ドリアの続き
またまた、不定期投稿です。これを読んで土曜日の定期投稿を楽しみに待って下さい。
カラン、と上品なドアのベルが鳴った。
カウンター越しにグラスを丁寧に拭いていた私は、顔を上げる。
入ってきたのは隆一さんだった。
時刻は一九時を回ったところ。まだ夜の帳が下りきったばかりの静かな店内に、彼の少し落ち着かない足音が響く。
(ふふ……やっぱり、来たわね)
他の客がまだ誰もいない早い時間を狙ってきたのは明らかだ。私と一対一で話したくて、タイミングを計っていたのだろう。
「いらっしゃい、隆一さん。早かったわね」
「やあ、百合ママ。……まだ誰もいなくてよかった」
安堵したように息をつき、彼がカウンターのいつもの席に腰を下ろす。そのとき、私と目が合うと、彼は少し照れくさそうに目元を緩めた。
「……それにしても、百合ママ。今日もすごく素敵だね。そのボルドーのドレス、すごく落ち着いた華やかさがあって、この店の雰囲気にぴったりだ。思わず見惚れちゃったよ」
冴えない中年男を自称する彼だが、こういう粋な気遣いがさらりとできるのが隆一さんの良さだ。
私は手にしていた煙草にライターで火をつけ、紫煙をふわりとくゆらせた。
「あら、お世辞でも嬉しいわね。そんな風に女を喜ばせるのが上手なところは、相変わらずスマートなんだから」
くすっと艶やかに微笑んで見せながら、私は手際よくカウンターの下から彼のキープボトル——キノコ型のキャップが特徴的な『サントリーロイヤル』を取り出す。アイスペールから透明な氷をグラスに落とし、冷水を注いで、いつもの黄金比の水割りを作って彼の前に差し出した。
「はい、どうぞ。いつものね」
「ありがとう、助かるよ」
隆一さんは水割りを一口煽り、ふうと息を吐く。そしてグラスの氷を指先で弄びながら、少しぎこちない口調で探りを入れてきた。
「……実はさ、ママ。ちょっと相談というか、話を聞いてほしくてね」
「なにかしら? 珍しいじゃない、隆一さんが私に相談だなんて」
私はカウンター越しに頬杖をつき、彼の少し泳いでいる視線を面白そうに観察する。
「……先週の土曜日の夜会のことなんだけどさ。玲奈ちゃんに絵里ちゃん、それに美穂さんまでいて……あんなハーレム状態、俺みたいな男には刺激が強すぎるというかさ。みんなすごく魅力的で可愛いんだけど、俺みたいな冴えないおじさんが、どういう顔をして彼女たちと接すればいいのか……距離感に迷っちゃってね」
隆一さんは大人の余裕を取り繕おうと渋い声を出しつつも、内心のあたふたを隠しきれていない。私に何かしらの「答え」や「免罪符」を求めているのが見え見えだった。
(まったく……相変わらず往生際が悪いんだから)
煙草の煙の向こうで、私は心の中で呆れつつも可笑しさに目を細める。
答えなんて、最初から一つしかないじゃない。
——玲奈一択よ。
昼間の『Shed』を間借りして、健気にカフェを営業している玲奈。あの子がどれほど隆一さんに対して特別な想いを抱いているか、私は誰よりも知っている。そして隆一さん自身、絵里ちゃんのアイドル級の可愛さに鼻の下を伸ばし、美穂さんの完璧な美貌にドギマギしながらも、結局のところ心が一番動いているのは玲奈に対してだけだということも、私にはお見通しだった。
けれど——ここで私が「玲奈にしときなさいよ」なんて答えを言ってしまうのは、あまりにも野暮というものだ。
男が自分の口で「俺は玲奈ちゃんが好きだ」「彼女を選びたい」と言い切らない限り、それは本当の覚悟にはならない。優しい言葉で逃げ道を作って甘やかすのは、ママとしての私の仕事ではないのだ。
私は煙草を灰皿の縁でトントンと叩き、灰を落とすと、わざと意地悪な笑みを浮かべて彼の目をじっと見つめた。
「隆一さん。美穂さんも絵里ちゃんもあんなに魅力的だし、目移りしちゃうわよねぇ。……男として、その気持ちはすごくわかるわ」
「え、ええ……まあ、男の夢みたいな空間だったからね……」
「でもね」
私は少しトーンを落とし、透き通るような視線で彼の心の奥を射抜くように囁いた。
「この店でグラスを交わす女たちの中に……あなたが“一人の男”として、本当に向き合いたい相手は誰なの?」
「っ……」
隆一さんの肩が跳ねる。
「私に答えを教えてほしいの? それとも……自分のずるさから逃げるための言い訳がほしいのかしら?」
核心を突く私の問いかけに、隆一さんは言葉を詰まらせた。グラスの中でカランと音を立てていた氷の動きが、ぴったりと止まる。
静まり返った店内に、ジャズのサックスの音色だけが低く響いていた。




