修行の成果
そこは小高い丘である。
風が吹き荒れる丘に、ルティナはカイネルードに抱かれて立っている。
広い丘の両脇には切り立った崖があり、短い雑草やクローバーなどが一面にはえている。
強い風がルティナの髪を揺らす。ドレスのスカートがふわりと浮き上がりそうになって、慌てて押さえた。
丘の下には海が広がっている。
風に煽られて白波の立つ海面を、海鳥たちが滑るように飛んでいる。
「海、ですね」
「海だ。ここは、皇国西にあるアリムス海岸。神聖なるエラリー大岩壁の中腹にある、ワイバーンの巣だ」
「ワイバーンの巣!?」
海鳥たちが餌場から逃げるようにして飛び立っていく。
海面を斬るように風を巻き上げながら飛来する、大型の魔物の姿がある。
細身な体に、体を二倍したぐらいの大きさの翼。つるりとした体は爬虫類のそれに似ているが、体を硬そうな鱗にびっしりと覆われている。
切り立った岩々とよく似た茶色の皮膚に、蛇のような金の瞳。
四本足からはえたかぎ爪はその一本がルティナと同じぐらいの大きさで、硬い岸壁さえ軽々と切り裂くことができる。
指定危険度は最上級。人里に降りることは滅多にないが、姿を魅せれば小さな村などは簡単に潰されてしまう程の『竜』に属する魔物である。
「カイネ様、帰りましょう……! 危険です……!」
ルティナの腕の中で、ウリちゃんも警戒のためか毛を逆立てている。
なんとなれば、ルティナは首飾りを外して闇魔法を使うつもりでいた。
カイネルードを守るのは自分の役目だと、久々の使命感に体が奮い立つ。
奇妙に体が熱いのは、このような場所に突然連れてこられた興奮のせいもあるのだろう。
「ルティはそこで、見ていろ」
見ていろといわれても、ただ何もせずに見ていられるわけがない。
崖の奥にある洞窟は、ワイバーンの巣なのだろう。ワイバーンにとっては、ルティナたちは巣に侵入する不届き者である。
明らかに敵意をむき出しにして、ルティナとカイネルードに向けて飛来してくるワイバーンの姿に、ルティナは青ざめた。
カイネルードの服を掴もうとするが、軽く肩をおされる。
後ろに倒れそうになるルティナを、ふわふわの何かが包み込んだ。
それは、うすぼんやりと光る、綿毛のようなものだった。ただし、ルティナを包み込めるぐらいに大きい。
そのふわふわでほわほわとした何かに包まれたルティナの周りに、光の壁ができあがる。
それは硝子のように透き通っている四面体で、触れてみると硬く、叩いてもびくともしない。
「カイネ様!」
「それは結界。君に危険がないように。ルティ、俺が強くなったところを見ていてくれ。口だけではないところを証明しなくてはいけないと、思ってな」
「いいですから、大丈夫ですから……っ、危険なことはしないでください……!」
「ただ魔物をいたぶりにきたというわけではなくてな。アリムス海岸周辺の観光地から、ワイバーンの被害の報告を受けている。空を飛ぶものは逃げ足が速い。調査を続けていたところ、ここに巣があることを突き止めたのだ」
それは皇太子殿下のすることではないのではないか。
けれど、被害が出ている以上は、力がある者がそれを止めるべきというのも理解できる。
そしてその力が、カイネルードにはあるのだ。
「カイネ様、討伐の理由は分かりました。けれど、私をここから出してください……! 私もご一緒します。カイネ様を守ることは、クワイエット公爵家の役割です……!」
「俺は君に守られたりはしない。それに師は言っていた。ワイバーンを素手で倒す男に惚れない女はいないと。ルティに見て貰わなくては、強くなった意味がないだろう?」
ルティナはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
カイネルードが堂々としすぎていて、そしてその言葉があまりにも明瞭で自信に満ちているせいで、「そういえばそうかもしれません」と納得しそうになってしまう。
だが、カイネルードは言ったばかりだ。
フォドレアの遺跡は危険だった。あんなところに行ったのは、己が子供だったからだと。
それはもう大人だから、無謀なことはしないという意味ではなかったのか。
「カイネ様、お師匠様のおっしゃることは大切かもしれませんが、私は、カイネ様が危ない目に遭うのを見ているのは嫌なのです……っ」
「大丈夫。危険はない。俺は強くなったのだ、ルティ」
「で、ですが、せめて魔法を……っ」
「魔法を封じられたら戦えないというのは、男としては情けない。まぁ、俺に任せておけ」
カイネルードは頑なすぎるのではないだろうか。
一体師匠とはどんな人なのだろう。
何をどう教えたら、ワイバーンを拳で倒そうという発想にいきつくのか。
もしかしたら、エルナン王国にはそんな人ばかりなのだろうか。
確かにエルナン王国では武力が尊ばれる傾向にあるとは、家庭教師の授業で学びクワイエット家の蔵書で読み、知ってはいるものの、本での知識と実際とは違う場合がある。
「カイネ様……!」
ワイバーンが、カイネルードに向かい急降下してくる。
カイネルードは軽く大地を蹴ると、低い姿勢から体をばねのように使って飛び上がった。
あり得ない程の高い跳躍は、まるで空を飛んでいるようにも見える。
速度をあげていたために急には止まることができず、カイネルードのいた場所にギザギザの歯が並ぶ尖った口を突っ込ませるワイバーンの背に、カイネルードは軽々と着地した。
それから、拳を握りしめて、勢いよくその頭蓋を殴りつける。
まるで──雷撃でもくらったかのように、ワイバーンはふらふらとたたらを踏んで、それから丘の上へとどさりと倒れる。
甲高い声をあげながら、倒れた体をじたばたと動かして暴れまわるワイバーンに、カイネルードはさらにもう一発、下からその首を突き上げるようにして殴りつけた。
どさりと倒れたワイバーンは、完全に沈黙をする。
まるで砂塵のようにその体がさらさらと消えていくのを、腕を組んで満足気に見つめていたカイネルードが、ルティナを振り返った。
「ルティ。どうだ」
「ど、どうだと言われましても……っ」
すごい。
確かにすごいが、必要なすごさなのかどうか、ルティナにはよくわからない。
ともかくカイネルードは彼が言っていた通りに、素手でワイバーンを倒せる男になったのだ。
もしかしたらエルナン王国では、それが一人前の男になる条件なのかもしれない。
エルナン王国にもワイバーンがいるのだなぁと、ルティナは働かない頭でぼんやりと考えた。
「これで、証明できただろうか。俺が嘘つきではないことを。君と連絡を取らなかったのは……すまなかったと思うが。手紙もろくに出せない状況でな。帰ってきてからも、一人前の強い男になるまで君には会えないのだと、自分を戒めていた」
「……カイネ様」
ルティナを包んでいた四面体が消えて、椅子替わりにルティナを包んでいた綿毛も消えた。
自由になったルティナは、近づいてくるカイネの服をぎゅっと掴んだ。
「ご無事で、なによりでした。お怪我はありませんか? カイネ様の体に魔物憑きの傷がつくなど、あってはならないことです」
「別に構わない。俺も君とお揃いになりたい」
「駄目です……!」
「ルティ。……首の傷のことなら、そんなものは迷信だ」
いつの間にか、ルティナの目尻には涙が滲んでいた。




