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駅に向かう無表情の一花の斜め後ろに、ぴったりと爽やか笑顔の暁斗がついていた。
「あと帰るだけ?」
「そうだけど?」
「ちょっとだけ部屋に寄ってかない?」
「やだよ、今日はもう疲れたし。明日から色々準備で忙しい。そっちもでしょ」
「そっかー、そうだよなー、じゃあ、って」
暁斗はそこで区切ると、一花の肩にかけたトートバッグをぐい、とひっぱって一花の足を止めた。
「いつも俺が言うと思ってる?」
一花が振り向いて暁斗を見ると、笑顔の目が笑っていない。
「…キャラじゃないでしょ」
「だなー。瑛司には、攻め過ぎーとか色々言ったんだけど、今度謝っとくわ。攻めなきゃいけないときって、あるよなー」
普段は強気でカラッとした一花の瞳に、わずかに動揺が映った。
「外ならいい?二時間だけ。それともそんな情もなくて帰る?」
バッグを離して笑顔の半分だけ顔をゆがめた暁斗に、一花は結局ついていった。
暁斗は、浅野病院から何通りか離れたところの大きなお寺に一花を連れて行った。広い境内の隅で、先代住職の奥さんが趣味で喫茶店を営んでいるのだそうだ。
「おばちゃーん、こんにちは」
誰もいない店内に暁斗が大きな声をかけると、奥から「はーい」と声がして、しばらくすると、品のいいおばあさんが出てきた。
「あら暁ちゃん、いらっしゃい。まあ、女の子連れて」
暁斗と店主のおばあさんが、今日は卒業式で、などと世間話をする脇で、一花は居心地悪く店内を見回した。
カウンターの奥の棚には、一目見て高級そうだと分かる様々な種類のカップとソーサーが美しく並んでいる。薄暗くて、民芸家具で揃えられた狭い店内は、各席が籐でできたパーテーションに区切られていて、その奥には小さな図書室がある。
席について、暁斗が本日のコーヒー、一花がカフェオレを注文した。
コーヒー豆を挽く音に乗って、いい香りが漂ってくる。
「俺、小さい頃、親がちょっと忙しいときとかたまにここに預けられたことあってさ、あの図書室で過ごしたりしてた」
暁斗が図書室に目を向けて懐かしそうに話す。
そんな、暁斗のことをもっと知っていくような話を、今の一花は聞きたくない。
「はい、お待たせしました。本日のコーヒーとカフェオレね。それから、おばちゃんからのサービス」
「おーなに、桜?」
「そう、桜の塩漬けを入れたパウンドケーキ。お嬢さんはお嫌いじゃないかしら」
「はい、あの、いえ、初めていただきます」
「あら、じゃあ、季節のものだし、試してみて。お口に合わなかったら、無理しないでちょうだいね」
店主のおばあさんは、一花にそう微笑むと、
「暁ちゃん、おばちゃん奥にいるから」
と、カウンターの奥の奥へと戻っていった。
「…だれもお店の人いなくて、いいの?」
思わず防犯的な心配をしてしまった一花に、
「おばちゃん足が悪いから、たぶんカウンターの奥の部屋で足伸ばしてる。それに誰かを雇うほど人も来ないって。まあ、お寺につけてるセキュリティここにも入ってるから」
と、暁斗はセキュリティ会社のステッカーを指さし、おばあさんの入っていった部屋の奥を見た。
「そっか…。すごく品のある、素敵な方だね」
一花の人生で初めて交差するタイプのおばあ様だった。
暁斗がコーヒーのカップに口をつけたのに合わせて、一花もカフェオレの入ったカップを手にする。カップは薄くて、薄桃色を基調とした繊細な花模様に彩られていた。
「おいしい」
さっきのカフェのコーヒーの風味と全然違う。
「ケーキも食べてみ。うまいから」
雑な言葉に反して美しい所作で先に食べ始めた暁斗の言葉に、一花はフォークを取ってケーキを口に運んだ。
どっしりとした質感なのにどこか優しい甘さで、桜の香りと、少しの塩気を感じる。味わって飲み込んだと同時に、喉元に別の強い塩気を感じた。フォークを置いて頬杖をつき、横を向いた一花の目には涙の膜が張っている。
