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夏休み明けの学校が始まりしばらくたったが、暁斗と一花は特に目立った変化もなく見える。
時折、二人で会ってはいるようだが、学校の普段の様子はごく自然な友人関係で、それ以外の何かをまったく感じさせないので、花音は妙に感心してしまった。
そうして、受験生生活が、淡々と過ぎていく。模試を受ける。不安になる。学校の考査を受ける。模試を受ける。判定と偏差値ばかりが気がかりの日常が過ぎて行った。
肌寒くなって、長袖も定着した頃、瑛司の目指す学部の総合型選抜の合格発表があった。
『結果、ダメだったわ』
瑛司からの連絡を待っていた花音は、着信と同時に開いて、胃のあたりがギュッとなる。ここのところ、自分自身の受験ストレスのせいか、そもそも胃腸の調子があまり良くなかったのだが、この衝撃も堪えた。
『そっか』
『残念だったね』
つけるべき絵文字も、スタンプも分からない。
『ダメ元だったし、仕方ないな』
『ま、これから一般入試に向けて気合い入れ直すわ』
すぐさま電話をして声をかけてあげたらいいのだろうか。それすらも分からない。
結局、
『ここからまた一緒にがんばろ』
とだけ送ると、瑛司から頑張るスタンプが返ってきて、その日のやりとりがあっさり終わってしまった。
花音は、暗くなった画面の向こうを見ながら、しばらくの間ぼうっとしていた。
翌日の金曜日、瑛司は学校を休んだ。
『体調悪い?大丈夫?』
欠席が分かってすぐに花音が連絡をいれると、『大丈夫、また夜連絡する』と返ってきて終わるので、もどかしい気持ちのまま一日過ごす。
夜、ヤキモキしながら連絡を待っていると、
『明日家に来れない?』
と、何の前振りもなく送られてきた。こんなことは初めてだ。
『午後なら行けるよ』
大丈夫なの?と言いたい気持ちを抑えて、瑛司に合わせたシンプルな回答を送る。
心がざわざわする。いつもの瑛司ではなくないか?
そうして、時間を決めると、
『楽しみにしてる』
『俺、今日はもう寝るな』
『おやすみ』
と、立て続けにメッセージが来て、何か言いたいのに伝える間もなく、またあっという間にやり取りが終わってしまった。
気持ちの問題ではなく、本当に具合が悪いのかも、と思う。でもそれだったら、明日家になんて呼ぶだろうか。泣き疲れて頭が痛い、とか?いや、そんなタイプだろうか。
花音の胃の辺りがチリチリする。胃酸が悪さをしているのかもしれない。
花音は、ため息をついて、ベッドに寝転がった。
翌日、親には、煮詰まってきたので気分転換に場所を変えて勉強する、と言って家を出た。
少し歩いたところで、今回は手土産を用意していないと気づく。また、相応しいお菓子が必要だろうか。
瑛司に、親に言わずに出てきてしまったのだが、どんなものがいいかと慌てて連絡すると、
『あ、ごめん言ってなかったか。親二人とも姉の家に行ってて不在』
『手ぶらで来て』
と返ってきたので、少しホッとし、それから、今頃言うのかと少しムッとする。
いつもだったら、先に気を回して色々言ってくれそうなのに、余裕がないのだろうか。
そう思ったら、今度は途端にやるせない悲しい気持ちになる。そんな自分に、情緒不安定だな…と思いながら、コンビニに寄って自分のお小遣いの範囲で買えるお菓子や飲み物を買いこんだ。
瑛司の家の最寄り駅に着くと、瑛司が待っていた。
顔を見て、少しホッとする。
元気が無さそう、ということもなく見えるが、取り繕っているのだろうか。
「急にごめんな。ありがとう」
と、優しい顔で言うので、知らず知らずのうちに入っていた体の力が少し抜けた。
「体調、悪くない?」
と聞くと、
「大丈夫、心配かけてごめん」
と、瑛司は眉を少し下げてまた謝る。
瑛司は自然に花音のコンビニで買った荷物を受け持つと、スタスタといつもより速い速度で歩き始めた。
手は繋がない。
けれど、瑛司らしく、車や段差などからさりげなく花音を守るように誘導してくれるのが分かる。
手を繋がないのは、家の近くだからだろうか。二人だけでここを歩くのが初めてなので、分からないけれど、訊ねられない。
結局ほとんど言葉を交わさないまま瑛司の家につき、花火を観たリビングではなく、初めての瑛司の部屋に通された。
深い青と黒を基調にした、シンプルな部屋。微かに瑛司のにおいがする。
「なんか飲み物取ってくる。適当に座ってて」
と言った瑛司の腕を掴んで引き留め、
「買ってきた。大丈夫」
と、瑛司が持ってくれていた買い物袋を受け取って持ち上げてみせた。
