12
とんでもない告白をされていることは、分かる。分かるが、頭が追いつかない。
そっと額を離して顔を上げた瑛司に、花音は問いかけた。
「あっ、あのさ、瑛司くん…自分が元々好きって思ってたわけじゃない人から、ふいに何かされて感じたドキドキは、好きのドキドキと違うじゃんね?」
一花に聞いたとき、日野くんにも聞いてみたら、と言われたあの問いだ。
「うん?」
思わぬ角度からの質問に、瑛司の熱っぽい瞳がきょとんとなって、一瞬フリーズした。
「えーと、だからね、私、瑛司くんにすごくドキドキさせられてて…」
「それは、全身全霊でドキドキさせようとしてるからね?」
「そ、そ、そうなんだ。なんか、息をするかのようにしてるのかと思った。えっと、それで、その、元々は特に瑛司くんのこと好きでも意識もしてなくて…」
「息をするようにはさすがに無理。てか、分かってるけど、いざ文章で聞かされると酷いな」
瑛司は、半笑いしながら顔を歪めた。
花音はしどろもどろになりながら続ける。
「いや、その、接点が全然無かったし、瑛司くんも去年まで全くだったでしょ?」
「そうだね。花音は男を避けてるからね」
「えーっと、だから、ドキドキさせられて、こういうドキドキで好きかもって思っちゃうのは勘違いなんじゃないかなと思ったりしてて…」
微妙に瑛司から視線を外しながら、言葉を続けた。
「つまり、好きかもって思っちゃうくらいドキドキしてるってことでOK?」
まだ掬い上げるように持ったままの花音の手の甲を、瑛司の親指がするっと撫でる。
「ひゃ、ちょっと、ちょっと待って、微妙に何か違うような…」
「花音は頭で考えすぎてるんじゃないかな」
そう言ってまたするっと撫でる。
「えっ、あ、それは一花にも言われたけど…」
瑛司に与えられるわずかな刺激に、花音は挙動不審になり始めた。
「…うーん、今更のような気もするけど、話の続きはちょっと移動してからでもいい?」
「え?」
「いや、さっきドアの向こうに人が通ったのが見えて」
そう言いながら、瑛司はドアの方を親指でくいっと指さした。
「え、気づかなかった…!」
「ちょっとさ、万が一でも誰かに聞かせるような話じゃなくなってきてるよなと思って」
「あっ!うん、うん、そうだね…!」
そうして、二人は荷物をまとめると、自習スペースを出た。
瑛司は何か考えるような顔で歩き出すと、ごく自然に花音と手を繋ぐ。がっちりと。
「あの、手…」
「ちょっと暴走して、ごめん」
「いや、私が変なこと聞いちゃったから!それであの、手…」
「花音、シーッ。一応、図書館内だから」
人差し指を立てて、瑛司に小声で言われ、花音は思わず口元に空いている方の手を当てたが、何か釈然としない。
「こっちが良さそう」
そう言うと、瑛司は建物の端にあった古い階段を静かに上がっていき、花音も手を引かれてそれに続く。自習スペースもこれまでのところ誰一人として部屋の中には来なかったが、もう大部分が撤去されているらしい二階に続くこの階段こそ、人っこひとり通らなさそうだ。電気は消され、隅には埃が溜まっていた。
二階まであがると、部屋の入り口は簡易的にロープが張られ、その奥にはかつてたくさんの書物で埋もれていたであろう、本棚がいくつか残されていた。伽藍堂になった広い空間は、何かの破片が散らばっていて寒々として見える。
「この中はさすがに…」
瑛司は一人ごちると、花音の手を引き、先程までと逆方向に折り返して続く階段をさらに上った。
花音の心臓は、さっきまでとまた違ったドキドキでうるさくなっていく。
な、なんか悪いことしてるみたい……。
二人が階段を上がりきると、そこは踊り場になっていて、その先には屋上へつながるだろう、少し錆びたドアがあった。
「これは多分開かないと思うけど…」
そう言って、瑛司がドアノブに手をかけると、予想通り鍵がかけられていた。
「やっぱりか」
次に、瑛司はぐるっと踊り場を見回す。
踊り場には、畳まれた大きな段ボールが踊り場の壁面や手すりを利用して重ねて立てかけられており、足下には古びた大きくて分厚そうなカーペットが、畳まれて縛られた状態でいくつも並べられていた。
「これならあんまり音も響かないんじゃないかな」
そう言って、今度は、踊り場から下を覗き、様子を伺う。
「まあ、下からも見えなさそうだし、ここってもんかな」
確認が済むと、瑛司は花音に向かってニッと笑った。
「な、なんか慣れてる、ね?」
「いや、やっぱり何事も経験は大事だよな。あ、埃っぽくてごめん。次はもっと計画的に場所を考えるから」
そう言って、瑛司は、繋いでいた手を離すと自分の手提げを床に置き、さっさと花音の荷物を取り上げて自分の手提げの上に載せる。
