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翌朝、教室に行くとすぐに瑛司にお礼を言われて、早速、どこで勉強を教えるかという話になった。
花音は、昨夜一花と相談して候補に出た、隣市の旧図書館を指定した。
とにかく人目につきたくなかったので、一花と通話しながら調べてそこに行きついたのだ。
旧図書館は、新しい図書館ができたときに、ほとんどお役御免になっており、今年いっぱいまでは一部の資料が開架されているが、郷土史資料館に生まれ変わるために、来年から中が改装される予定らしい。
さらに、旧図書館から少し歩いたところに有名チェーンのカフェがあり、帰りにフラッペを奢ってもらうこともできて、バイト代の蓄えがあるというなら対価として要求するには妥当である、というのは一花の言い分だったが、花音もそこは否定しなかった。
新作のフラッペが飲めるチャンスがあるならば飲みたい。
そして、テイクアウトが可能なので、向かい合ってお茶せず解散しやすい。
そのカフェについては瑛司に伝えなかったが、そんな目算もあった。
瑛司も勉強の場所に異論はなく、むしろ、
「よくそこ思いついたな」
と、感心していた。
「あー、時田さん、あんま男子と喋らないもんね。人目につくのとか、嫌だよな」
と、余計な一言も添えてきたが。
確かにそういう目的だが、そんなに面と向かってハッキリ言って来なくてもいいとは思う。一言余計だ。
花音は会話の最初からとっくに赤面している顔のまま、ジロリと睨んでやった。
「別に勉強教えなくても私は全然構わないんだけど」
「あ、うそ、ありがとう、ホントに女神かと思う。人目につかないところでやろう」
会話のここだけ切り取ると変な誤解を受けそうではあるけれど、周りに誰もいないので、そのまま流すことにした。
午後一時に現地集合で約束した日曜日、花音は約束のちょうど十分前に隣市の旧図書館に着いた。
電車を降りてから、徒歩で十五分、帰りに寄れるかもしれないカフェを横目に歩いて来た。
旧図書館の建物は木々に囲まれ、古くて趣があった。
なるほど、これは取り壊されずに資料館として残るという意味が分かる、欧米に憧れていた時代の西洋建築の風情が感じられる、こじんまりとした建物だった。
せっかくの趣ある建物だったが、図書室の隣の小さな部屋に思いつきのように作られた自習スペースには、長テーブルと、いつの時代のものとも分からない古いパイプ椅子が、趣ゼロのセンスで並べられていて、そこには既にシルバーっぽい髪の瑛司が座っていた。
瑛司が一人だけで、他に誰もいないことにホッとして、花音は中に入っていく。
「お、今日はありがと」
花音の足音に気づいた瑛司が、振り返って先に声をかけてきた。
たちまち赤くなってしまった顔を、花音は俯いて隠しながら、返事する。
「日野くん、は、はやいね」
「ここ座って」
瑛司は、そう言いながら、自分の左隣のパイプ椅子を引いた。
「俺から頼んでるのに、遅れるわけにはいかないしさ」
「意外と真面目?」
花音は、瑛司の顔を見ないように前を向きながら、トートバッグを下ろして座った。
「意外とか言うんだ」
「そ、それは、まあ…」
そういいながら、花音はトートバッグからタブレットと、ノートとペンケースを取り出した。
並べ終わった瞬間、瑛司が、
「時田さん、こっち見て」
と、花音の右手首をそっと掴んだ。
「え、なに」
「姉ちゃんに聞いてきた。まずは『顔が赤くなったらどうしようとは思わなくていいんだ』ってところから始めよう。誰だって多少は赤面するんだしって。赤くなってもいいんだって思おう。少しずつでいいから。俺はもう知ってるし、気にしないから。赤いままで大丈夫だから」
まさか、そんなことを、初っ端から突然こんな風に手首を掴まれて言われるだなんて思ってもみなくて、花音の頭は一瞬処理落ちした。
そんなこと言われて、顔なんてもっと赤くなるしかない。
「む、無理無理。余計無理」
花音は、そっと握られた手首をサッと引いて自分のほうに取り戻すと、その勢いで、瑛司とは逆方向を向いてしまった。
花音は思いもよらない急展開に、バクバクする心臓を抑えてそっぽを向いていたが、瑛司は気にするでもなく、
「ごめん、急すぎたかー。じゃ、一旦忘れて現代文頼む」
と言うと、テキストを花音に向けて、質問を始めた。
なんなの!陽キャの距離感分からなさすぎ!
