四年ぶりのカイネルード
どんなに恐れていても、朝が来て昼が来て夜になり、一日が過ぎていく。
社交界へのお披露目と、皇太子殿下の婚約者としてのお披露目。
その二つが重なるのだと、ルティナの母は久々に張り切って、ルティナのドレスや装飾品の準備に勤しんでいた。
両親はカイネルードとの婚約を、とても喜ばしいこととして受け止めているようだった。
カイネルードの他にルティナを貰ってくれるような男はいないのだと考えている節がある。
カイネルードとルティナは幼馴染であり、仲のよい友人である。
だからきっとうまくいく。大丈夫だろうと。
(カイネルード様とはずっと、会っていないのに。きっと私のことなど、忘れているわ)
そもそも王家からの打診は、ルティナの持つヴァレリーの加護を重要視してのことだ。
ルティナがカイネルードに望まれているわけではない。
カイネルードが隣国に留学したのは、カイネルードが十三歳、ルティナが十一歳の時。
つまりもう、四年近く会っていないことになる。
隣国に留学する前には手紙を貰った。すぐに帰ると書かれていたが、それから音沙汰はなかった。
十三にもなれば、カイネルードは──それでも細身で、まるで美少女のようだったのは変わらないが、中身は幼い子供からしっかりした少年になっている。
ルティナと遊ぶことは、もうつまらなくなっていただろう。
同年代の友人も多くいたはずだ。女性たちも、きっと放っておかない。
家にばかりこもっているルティナを構うなど、面倒になってしまっても仕方ない。
そんなふうに思って、割り切っていた。
少し、安堵してもいた。どうしてもルティナは怖いのだ。信頼している相手に嫌われることが。それなら、はじめから何もないほうがいい。
それなのに今更。婚約なんて──。
友人だったはずの少年が、今はもう遠い。
まるで全く知らない赤の他人との婚約を突然決められたような心境だ。
何かの間違いだと。嘘だと。言ってほしい。
やがて皇帝になる男の隣に並ぶなど、ルティナにはできそうにないのだから。
瞬く間にお披露目会の日になり、ルティナは両親と兄と共に馬車に乗り、城に向かった。
今日のために仕立てたドレスは、カイネルードの青い瞳と同じ色の生地で作ってある。
青を基調に、おめでたい日なので華やかな白をアクセントにしてある。
腰のあたりでふわりと広がるスカートはまるで、貝殻のようだ。
爽やかで華やかで可愛らしいドレスも、髪飾りも、自分には不似合いに感じる。
首に巻かれた、傷跡を隠してくれる封魔の首飾りに触れると、少し心が落ち着いた。
馬車から降りて、城の階段をクオンツにエスコートされながらあがっていく。
着飾った貴族の者たちの姿が、艶やかに目に飛び込んでくる。
その中にはきっと、過去ルティナが魅了をしてしまった、失った友人たちがいる。
ルティナの悪評はきっと、彼らが皆に広めているだろう。
悪い想像ばかりで胸がいっぱいになり、息が詰まりそうになる。
「ルティ、大丈夫か」
クオンツが足を止める。ルティナの顔色が悪いことに気づいたのだ。
「大丈夫です」
帰りたいけれど、それが許されないことはよくわかっている。
美しく飾り付けられた大広間に入ると、集まっている貴族たちの視線がルティナに刺すように注がれた。
どうして、そんなに見るのだろう。
──やはり、恐ろしい女だと思われているのだわ。
そうとしか、考えられない。もう魅了の力は、封じている。大丈夫だと伝えたくて、目が合った少年たちにぎこちなく微笑んでみせた。
すぐに、視線が逸らされてしまう。
ずしり、と。ルティナの心は沈んだ。
暗い沼の中に引き摺り込まれているように。
これほどまでに嫌われているのに、カイネルードの婚約者になどなっていいはずがない。
「ルティ!」
ざわめく大広間にひときわ大きな声があがった。
人の波を飛び越えるようにして──文字通り飛び越えながら、人影がルティナの前に降ってくる。
その青年は人の波を、跳躍一つで飛び越えた。
そのことはもちろん驚きだが、こんな正式な場で飛んだり跳ねたり走ったりするなど、ありえないほどの常識知らずである。
ふわりと、マントが翼のようにひるがえる。
立派な体躯の青年である。背が高く、腕も足も長い。
繊細な装飾の施された衣服とマントが、その立派な体躯を包んでいるが、華やかな衣装に負けないぐらいに惚れ惚れするほどの、筋肉質な体つきだ。
(騎士、かしら。けれど、騎士の知り合いなんていないわ)
青年はルティと、はっきりと、ルティナの名前を呼んだ。
低く少し掠れた、溌剌としていて、弾むような、けれどどこまでも甘い声だった。
驚くルティナの前で青年は居住まいを正すと、その美しい顔に満面の笑みを浮かべる。
どこかで見たことのある笑顔だ。
肩まである長い金の髪は濡れたように艶やかで、涼しげな目元には金のまつ毛が綺麗に並んでいる。
高い鼻梁に、薄い唇。太い首。青い瞳は、ルティナをまっすぐに見つめていた。
「ルティ、会いたかった! なんて可愛らしく美しくなったのだろう、俺のルティナ!」
俺の、ルティナ。
眩暈がした。ルティナは、カイネルードの婚約者である。
貴族たちはまだ知らないが、本日王家より皆に発表される予定だ。
その大切な日に、見ず知らずの青年に『俺の』ルティナと呼ばれてしまうなど。
(これでは、魅了の力をいまだに振りまいていると思われてしまうわ……!)
泣きたくなった。
せっかく、カイネルードが危険な目にあってまで、封魔の首飾りを手に入れてくれたのに。
カイネルードもきっと幻滅するだろう。
久々に会うルティナが、再び人の心を操る魅了を振り撒く、最低な女に成り下がっていたのだから。
戸惑い青ざめ震えるルティナの様子を気にせずに、青年はルティナの腰を掴んで持ち上げると、あろうことかその場でくるくると回った。
「あぁ、ルティ。四年も君に会えないなんて、とても長かった。美しいな、ルティ。会いたかった!」
「は、離してください……」
「殿下。ルティを困らせないでください」
「で、殿下……!?」
クオンツが注意をする。
その名前に、ルティナは思わず目を見開いた。
殿下とは、カイネルードのことだ。この国でそう呼ばれる者は、カイネルード以外にはいない。
ルティナの記憶の中のカイネルードは、少女のように小柄で愛らしい容姿をしていた。
間違っても、目の前の筋骨隆々な騎士のような男ではない。
顔立ちが美しいのは同じだが、それでもそれは、しっかり男性の美しさだ。
美しいというよりは、精悍な顔立ちをしている。
「ルティ、俺のことは殿下と呼ばない約束だ。罰ゲームはなんだったか。そうだ、君の部屋に一晩泊まるという約束だったか」
「都合よく記憶を改竄しないでいただきたい。そのような約束はしていません」
「もう婚約者になったのだから、構わないだろう、クオンツ」
「まだ発表されていませんよ」
クオンツは腕を組みながら、苛立たしげに眉間に皺を寄せた。
カイネルードはルティナを抱き上げたまま、「そうだったか?」と首を傾げた。