「…興味ないかもだけど、今日告白された。で、断ったよ」
「されたのは知ってる」
「…興味あった?」
「あるもないも、噂になってたよ」
「マジかー」
「…進学で離れるから断ったの?」
一花は言外に、今までの暁斗なら断らないでしょという含みを込めた。
「なんでそこで自分がいるからと思わないかな」
「…ただ一時気が合っただけだし。…つき合ってないから」
「へえー」
暁斗が皮肉交じりの珍しい笑い方をして、二人の間に嫌な沈黙が流れた。
「俺は一花と今後も続けていきたいけど、一花は違うんだ?」
「…だって、現実的じゃない」
「何が?」
「分かってるでしょ。そもそも、高校で付き合った人の何割が結婚すると思う?所詮一時のことだよ。それに、生活環境も全然違う。釣り合ってない」
一花たちの高校は、公立だが地元の伝統ある名門進学校だったからこそ暁斗のような医者の息子もいたけれど、そうでなければ高校すら別だっただろう。
「論点がずれてない?」
「どこが?」
「御託並べて現実見てないのは一花の方だろ」
いつも笑顔で流していく暁斗からは信じられないような冷たくて強い言葉が出てきて、一花の体はビクリと揺れた。その衝撃で、溜まっていた涙の膜が破れてぽたりと落ちる。
「…ごめん。でも、だったらその涙は何」
そう言って、暁斗は今度は困ったような笑みで一花にハンカチを差し出した。一花はそれを使わず、指で拭いとる。
「俺が一花を好きなのは嫌なの?」
一花が黙って首を振る。
「遠距離が嫌なの?」
また首を振る。
頭の中には、運命の人だったのと仲良くして見えたのに、結局仲違いして離婚した両親の顔が浮かんでいた。
「じゃあ、つき合わなくていいよ。離れてる間は連絡だけ取り合って、長期休みは帰ってくるだろ?そのときに会おーよ。俺が行ってもいいし」
「それは付き合ってるって言うんじゃないの」
「名前なんてなんでもいいってこと」
「医者の息子で医者になる爽やかイケメンなんて、この先も素敵女子が群がってくるんじゃない。そこから選べばいいじゃん」
「あー、ひねくれてるなー、一花は。てか俺も正にずっとそう思ってたんだけど」
「ほらね」
「でも自分から手を伸ばしてみたくなったんだよ。ちょっと瑛司に当てられて」
二人はそれぞれお互いの友人を思い浮かべた。
「でもほかにも出てくるかもよ、相性いい人なんて」
「そんなの一花にも言えることだろ。なんなら、これから会う男たちと比べればいいさ」
「ええ?」
「それで、俺がよかったらこっちに戻ってきなよ。はっきり言って優良物件よ、俺」
「自分で言うな。すっごく先の話じゃん。約束できない」
「約束しなくていいよ。でもここで終わりにする必要なくない?」
「しつこいね」
「俺もそう思う。こんな俺、初めて」
そう言って、暁斗は語尾に星をつけてウインクした。
一花は、長くて大きなため息をついた。
「…子どもみたいなひねくれたことばっか言ってごめん。なのに、ありがと」
「そこでちゃんと素直になるギャップがいーんだよな、シャー猫のデレみたいで」
暁斗がそう言って、テーブルの向こうから腕を伸ばして一花の頭にポンと手を置いた。
「うるさいな」
珍しく恥ずかしがった一花がぱっと暁斗の手を払うと、その手を暁斗がぎゅっと握った。
「言うてもまだ俺たち十八なわけよ。そんな何もかもドライに大人ぶらなくたっていーよな」
「自分だって大人ぶってたくせに?」
「そう」
そう言って二人で少しだけ笑った。一花の不安は解消されたわけではないけれど、今はまあいいやと思えた。
「ふと思ったんだけど、たぶん瑛司が時田さんを前にしてたらこの指先にキスするな。賭けてもいい」
「やりそう。フランスの血が騒ぎそう。でもそんなとこ真似しなくていいよ」
「だな。これからもよろしく一花。俺たちのやり方で」
「うん」
そう言って二人は握手をした。
明日、最終話です!