花音は心の中でそう叫びながら、渋々教え始めた。
「えーと、この問題の場合、ここの、『逆説的に』っていうところに注目して……」
「あー、なるほどね、『逆説的に』。なんかちょっと読み方分かってきたかも」
結局、真面目な花音は、真面目な雰囲気に流されて真面目に解説したり、質問に答えたりして、あっという間に一時間以上が過ぎ去った。
もちろん、それだけ長い間赤面は続くわけではないのだが、ふいに、
「今、赤面してないね」
と目を合わせて言われ、途端に花音の顔は一瞬で朱に染まった。
「ありゃ、一発KO」
「ひ、ひどい」
「いや、ごめん、でも時田さん真剣に教えてくれてる間は治まってたよ」
そう言って、瑛司はシャープペンの後ろで自分の頬をちょんちょんと指し示した。
「それは、さすがにそんなずっと赤い訳ないよ。それにこっちは真剣に教えてたのに…」
「俺も真剣に聞いてたよ。でも閃いたことがあってさ」
「これが終わった後、お姉さんの経験談を聞かせてもらえればいいよ」
「いやでもせっかく閃いたからさ」
「な、なにを?」
花音がそういうと、瑛司はシャープペンを置いて、右手で頬杖をついて花音を見た。
「さっきの『逆説的に』ってので」
「逆説的に、がどうしたの?」
「普段赤面しないのに、してしまうときがあるから、赤面してもいいってなかなか思えないでしょ。ということは、逆説的に、ずっと赤面してる状態になって、それが当たり前になったら、赤くなったらどうしようって思わないんじゃない?」
「そ、それはそうかもだけど、なにかがおかしいような…。それに、そんな赤面が続くなんて異常事態、さすがにないよ」
瑛司の超理論に花音は眉を顰める。
「それを人為的に起こしてみるのはどう?」
「え?」
「まず、こうやって」
そう言うと、瑛司は花音の方へ完全に体を向け、次に花音を座っている椅子ごとガチャっと自分の方へ向かせ、完全に向かい合わせになると、
「こう」
と言うと、一瞬で花音の両手をそっと自分の両手でまとめて包むように握り、額と額をコチンとくっつけた。
その瞬間、一気に花音の顔に朱が差し、花音の脳内はパニックに陥った。
「おっ、おかしいおかしいおかしい!」
花音が慌ててグッと頭を後ろに反らして額を離すと、
「おかしくない」
と、瑛司が言う。
真っ赤の顔のままの花音が、
「からかわないでよ!」
と言うと、
「真剣に考えてるんだけど」
と、さっきの花音の台詞にかけて真面目な顔をしてくる。
「いやいやいやいや、おかしいって」
と、もう一度花音が言うと、瑛司はそれには答えず、
「気持ち悪かった?」
と、片眉を下げて首を傾げた。
「あ、あ、あざと…!」
「気持ち悪かったか?」
もう一度、両手は柔らかく拘束したまま瑛司が問う。
「き、もちわるくは、なかったけど、恥ずかしすぎて死ぬから無理」
「気持ち悪くないなら、よかった」
強引なくせに、どこかホッとしたように、瑛司が笑った。
「気持ち悪くないんだったら、こうやって赤面して、」
そう言いながら、やんわり拘束したままだった花音の両手首を片手でまとめると、空いた方の手を花音の後頭部に回してもう一度、額をコツンとつけた。
あまりにも早業で、パニック状態の花音の頭は追いつかない。
「赤面状態に慣れればよくない?」
見えないくらいの距離で見詰められて、花音の息は詰まり、赤面は過去最高潮に達した。
「っ!リア充爆死しろ!」
自習スペースには相応しくない音量で、罵声を浴びせて、瑛司を振り払った。




