頭痛薬の失敗
そんなに――簡単なことではないのだ。
魔物憑きが迷信であろうとなかろうと、皇国ではそれは不吉な象徴と言われている。
精霊の加護を持つということはつまり、神の祝福を受けているということなのだから。
そんな祝福を受けた自分たちには魔物が傷をつけられるはずがない。
傷をつけられるのだとしたらそれは、精霊から見捨てられたということ。魔物憑きが不吉の象徴とされているのは、皇国の民のそのような感情から来ているのだと、ルティナは知っている。
クワイエット家の両親もクオンツもルティナに優しい。そしてセシアナも。
けれどそれ以外の侍女たちはルティナのことを腫れ物に触るようにして扱う。
できるだけ、近づかないように。触れないように。
そちらの態度の方が皇国民の総意であると、ルティナはよく分かっている。
時折考えてしまうのだ。セシアナにいまだに子供ができないのは、自分の世話をしているせいではないか。
魔物憑きに触れるから、セシアナも呪われてしまっているのではないかと。
本当は、カイネルードに触れられることも禁忌のように感じられる。
けれど、はっきりとは拒絶できない。
それはルティナの弱さである。
少なからず――彼が自分を忘れていなかったことが、嬉しいと感じてしまっている。
ルティナはそれに、気づいている。
嬉しい。悲しい。腹立たしい。
ずっと、窓を開いていた。
カイネルードが来た時に入れなかったら困るだろうと思い、鍵をかけることができなかった。
首の傷を隠すのは、カイネルードに貰った首飾りで。
それはルティナが周りの人々を傷つけないためにも大切なものだから、外すことなどできなかった。
首飾りがある限り、ルティナはカイネルードを忘れることなどできない。
けれど、ルティナほどカイネルードに相応しくない女はいない。
それは、友人としても。そして――婚約者としても。
二つの気持ちがまじりあい、苦しくて苦しくて、溺れそうなのに。
カイネルードはあっさりと「魔物憑きなど迷信」だと言い放った。
そんな風に考えることができたら、どんなに楽だろう。
けれどカイネルードの立場が、そしてルティナの立場がそれを許さない。
(感情は、隠しておかなくてはいけないのに。どうして。笑うことが、できない)
涙がこぼれ落ちないように唇を噛む。
どうにも、感情があふれてとまらない。
連日の寝不足のせいか。悪夢のせいで心が弱っているからか。
その両方かもしれないが、人前では涙を見せるようなことをしなかったというのに、今は、心が、頭が、そして体を巡る血液さえも、やるせなさでいっぱいになる。
我慢しようとしているのに、どうしようもなかった。
カイネルードが簡単に、ルティナの閉ざした扉を開くせいだ。
ルティナの部屋の窓があいていることを、知られてしまった。
けれど、たとえ閉じていたとしても、カイネルードは窓を壊してでも部屋に入ってくるだろう。
入ってきてくれるだろうと――期待している自分がそこにいるのが、苦しい。
「ルティ」
低い声で名前を呼ばれて、腕を掴まれ抱き込まれる。
それは、有無を言わせない横暴さで。
ルティナの気持ちなどまるで無視した強引さで。
痛いぐらいに抱きしめられて、ルティナは切なく眉を寄せる。
この四年で、同じぐらいの背丈だったカイネルードは、驚くほどに大きくなってしまった。
はっきりと男性だとわかる体つきに。声に。
けれどその態度は、かつてルティナの部屋に訪れていた時のカイネルードとまるで変わらない。
明るくて眩しくて――体が、灼けてしまいそうだ。
抱きしめられると、カイネルードの鼓動が、呼吸の音が、自分のそれとまじりあった。
「ルティ。……すまない。君の気持ちも考えずに、軽率なことを言った」
「大丈夫です。違うのです、私は……」
「違わない。女性の体に傷が残ることほど残酷なことはないのに。それが俺のせいでついた傷だ」
ルティナは首を振った。
カイネルードのせいではない。誰もせいでもない。
ただ――傷は、残ってしまった。それだけだ。
「だが、ルティ。他の誰が何を言おうと、俺は気にしていない。むしろ――愛しい」
「どうして……」
「言葉にするのは難しいが……俺のために君は傷をおった。まるで、俺の物になってくれたようで……嬉しいというのは、違うな。それはあまりにも、君に対して不誠実だ。そうではなく」
それから少しの沈黙が続く。
主のいなくなった竜の巣では、びゅうびゅうと海風が吹き上げている。
髪やスカートを激しく風が揺らす。けれど、カイネルードの体は揺らぐことはなく、逃げられないほどに強く抱かれていると、体が吹き飛ばされるような不安も感じない。
「俺はその傷を含めて、ルティが好きだ。それでは、足りないか?」
「……っ」
許しを請うような声音だった。
「君に愛を伝えるには、強くなる必要があった。誰よりも強く。それは君を守るためだ。誰にも、文句を言わせないため。君の立場を君がどう感じているかを、理解しているつもりだ。それは、俺の責任でもある」
「カイネ様は、何も……!」
「ルティを守ることができたはずだ。あの時、君が皆に責められた日も。それから、遺跡でも。だが、俺にはそれができなかった」
「それは全部私が悪いのです。カイネ様には何一つ、罪などはありません」
「俺は、好きな女の子を、守れなかった」
ぞわりと、体に熱が巡る。
カイネの腕の中で、ルティナは体を震わせた。
「ルティ、どうした? 体が、熱い。風にあたりすぎたか。熱が……」
「カイネ様……っ」
ルティナはカイネの服を、力の入らない指先で掴む。
感情がおさえられないのも。無性に泣きたくなったのも。
きっとこの、熱のせいだ。




