婚約宣言
ルティナはカイネルードの腕の中で、表情にこそあまり出さなかったが内心はとてつもなく狼狽えていた。
あの小さかったカイネルードと同一人物だとはとても思えない。
ルティナを軽々と抱き上げているカイネルードは、クオンツよりも背が高く、腕も胸も立派で、まるでどこかの若い騎士のようだ。
ルティナと二歳しか年は離れていないので、今は十七歳。
けれどずっと大人びて見えたし、小柄なルティナにとっては大人と子供ほどの差異があるように感じられた。
──兎にも角にも、目立っている。
皆からの視線が痛いほどに注がれている。カイネルードの体があまりにも近くにある。
それら全てがいたたまれない。
この数年間ずっと、顔を見る相手といえば父か母か、クオンツか、セシアナぐらいのものだった。
それなのに、居並ぶ多くの貴族たちの視線に晒されて、恐怖と羞恥がないまぜになった感情が沸き起こり、ルティナの頬を朱色に染めた。
「カイネルード様、本当に、カイネルード様、ですか……?」
降ろして欲しいと告げる前に、そんな言葉を呟いてしまう。
カイネルードはどこかで見たことのある──幼い頃と同じような明るい笑みを浮かべて、ルティナを覗きこんだ。
金の髪が、ルティナの頬に触れる。
あまりにも近くで見つめられて、ルティナは視線を逸らした。
「あぁ。君の、カイネルードだ。四年と二十三日会っていなかったから、少し変わっただろう?」
「少し……?」
「ルティは美しくなったな」
「いえ、私は……」
「俺との婚約の話を、受けてくれると聞いた。嬉しいよ。クワイエット公爵、奥方様。この度は突然の申し出を快く受けてくださり、感謝をします」
成り行きを見守っていたルティナの両親は、顔を見合わせると好意的に微笑んだ。
「こちらこそ、ありがたい申し出、感謝します。殿下、隣国に出向かれてからずいぶんと立派になられましたね」
「男の子の成長は早いですけれど、まるで別人のようです」
父の言葉に、母も頷いた。
「エルナン王国で師と出会いまして。体を鍛えてまいりました。大精霊ルークスレドの力に驕って、己を鍛えることを忘れていたのです。今はもう、素手で魔物を倒すことができます」
「素手で……」
「あぁ。任せて欲しい、ルティ」
「す、素手は、危険です……」
昔から、カイネルードとは自信に満ちた男だった。
それが――エルナン王国で師匠に師事したからだろうか。
肉体的にも立派になり、その輝きは以前にも増している。
正直、直視すると目が潰れそうなぐらいだ。
「心配してくれている? ありがとう、大丈夫だ。俺は万能な上に強くなった。君を守ることができる」
「……カイネルード様、私は、その、危険なことは何も」
「何があるか分からないだろう? 本当はすぐに会いに行きたかったのだが、師に好きな女に会いに行くのならば、素手でワイバーンを倒すことができるようになってからだと言われてな。無事に仕留められて、今、というわけだ」
爽やかに物騒なことを言うカイネルードに、ルティナは怯えた。
そしてさらりと、『好きな女』と言われたことに衝撃を受けた。
まさか、そんなわけがない。
カイネルードは確かにルティナを友人だと言ってくれていた。
それはあくまでも友人で、ルティナにとっては唯一の友人といっても過言ではなかった。
そこには、恋愛感情などなかったはずだ。
(カイネルード様は、王家の方針で私を娶ってくださるつもりだ。だから、優しい人だから、私が困らないように優しい嘘をついてくれている)
そんな風に自分を納得させて呑み込んで、ルティナはカイネルードの肩を軽く叩いた。
「ん?」
「あの、カイネルード様。おろしてくださいませんか。私、恥ずかしいのです」
「婚約者なのだから、恥ずかしがる必要はない」
「そういうことでは、なくて……」
「さぁ、行こうかルティ。俺たちの婚約を皆に知らせるのだったな。ルティは俺の傍にいてくれ」
カイネルードはルティナのお願いを聞き入れることなく、クオンツやクワイエット夫妻に挨拶をすると、ルティナたちに注目している貴族たちの中を堂々と通って広間の奥へと向う。
広間を見下ろせる一段高くなっている壇上には、玉座といくつかの立派な椅子が並んでいる。
