第22話:深淵の襲来 〜王の不在、Sランク会長と忠実なる役員たちの聖戦〜
その日、Fランクのレイは、愛犬(Sランク魔獣フェンリル)のフェンを連れて、王都へ新作の限定パンを買いに出かけていた。
もちろん、サボりである。
「レイ様がお戻りになるのは、およそ一時間後……。それまでに、学園の清掃と生徒会室の温度管理を完璧に終わらせなさい」
「はっ! ただちに!」
王立魔法学園、生徒会室。
Sランク生徒会長のアリシアの指示のもと、クラウス、セリア、ギルバートらAランクの役員たちが、王の帰還に向けて神聖なる空間を整えていた。
彼らの日常は、平和そのものだった。
——その、直後である。
ギガァァァァァァンッッ!!!
突如として、学園全体を激しい揺れが襲った。
空を覆う結界がガラスのように砕け散る不快な音と共に、太陽の光が黒い霧によって遮られる。
「な、なんだッ!?」
クラウスが窓の外を見る。
学園の上空に巨大な魔法陣が浮かび上がり、そこから泥のようにドス黒い『漆黒の魔力』が滝のように降り注いでいた。
その魔力の中心から、ボロボロのローブを纏った痩せぎすの男が、ゆっくりと学園の中庭へと降下してくる。
『……ククク。美しい学園だ。我が教団が数年がかりで設置した【汚染の要石】を、たった一晩で消し飛ばした小賢しいネズミどもが隠れ住むには、少々綺麗すぎるな』
男のしゃがれた声が、魔力に乗って学園中に響き渡る。
Aランクのクラウスたちですら、その男から放たれる規格外のプレッシャーに、思わず息を呑み、本能的な恐怖で肌を粟立てた。
「あの魔力……Aランクの比じゃない……S、いや、まさか……!」
「ご推察の通りよ、クラウス」
アリシアが、白のネクタイを揺らしながら冷酷な瞳で男を睨みつけた。
「……深淵の教団の幹部。格付けするなら【SSランク】の化け物ね」
男——教団幹部・第七位『影の司祭』モルゴスは、歪んだ笑みを浮かべた。
『いかにも。トップに君臨する御方々から見れば、私など末席の取るに足らぬ存在。だが……お前たちのような学生のゴミを蹂躙し、この学園の地下霊脈を教団の物にするには、私一人で十分すぎる』
モルゴスが指を鳴らすと、彼の足元から周囲の草木がどす黒く変色し、腐り落ちていく。
SSランクの極大魔法【腐食の影】。触れれば魔力障壁ごと肉体を溶かす、最悪の範囲魔法だった。
学園の生徒たちがパニックに陥り、悲鳴を上げて逃げ惑う。
「……行くわよ、貴方たち」
アリシアが、生徒会室の窓枠に足をかけた。
「レイ様がいらっしゃらない今、この学園を守れるのは我々生徒会だけ。……それに」
アリシアの瞳の奥で、氷のように冷たく、そして狂気的な炎が燃え上がった。
「一時間後にレイ様が新作のパンを持って帰ってこられた時、中庭が【生ゴミ(幹部)】の悪臭で満ちていたとしたら……ドン・レイの威光に泥を塗る、これ以上の不敬はないわ」
「……御意!」
クラウスたちAランク陣も、恐怖を完全にねじ伏せ、眼を血走らせた。
彼らの原動力は「世界を守る」といった大層なものではない。
ただ純粋に、『我らが王の昼寝場所を汚すゴミは、絶対に殺す』という狂信だった。
——ダンッ!!
四人の生徒会役員が、窓から中庭へと飛び降りる。
「おお? Sランクの娘と、Aランクの小虫どもか。自ら死にに来るとは——」
「【絶対氷結】!!」
モルゴスの言葉が終わるより早く、アリシアの放ったSランクの氷結魔法が、モルゴスの周囲の空間ごと凍り付かせる。
『無駄だ!』
モルゴスが漆黒の魔力を爆発させ、氷を内側から粉砕する。だが、その隙を彼らは見逃さない。
「【真空刃の檻】!」
「【魔弾・十六連】!」
「物理で死ねぇぇッ!!」
クラウスの不可視の風刃がモルゴスの退路を断ち、セリアの魔力弾が急所を狙い、ギルバートが特注のソロバン(打撃用)で背後からフルスイングの奇襲をかける。
『……チッ、鬱陶しいハエどもが!』
モルゴスは舌打ちし、SSランクの膨大な魔力で強引にすべての攻撃を弾き飛ばした。
その余波だけで、クラウスたちは数十メートルも吹き飛ばされ、地面を転がった。
「ぐ、はっ……!」
「あ、圧倒的ですね……。これがSSランク……!」
セリアが眼鏡を割りながら血を吐き、クラウスが肩で息をする。
単純な魔力と出力の差。Sランク1人とAランク3人では、本来なら束になっても敵わない次元の壁がそこにあった。
『ククク、終わりか? やはり温室育ちのガキどもだな。次はその綺麗な顔から溶かして——』
モルゴスが残虐な笑みを深めた、その時。
「……クラウス。セリア。ギルバート」
吹き飛ばされたアリシアが、ゆっくりと立ち上がった。
彼女の制服は破れ、傷を負っているが、その表情には微塵の絶望もなかった。
あるのは、時計の針を気にするような、極度の『焦り』と『怒り』だけだ。
「レイ様のお戻りまで、あと五十分よ。……出し惜しみは無し。命を削ってでも、王の帰還までにこの庭の『掃除』を終わらせなさい」
「「「ハッ!!」」」
死の恐怖すら超越した、狂信者たちの異様な眼差し。
それに直面したSSランクの幹部・モルゴスは、ほんの一瞬だけ、背筋に正体不明の悪寒を覚えた。
『……なんだ、貴様らのその目は? 絶望ではない……まるで、私以外の『何か』を恐れているような……』
王の帰還を前に、リミッターを完全に外した生徒会メンバーたちによる、常軌を逸した反撃が始まろうとしていた。




