ドリア 前編
10月第三週の土曜日。秋の深まりを感じる心地よい風が街を包んでいた。
私、高橋美穂(31歳)は、いつになく真剣な面持ちでカフェ『Shed』のドアをくぐった。
目的はただ一つ。可愛い後輩の玲奈と絵里が揃って「ハマっている」という、怪しい中年男性の正体を暴くための潜入調査──いや、抜き打ち査察だ。
「いらっしゃいませ……あら、美穂先輩!?」
カウンターの中で、白シャツにシックなアーガイル柄のカーディガンを羽織り、グレーのスカートを合わせた育ちの良さそうな秋コーデの玲奈が目を丸くする。相変わらず清楚で可愛らしい。
「ふふ、近くまで来たから寄ってみたの」
私は上品に微笑みながら、仕立ての良いアイボリーのジャケットセットアップをなびかせ、全体を観察しやすいカウンターの端へ腰を下ろした。
「美穂先輩! こんにちは〜! 何故となりに来てくれないのですか?」
すでにカウンターにいた、ブラウンのマルチボーダーニットにミニスカート、レザーのトートバッグを合わせたトレンド感満載の秋服を着こなす絵里が手を振ってくる。
……しかし、二人の視線はどこか落ち着きなく、入り口のドアばかり気にしている。「男の影」を一切隠せていないあたり、チョロすぎて心配になってくる。
31年間、ハイスペックな男たちからの数々のアプローチを軽やかにいなしてきた私だ。3分でその男の本性を見抜いてやるわ──心の中でそう意気込んでいると、カランコロンとドアのベルが鳴った。
「やあ、玲奈ちゃん。今日もお邪魔するよ」
低い、けれど耳に心地よく響く声。噂の男──隆一だ。
少し生えた無精髭に、使い込まれたジャケット。一見するとただの冴えない中年。……だけど、どこか哀愁を漂わせた独特の佇まいと、計算のない大人の『余裕』が全身から滲み出ている。
「隆一さん! いらっしゃいませ!」
玲奈の声が、わかりやすいほど弾けた。
「隆一さん、今日のランチはですね……約束通り、キノコは一切使っていませんよ!」
玲奈は胸を張って、自慢げにメニューを差し出した。
「旬のほくほくカボチャと甘みの強いサツマイモを贅沢に使った『秋のゴルゴンゾーラドリア』です! 隆一さんに安心して美味しく食べていただきたくて、仕込みから気合を入れちゃいました」
隆一さんは一瞬ハッとしたように目を見張り、それから苦笑交じりに目元を優しく緩めた。
「……ありがとう、玲奈ちゃん。先週は申し訳ないことをしたのに、そこまで気を使わせちゃったね。それじゃあ、そのドリアと……いつもの瓶ビールをもらえるかい?」
「はい! すぐにお持ちしますね!」
冷えた瓶ビールとグラスを運んできた玲奈が、綺麗に泡を立てて注ぐと、隆一は美味しそうに一口喉を鳴らした。
やがて、熱々のグラタン皿に乗ったドリアが運ばれてくる。チーズの香ばしさと、ゴルゴンゾーラの濃厚な香りがカウンターいっぱいに広がった。
「お待たせしました! お熱いので気をつけてくださいね」
「ありがとう。……うん、すごく良い香りだ」
スプーンを入れると、とろーり伸びるチーズの中から、黄色とオレンジのきれいな秋野菜が顔を出す。隆一さんはふーふーと息を吹きかけ、一口口に運んだ。
「……うん、うまい。カボチャの自然な甘みと、ゴルゴンゾーラの塩味が絶妙だね。表面の焦がしチーズの香ばしさもたまらない。……何より、安心して食べられるのが一番のご馳走だよ」
「ふふ、良かったです! 先週のリベンジ大成功ですね」
嬉しそうに胸を撫でおろす玲奈に、隆一さんは悪戯っぽく微笑んで言った。
「本当にね。今日はドリアの底から不意打ちのキノコが出てこないか、少し身構えていたんだよ」
「もう! 隆一さんたら! 流石に今日はそんなイタズラしませんよ〜!」
ぷっと頬を膨らませる玲奈と、楽しそうに笑う隆一さん。
カウンター越しに繰り広げられる二人の気取らないやり取りを、私はエスプレッソを啜りながらじっと見つめる。
(……くっ、ちょっと待ちなさいよ。なんなのこの雰囲気は……!)
威圧感がなく、言葉遣いに無駄なマウントがない。料理を作ってくれた玲奈への自然な感謝と、心から美味しそうに味わう姿。
……悔しいけれど、若い女の子たちが毒される理由が嫌というほど分かってしまう。私ですら、ふと彼と目が合った瞬間に「そちらのお客さんも、良いお召し物ですね」なんて気取らない微笑みを向けられ、ドキリと胸が跳ねそうになって慌ててカップに口をつけたほどだ。
(ダメダメ! 私はバリキャリの大人! こんな無精髭のおじさんに惑わされるわけには……!)
そんな私の内心の混乱をよそに、隆一さんはきれいにドリアを完食し、「ごちそうさま、本当に美味しかったよ」と立ち上がった。
ふぅ、と胸を撫でおろしかけた──その時だった。
カランコロン、とドアが開く。
現れたのは、シックなダークグレーのプリーツロングワンピースに身を包んだ、落ち着いた大人の色香を纏う女性。夜の部『スナックShed』のオーナーで玲奈の叔母、百合ママだ。
店内に一歩足を踏み入れた百合ママは、玲奈と絵里の熱っぽい視線、固まっている私のピンと張りつめた空気、そして帰ろうとしている隆一を瞬時に見回した。
その鋭い仕草と妖艶な笑みに、私は思わず背筋を伸ばす。
「あら、ちょうどいいじゃない。隆一さんも帰さないわよ。夜の部も、奥のボックス席で4人で飲みなさい。みんなもいいわよね! 隆一さんの奢りだから」
一瞬で店内を支配した百合ママの不敵な提案に、店内の空気が凍りつく。
「えっ、俺の……?」
今までは完璧なポーカーフェイスを崩さなかった隆一が、困惑の表情でタジタジになっている。
しかし、百合ママの圧力と後輩ふたりの視線に押され、抵抗する間もなく──隆一、玲奈、絵里、そして私の4人は、あっという間にスナックの奥にあるボックス席へと連行されてしまったのだった。
(後編に続く 明日また投稿します)
夜の部まで続いてしまったので、明日また投稿します