皇帝陛下と皇妃、そして第二妃が並び、穏やかに談笑をしている。
ルティナが王妃と会うのも久しぶりだった。
母と王妃が疎遠になったという話は聞かない。手紙のやりとりをしたり、二人で出かけたりは続けているようだ。
カイネルードはカイネルードで一人で公爵家に遊びに来ていたので、カイネルードが成長したために、どこに行くにも連れて行くようなことをしなくなっただけなのだろう。
サラデイン皇帝陛下はカイネルードを二十年老けさせたような容姿をした、立派な姿の美丈夫である。
皇妃と、第二妃の他にも、妻が五人ほどいる。
優秀な子を残すため、サラデイン皇帝は多くの嫁を持つ。
皇位継承権は、皇妃の男児が一番上で、その次に第二妃の男児、第三、第四という順番になっている。
カイネルードに何かがあれば、第二妃の息子が皇帝になる。
つまり、ルティナを妃にした場合でも、カイネルードは第二妃やそれ以上に嫁を娶るということである。
カイネルードの妻になるなどまだ実感はないが、皇妃はどんな気持ちで皇帝の隣に座っているのだろうと思う。
(嫉妬をしたり、しないのかしら。立派な方だから、そういうものだと割り切っているのかもしれない)
皇妃ミラは、カイネルードとルティナが近づいてくるのに気づいて、にこやかに微笑んだ。
かつてルティナは、皇妃ミラのことも魅了をしてしまっていたらしい。
けれど、怒っている様子も、ルティナを嫌っている様子もなさそうだった。
「カイネルード様、降ろしてください。私、きちんと挨拶をしなくては……」
「あぁ、そうだな。では」
カイネルードの腕から降りたルティナは、慌てながら、けれど優雅に、皇帝陛下に淑女の礼をする。
「ルティナをつれてきましたよ、父上。そして母上たち。ルティナは俺との結婚を承諾してくれました。俺たちの婚姻を、認めてくれますね」
「あぁ。ルティナは、クワイエット公爵家の中でも前例がないぐらいに強いヴァレリーの加護を受けていると聞く。ルティナとお前の婚姻は、サラデイン皇国のさらなる発展をもたらすだろう」
「俺はルティと結婚するのであって、ヴァレリーは関係ありませんよ」
カイネルードは不愉快そうに皇帝を軽く睨んで、それから肩をすくめた。
そして、大広間で皇帝の言葉を待っている貴族たちへと向きなおる。
ルティナの手をうやうやしくとって、騎士がするような礼をする。
皇太子であるカイネルードが誰かに頭をさげるなどは、余程のことがないかぎりはありえないことだ。
貴族たちはざわめき、そして静まった。
「今日は、集まってくれて感謝をする。今ここで、カイネルード・サラデインはルティナ・クワイエットを婚約者にすることを皆に伝えておきたい。闇の大精霊ヴァレリーの加護を持ち、長く王家の剣として国を支えてくれているクワイエット家の娘と私の婚約は、サラデイン皇国にとって大きな利益をもたらすだろう」
「ですが、殿下! クワイエット家の娘は、おそろしい魅了の力を持つと聞きました!」
「我が息子も魅了をされたのですよ」
「皇帝家にそのような娘を迎えるなど、国が乱れる原因となりましょう」
貴族たちから、声があがる。
ルティナが視線を走らせると、どことなく見覚えのある者たちの姿がある。
ルティナが魅了をしてしまった友人たちだ。
皆、それぞれ成長しているが、面影は残っている。
声をあげているのは、その家の両親たちだろう。
クワイエット家が慰謝料を払い解決をしたことだが、感情的にはまだルティナを許すことができないのだ。
「そのことなら、問題はない」
カイネルードは、どういうわけか自信満々に胸を張った。
常に自身に満ちているカイネルードだが、そうしていると信憑性のないことばでも全て信じられる気がしてくるから不思議である。
「なぜなら、私はルティナを愛している。ルティナを、私以外の男を魅了しようと思えないぐらいに、私に溺れさせる自信があるからな」
「……か、カイネルード様……」
ルティナは、両手で顔を隠した。
いたたまれなさすぎて、今すぐこの場から逃げたかった。
できることなら「私はまだ十五歳なのですよ……!?」と、あまりのことを言うカイネルードの口を塞ぎたかったが、そんなことはとてもできなかった。




