婚約の打診
頭では、理解しているのだ。
どうしようもなかったとはいえ、人の心を操っていたルティナに罪がある。
友人たちから嫌われることも、使用人たちから恐れられることも。
それはルティナのせいであって、彼らが悪いわけではないのだと。
ひととき、落ち着いていたおそれや不安で心がいっぱいになってしまう。
部屋の外が、怖い。
あの目で見られることが。
信じていた人から嫌われることが、怖い。
ルティナの生きていた世界はやはり、幻想だった。
大精霊ヴァレリーがつくりあげた幻想。
それは、カイネルードから貰った首飾りと共に、シャボン玉がパチンと弾けるようにして、簡単に消えてしまった。
そうしてルティナは、部屋にこもるようになった。
人と関わることが怖い。外に出るのが怖い。
部屋の中にいれば怖いことは起こらないのだと、信じ込んだ。
両親はそんなルティナを無理に連れ出すことなく、そっとしておいてくれた。
そうして数年。ルティナは十五歳になり、王城でのお披露目会に参加する年齢になってしまった。
「……行きたくありません」
部屋にこもっていても体は成長するもので、ルティナはリボンの似合う少女から、大人びたドレスの似合う女性へと成長しつつある。
夜空のような艶やかな髪は癖もほつれ毛もなくまっすぐで、背中まで伸びている。
目を伏せると頬に影ができるほどに長いまつ毛に縁取られた瞳は、美しいルビーのようである。
ふっくらした唇は紅をさしていないのに赤く色づき、あまり日に当たらないせいか白い頬や、細い首や華奢な体が儚げな、美しい少女の姿だ。
ベッドに座っているルティナの元に椅子を持ってきて、優雅に足を組んで座っているのは、こちらもすっかり大人びた姿のクオンツだった。
少年は、青年へと変わっている。
すらりとした背が高く細身の体に、質のよい黒を基調にした衣服を纏っている姿は、クワイエット家の貴公子である。
ルティナが聞いた噂によれば、エダート貴族学園では大層女性に人気があるのだとか。
この国の貴族の子供たちは、十六になるとエダート貴族学園に入学する。
そこで三年間、勉強をし社交をする。
ルティナにとって恐怖の対象でしかないそこに、クオンツは一年前に入学し、今は二年生である。
「行きたくないでは許されない。ルティ。いつまでもここにいるわけにはいかないのだよ」
低い声が、宥めるようにルティナに囁くように告げる。
やや長い黒い髪を指に巻き付けているのは、クオンツの困った時に行う癖だ。
「もちろん、私はお前が可愛い。いつまでも、ここにいて構わない。けれどね」
「お兄様は、無理をなさらないで。私はほら、この通り。ずっと、肌身離さず封魔の首飾りをつけています。だから、私を可愛がってくださるのは、お兄様がお兄様としての役目を果たそうと、ご無理なさっているからです」
ルティナのそばには、相変わらずウリちゃんが侍っている。
守護成獣は成長をしない。ウリちゃんは本当の犬ではないので、ずっと黒豆柴の姿である。
「お前はまたそんなことを言う。私は悲しいよ、ルティ」
「……本当に、そうなのです」
「確かにお前の力は強い。無意識に周囲を魅了してしまうのは不可抗力だっただろう。私も耐性はあったが、多少は影響を受けていたようだ」
「ごめんなさい。私、人の心を操るなんて最低なことをしてしまいました」
「別にどうとも思っていない。私はルティを可愛い妹だと思っている。それは変わらない。だが、その首飾りがなければ、私は道を踏み外していたかもしれん。正直、今も危うい」
「お兄様……?」
「というのは冗談で、それぐらいお前は愛らしいのだから、自信を持て」
自信など持てるわけがない。
ルティナは、陰気な色合いをした、魔物憑きの傷を持ち、恐ろしい魔法が使える根暗な魔女である。
自分の容姿になどまるで自信が持てないし、容姿以上に中身にも、自信などとても持てなかった。
「無理です、お兄様。私には、とてもできません」
「できないできるの話ではないのだ。王城のお披露目会は貴族の義務。十五になっても挨拶に出向かないなど、クワイエット公爵令嬢としてはありえない。その上」
「い、嫌です。私、とても……」
「ヴァレリーの加護を持つお前を、カイネルード殿下の婚約者にしたいという申し出が、王家から正式にあった。お披露目会の時に皆に公表をするそうだ。その場にお前がいないなど、許されることではないよ」
ルティナを怖がらせないようにか、クオンツは言い含めるように優しげに言う。
それから膝の上で握りしめられて震えているルティナの手を、そっと握った。
「私としても、とても嫌だ。ルティはずっとここにいていい。お兄様がルティの面倒をずっとみたい。いっそ私がお前を娶ってもいい」
「お兄様。魅了がかかっていますか……!?」
「などと、お前の魅了にかかっていたら私は言っていただろうが」
「そ、そうですか……魅了は、怖いですね」
「そうだな。……お前の力を悪心あるものの手に渡すと、国が乱れるかもしれない。殿下の妻になるのならば、国としても安心だろう。どのみち、断ることはできない」
「……でも、お兄様」
「ルティも殿下ならばいいのではないか? 友人が、恋人になり、夫になるだけだ」
「……そんなに簡単なことでしょうか」
ルティナは深くため息をついた。
王家からカイネルードとの婚約の打診が来たのはつい先日のこと。
子供の頃カイネルードは、ルティナが家にこもっていようとお構いなしに遊びに来ていた。
けれど、数年前に隣国に留学し、戻ってきてからは王立学園に通っている。
学園ではクオンツと同級で、その噂はクオンツから聞くことがある。
けれどルティナとは、もう何年も会っていない。
すっかり、疎遠になってしまっていた。