そしてあっという間に花音を誘導して自分と向かい合わせに立たせた。花音は瑛司の手慣れたような動きに呆気に取られる。
「さっきの続きなんだけど、いい?」
「あ、うん、私が頭で考えすぎって話だよね」
「うーん、その割に隙が多いというか素直すぎるような気もするんだけど、そこが魅力でもあり、来年からの課題でもある」
「か、課題…」
「まず、俺以外の男にこんなに簡単について行ったらダメ」
「…確かに…。よし、じゃあ帰ろう!」
花音が体の向きを変えようとすると、
「違う違う。ちょっと待って」
と瑛司の腕がそれを阻む。
「…反省はするけど、常に唆してくる瑛司くんに言われるのはおかしいような気がします」
「それもそうだな。でも俺以外の奴に万が一何かでドキドキさせられたときは、単なる驚き以外の何物でもないから間違えないで。大学生になって親元離れたら危険がいっぱいなんだからさ、頼むから変な男に騙されないで」
「ん?俺以外?てか、大学生になるより前に目の前の男が変な場合はどうすれば?」
そう言うと、瑛司が意外にも満足そうに微笑む。
「花音さ、もうこうやって軽口叩けて、本当に普通に会話できてるし、赤面しないよな」
「それは…そう。ありがとう…面と向かっては言ってなかったけど、一歩前進できた感じでうれしいデス…」
軽口の勢いが急に削がれて、花音は口籠るように答えた。
「でもさ、こうしたらきっとまた赤くなる」
そう言って、瑛司は花音の腕を掴むと、グッと自分に寄せて抱きしめた。
瑛司の鎖骨におでこが当たる。
「なっ!」
瑛司の予告通り、花音の顔は一瞬で朱に染まる。瑛司は少しだけ上体を反らして、花音の顔が赤いのを確認すると、また抱き寄せ、
「大丈夫、これは赤くなったって当たり前のことだよ。嫌じゃない?気持ち悪くはない、で合ってる?」
と、掠れたような声で問いかけた。
そう言われた花音は、耳まで赤くしながら、瑛司の胸元で小さくコクンと頷いた。
嫌じゃない。びっくりはするけど、全然嫌じゃない。
花音と違って余裕がありそうな口調のくせに、密着した瑛司の心臓が早鐘を打っているのが伝わってきて、なんだか不思議に感じる。
「花音、もうそれは俺のこと好きなんだ。好きでもない奴にこんな風に触られたら、気持ち悪いか怖いだけだぞ」
瑛司が言い聞かせるように言う。
「…そう言って、恋の好きじゃない、友達の好きだったらどうしよう。女友達同士だってハグするよ」
花音は、瑛司の服をギュッと掴んで、震えそうな声で言った。必死に自分の考えを絞り出そうとするが、キャパオーバーで、頭が全然回っていない感じがする。
「瑛司くんの好きはホントの好き?私のこれは、ホントに好きなの?」
口から出てくるのは、得意なはずの国語力を全然発揮できない稚拙な言葉で。
少しの間、瑛司は花音を抱きしめたまま沈黙していたが、低く掠れた声で、
「じゃあさ、もう少し先を、確かめてみる?」
と言った。
ここまで来たら、さすがに次に何をするか花音にも察しが付く。
赤い自覚があるままの顔をおずおずと上げると、瑛司の顔も心なしか少しだけ赤いような気がする。
「キス、してみてもいい?」
いつもより少し固い瑛司の声に、コクンと頷いたものの、上げた顔を思わずまた下げてしまった。
頷いたのと、下げてしまったのと、どちらが自分の本心か、もう分からない。
瑛司の指先が一瞬頬に触れたかと思うと、ふいにその指が頬から離れ、顔にかかった花音の髪を耳にかける。
そうして、
「耳、ちっさ」
と言いながら花音の耳たぶをそっとなぞると、耳ごと花音の両頬を挟むように手を添え、花音の顔を上に向かせた。
その感触に、花音の体がびくりと反応して、思わず強く目を閉じた反動で目を開けてしまい、欲望の色を纏った瑛司の双眼と目が合った。
わ、めちゃくちゃ欲しいって顔してる。
そんなことを思った瞬間に、花音の唇は柔らかいもので塞がれた。
唇がそっと離れると、瑛司が花音の耳元で問いかける。
「嫌じゃなかった?」
花音は暴れるように鳴る自分の心臓の辺りを握った拳で無意識に押さえながら、コクンと頷いた。
「良かった」
思いがけず、瑛司が心底ホッとしたような泣きそうにも聞こえる声でそう言うので、花音はもっと大丈夫なのを伝えたくなって、
「なんか、ふにゃんて気持ち良かったし、嬉しかったよ」
と言った。
すると瑛司は目を丸くして、
「お前な〜!」
と言って、今度はかぶりと噛みつくようなキスをしてきた。
「なんか、もしかしたらもう好きになってたかもみたい」
花音の言葉に、瑛司は力が抜けたようにしゃがみこんだ。




