていた。
これは、魅了の効果だ。
強制的に、頭の中をいじられるような感覚。体が勝手に熱を持ち、目の前の人が特別だと信じてしまう感覚が、体を支配している。
「カイネ様、ごめんなさい。これは魅了……です。私、薬に、魅了の魔法を込めてしまったのです、きっと」
「……それは、多分、違うと思うが」
「きっとそうなのです。私……っ、ごめんなさい、カイネ様」
これほどまでに乱暴に、心を奪っていくものなのか。
頭の中が、カイネルードの存在だけでいっぱいになる。
ここがどこだとか、今が何時だとか。
そんなことはどうでもよくなってしまう。迷惑をかけてしまっているという罪悪感も、薄れていく。
ただ自分の欲望だけで、心がはちきれそうになっている。
抱きしめてほしい。好きだと言って、ずっと。
「カイネ様、ごめんなさい……ダメ、なのに……あなたが、好き、です」
「ルティ……」
涙を指先で拭われる。慰めるように目尻に唇が落ちると、全身がかぁっと、熱くなる。
指先に、爪先に、火が灯ったようだった。
「ごめんなさい。カイネ様、忘れてください……こんなの、違う。でも、カイネ様が好き。好きです。私、嬉しかった。私と遊んでくださるのが、嬉しかった。友人だとおっしゃってくださるのが、嬉しくて」
「あぁ。ルティ、知っている」
「窓、開けていました。ずっと。いつかまた、来てくださるんじゃないかって。私、寂しくて」
「そうか。俺も同じ気持ちだった」
本当、だろうか。
カイネルードも寂しいと思ってくれていたのだろうか。
「舞踏会、楽しかったんです。……すごく、楽しくて。カイネ様、カイネ様……」
途中から、自分が何を言っているのかさえよくわからなくなっていた。
カイネルードの空色の瞳に、瞳を潤ませて頬を上気させながら、あなたが好きだとうわごとのように呟くルティナが映っている。
困ったように眉根を寄せて、それから深く息を吐き出した。
「これは、魅了の効果ということにしておいたほうが、いいのだろうか。……このままでもいい気がしてきたが」
カイネルードが悩ましげにそう呟くと、普段は滅多に声を出さないウリちゃんが「がるる」と可愛らしい威嚇の声をあげる。
ルティナの隣で今にも噛み付かんばかりの勢いでカイネルードに吠えるウリちゃんの頭を、カイネルードは軽く撫でた。
「そうだな。いけないな。いくらルティが可愛かろうが、このままでは辛いだろう」
「カイネ様……私を、抱きしめてくださいませんか……?」
「あぁ。構わない。ルティ、君の体から魔力を抜く。どうにも、素材の魔力がうまく噛み合わさって、思わぬ効果を生んでいるようだからな」
カイネルードはルティナに覆い被さるようにして、その体を抱きしめた。




