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卒業式の後、家に戻ると父が急いで支度を替え、東京に向かうことになった。花音のアパートを探すためだ。父は、一日でも早い方が選択肢があるからと、元々合格が分かったらそうするつもりでいたらしい。
「明日向こうで合流しよう」
そう言って慌ただしく玄関を出る父を、母と見送る。玄関のドアから差し込んだ光が父を包み込んだせいだろうか、なぜだか、父の背中がいつもより大きく見えた。
リビングに戻った花音は、母と入学手続要項を確認し、手続きを行う。母は納入金の確認をする…合格の喜びを噛み締めるより、手続きに集中する時間が先だった。
「花音、そろそろ約束の時間じゃない?」
母がそう促してくれて、花音は身支度を始めた。この後、先に私大の結果が出て進路が決まった一花と少し会うことになったのだ。そして、その後、瑛司とも少し。
本当は、いつもの女子メンバーでも会いたかったが、一花と花音以外はみなまだ進路が決まっていない。女子の集まりはまだ先になりそうだ。
髪型はまだ崩したくないけれど、普段しない髪型なので、それに合う服を見繕うのに苦労する。折角だからいつもとは違う格好がしたかったのだが、結局なんだかあまり納得のいかない組み合わせで時間切れになり、花音は家を出た。
一花とは、一番よく行くカフェで落ち合った。最後のいつものカフェ。
お互いの合格を喜び合い、それぞれお祝いケーキと一番よく頼んだ飲み物とを注文する。
二人とも少し感傷に浸りながら、思い出し笑いしながら、高校生活のこんなことあったよね話に花を咲かせた。
「…そういやあの人さ、卒業式の後、隣のクラスの美月ちゃんに告白されてたっぽい」
予定していた別れの時間が近づいた頃、ぽろりとこぼした一花の言葉に花音の体がわずかに反応した。
いつからか、一花が暁斗のことを話すとき、あの人、のような呼び方をするようになっていた。
「っぽいって?」
「世莉がたまたま呼び出されたとこ見たらしいよ」
先程から、一花のスマホが幾度か震えている。
その度、ちらりと画面を一瞥する一花の表情は、何の感情も映していないように見える。
「…そうなんだ」
「モテる男は最後まですごいわ」
一花と暁斗の関係が花音にとっては大人っぽすぎて、一花が今どんな言葉を求めているのか、見当がつかない。花音は一瞬迷って少し話をズラした。
「…そういえば、浅野くんは、もう大学決まったのかな?」
「決まったらしいよ。TK大の医学部だって」
「おお。有言実行だねえ」
「ね」
一花は花音と目を合わせず、でもそれが自然な流れであるかのようなそぶりでコップにはもう無いはずの飲み物を飲み干した。
ああ、一花がこういう時は、不用意に核心に触れちゃいけない。そこは今、一番柔らかくて傷つきやすいから。
「いっちー」
「えぇ?懐かしい呼び方するじゃん」
実は中学で出会った最初の頃、花音は一花のことをそう呼んでいたのだ。
同じクラスになって、「一花と花音で、同じ花の字、しりとりできるね」と話すようになったあの頃。
今思うと発想が幼くて、少し恥ずかしくてくすぐったい。
「出会ってもう六年なんだね。お世話になってマス。今後とも何卒」
「こちらこそ、何卒。六年かー。日野くんと花音についてのクイズ対決したらまだ勝てる自信ある」
「何それ。でもそうかも」
そう言って二人で笑う。
「でも完全に取られちゃったなー。日野くんに」
「取られちゃうってことはないけど」
瑛司の話が出ると、本当ならお返しに暁斗の話を振りたい。
でも、一花のことを大事にするなら絶対に今じゃないのが分かって、花音はもどかしく思った。
歯がゆさに視線を窓に映すと、瑛司と暁斗が歩いて向かってくるのが目に入った。
「あ」
一花の発した一音につられて、
「ん、日野くん来た?ごめん、もう約束の時間だね」
と、振り向いて窓の外を見た一花は、暁斗を目に留め、「なんで」と小さな声をこぼした。
花音は、ほんのわずかに硬い表情になった一花と会計を済ませて店を出る。
微笑みながらもどこか少し微妙な瑛司と、作られたような爽やか笑顔の暁斗と合流した。
「あー、やっぱり、なんかバージンロードで新郎に娘を渡す父親の心境かもこれ」
一花がわざとおどけて、瑛司に花音を渡すようにするので、花音は焦って瑛司と暁斗と一花の顔を見比べてしまった。
だめ、まだ、一花の心が置いてきぼり。
花音は、一花に思わず力いっぱい抱き着いた。
「おー、熱烈」
それを見ていた暁斗がからりとした声で言い、一花は、
「なになに、照れるじゃんー」
と抱きしめ返してくれる。
圧倒的な現代文の成績だった花音の辞書にも、こんな時に一番適切な言葉は載っていない。
その時、花音は自分の背に瑛司の手のひらを感じたので、一花に抱き着いたまま瑛司の顔を見ると、親指で暁斗の顔を指していた。暁斗は一花の後ろ側に立って、右だけ下げた眉と上げた口角だけで、半分寂しそうな切実そうな表情を作っている。
花音は、暁斗と目線をしっかり合わせ、『絶対ひどいことにしないでよ!ちゃんとしてよ!』と強い目線で念を送りながら、一花をもう一段強く抱きしめた。
「ぐっ…花音、愛が強すぎかも」
一花の苦しそうな言葉を合図に、花音はようやく離れた。
花音が赤面もせずに、瑛司以外の男子とこんなにも真正面から目を合わせたのは、数年ぶりのことだった。