「…ああ、そっか、ありがとう」
いつもは目ざとい瑛司が今気づいたような素振りを見せるので、心がざわざわして、
「だから、ね、座って」
と言って、瑛司の腕を下げるように引く。
瑛司が作り笑いを浮かべて、ベッドに凭れるようにして片膝を立てて座り、ふーっと長い息を吐いた。
花音は、荷物を置くと、意を決して膝立ちの状態で瑛司の脚の間に入りこみ、黙って瑛司の頭を抱き込む。
どのくらい、そのままだっただろうか。
しばらくされるがままにしていた瑛司の手が、ようやく花音の背中に回った。
「カッコ悪」
「全部カッコよかったら気持ち悪い」
抱き込んでいるので顔が見えないが、花音の言葉に、瑛司が少し笑ったようだ。
「分かってたけど、ショックだった」
「そりゃそうだよ」
花音は、当然だ、何を言っているんだ、というのが分かりやすい声色で返す。
「俺、何かの試験で落ちたの初めて」
「うん」
「すぐ切り替えて一般に専念しなきゃと思ったんだけど」
「うん」
「…怖くなった」
「うん」
「…花音に会いたくて、でも会うのが怖くて」
「どうして?」
今度は、優しく促す。
「…俺は花音に相応しくないんじゃないかって思って」
その言葉に、花音は胸が潰れそうになって、一層強く瑛司の頭を抱き込む。
この人はなんてところまで一人で話を飛躍させてしまったのだろう。
「…花音、ちょっと苦しい」
苦笑いする瑛司のその言葉に、
「あ、ごめん」
とはっとして離れたが、瑛司はいつものようには追ってこない。花音は先程より少し離れたところにペタリと座り込んだ。
「……相応しくないかもなんて、どっちかと言えば私の方が相応しくないよ」
花音のその言葉に、瑛司の視線が反応する。
「そもそも、見た目で言ったら、いわゆる一軍男子の瑛司くんには大人しめの私よりキラキラした一軍女子みたいな子がつり合うんじゃないの?」
瑛司が何か言いかけるが、言葉を続けて遮る。
「中身だってそうだよ。瑛司くんは困ってる人を自然に支えるような行動ができるけど、私は…そんなにスマートにできない。それに、…結構浅ましいところもあるよ、私。気づいてない?」
「…そんなこと思ってたのか?」
「思ってたとかじゃなくて、事実でしょ。『俺が花音に相応しくない』なんて。相応しいとか相応しくないの話なら、『私が瑛司くんに相応しくない』」
「何でそんなこと言うんだよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」
花音の言葉に瑛司は、自分の前髪をくしゃりと掴んで、顔を伏せた。
「…ごめん。…花音は、すごく知的好奇心が強くて、大学の本質的な部分って言うのかな…それにフィットしてるというか、AI時代に変わっても、大学に進学する価値があると思うんだ…うまく言えないけど」
「…ありがとう…?」
「そんな花音に見合うには、せめて、まずはK大は受かるくらいでないとと思って。それを…その、落ちたから…」
瑛司が、珍しく辿々しく喋っている。そしてそんな自分にも狼狽えているようだ。
「そんな風に思ったの?」
「………」
「瑛司くんだって、私と知的好奇心の方向が違うだけでしょ?きっと、私より世の中とか、人と人とか、発展させてとか、その、繋がっていく方に向いてるんだと思うけど」
花音は、キョトンとした顔でそう言った。
「うん、ということで、瑛司くんの勘違いだね」
「勘違い…」
瑛司は、うまく飲み込めていないような顔をする。
「私のこと手放すの?」
瑛司が困ったような顔をする。
「いや…」
「あんなに強引に詰めてきてたのに?こんなことで?」
「こんなことって」
瑛司の顔が少しだけムッとした表情に変わる。
「こんなことだよ!これから先、きっともっと色々…」
怒鳴りながら、じわっと涙が溢れてくる。悔しいのか、悲しいのか、苦しいのか、腹立たしいのか。
「違う、ごめん。余裕なくしてた」
瑛司が花音を抱きしめた。
「うん」
「手放すわけない。手放せない。ごめん、花音に甘えてた」
「…甘えるなら真っすぐ素直に甘えてください」
ぐすっと鼻をすすりながら、花音が言う。
「ごめん」
「心配した」
「ごめん」
「私だってもう無理なんだから」
「無理?」
「離れるの無理」
「…うん」
瑛司が腕に力を込める。花音も瑛司の背中に手を回して応えた。
「拗らせマンめ」
「拗らせマンて…」
「私だって怖い」
「うん」
「二人とも受かりたいよ」
「うん」
何も邪魔するものがない部屋の中なのに、まるで濁流の中で引き離されまいとするかのように、お互い必死でしがみつくように抱きしめ合った。




