7-09. 無敵の人
三体のレムルが一斉にファウストに飛びかかる。ファウストは地面を転がり、レムルたちの背後に躍り出る。振り向きざまに右手に持つ黒い剣を横に薙いだ。
剣先がレムルの身体を掠め、黒い霧のような靄が舞う。痛みに驚いたのか、動きが鈍った。
「ディート! グレーテルを!」
叫びながら、ファウストは剣を引き、レムルの懐へ飛び込む。そのまま鋭く突き刺し、すぐに刃を引き抜くと、後方へ一回転して飛び退った。
「ファウスト様……っ!」
グレーテルを背に庇いながら、ディートリヒが感極まった声を上げる。
「華麗な身のこなし! 迷いなき剣先! わたくしの存在意義が危ぶまれますが、さすがはファウスト様! 剣の道にも通じられていたとは――ううぅっ! ぐすっ……!」
その声が届いているのかどうかも分からない。ファウストは応えず、メフィストに向かって怒鳴った。
「メフィスト! 筋肉痛になるから、無茶な動きはやめて!」
「はいはい」
メフィストは軽く左手を上げ、パチンと指を鳴らす。途端に、呆然としていた神官と大司教が影に絡め取られた。
「な、なん…?! なんだこれは?!」
「君たちは普通の人間みたいだから、ちょっと大人しくしててね」
明らかな魔法の力に、大司教が身を捩りながら、悲鳴を上げる。
「黒髪の男に、茶髪の女……もしかして、お前たちはマティアスの報告にあった悪魔と魔女か?!」
メフィストは楽しげに口角を上げ、闇色の瞳を細めた。
「御名答」
「く、苦し…っ!」
影が神官と大司教を締め上げる。
「誰か一人くらい、輪切りかミンチにしちゃおうか?」
「ひぃっ……!」
「メフィスト! 遊んでないで、こっちに集中して! レムルは適当でいいから、アウレリアを!」
メフィストはちらりと視線をやり、左手で犬の形を作る。
「わん」
そう呟くと、影が犬の姿を成して飛び出した。そのままレムルへと襲いかかり、胴体にがぶりと噛み付く。悲鳴にならない音が漏れ、レムルの目が苦悶に歪む。
グレーテルは派手に立ち回るメフィストとファウストを、かろうじて目で追うことしかできない。
(コスモスの村で見た、魔法……!)
影の犬は三体のレムルを相手取り、足止めをする。ファウストはその隙に戦闘から離脱し、逃げようとするアウレリアを追う。レムルの背を足場にして跳び上がり、宙で回転して前へと躍り出た。
(ファウストのあの動きは……きっと、メフィストが神官様の時みたいに操ってるんだ)
グレーテルには、あの手遊びのような魔法が、まさか、こんな形で応用できるとは考えつきもしなかった。
ファウストが影の剣でアウレリアを牽制しながら、イライラしたように叫ぶ。
「メフィスト! もう少し人間らしい動きで!」
「うるさいよ。注文が多い」
「な、なんなのよ、あんたたち!」
アウレリアがぎょっとした表情で、後退る。
「察しの悪い女神様だね。本物のアウレリアなら俺の顔も知ってるはずだけど」
一歩一歩、ゆっくりとメフィストが近付く。その気になれば、指鳴らし一つで拘束できるはずだが、あえてそうせずに、じりじりと追い詰めていく。
「グレーテルは、あげないよ」
メフィストの右手の人差し指が、小さく動く。それに合わせて、ファウストが剣を振るう。その剣先は僅かにアウレリアの右肩に触れ、衣服を切り裂き、赤い一筋の傷をつけた。
「外しすぎじゃない?」
「本当にうるさいな。足で剣を振るいたい?」
「ふ、二人とも! 傷! 傷!」
今にも口喧嘩が始まりそうなのを察し、グレーテルが声を上げて、アウレリアの右肩を指し示す。先程まであった傷口は綺麗に塞がり、そこには滑らかな肌があるのみだ。
「やっぱり……魔法? 女神様なの?」
グレーテルの呟きに、ファウストが首を横に振る。
「これは、おそらく……魔法じゃなくて、錬金術によるものだよ」
その言葉に、アウレリアの顔からサッと血の気が引く。だが、大司教が真っ先に反論した。
「アウレリア様を愚弄するか! 錬金術で奇跡の御業を使えるはずがなかろう!」
グレーテルも大司教と同じ意見だった。
そもそも錬金術は魔術と比較しても、体系的に小さく未熟な分野だ。もし、本当に魔法のようなことが出来るのであれば、誰もがその技術を求め、急速に発展するだろう。魔物に頼らずとも、道具の力で便利さを手に入れられるのだ。
ファウストは小さくため息をつくと、剣を構える。
「正直なところ、僕としては魔術より錬金術の方が可能性があると思ってる。その指輪も上出来でしょう? とはいえ、そこの偽物の女神様に関しては、僕の不始末だから責任は取るよ。――メフィスト、心臓を狙って」
あまりに軽やかに放たれた言葉に、グレーテルは耳を疑った。
心臓を狙う。
それは、つまり、目の前で人の命を断つということだ。
「殺していいの?」
メフィストの声色からは何も感じ取れない。グレーテルは言葉を失ったまま、二人を見つめる。
(メフィストが、人を、殺す……?)
グレーテルの指先が冷えていく。これまで何度も、メフィストの口から不穏な言葉が飛び出てくるのを聞いてきた。けど、それは冗談のような空気で、グレーテルが駄目だと言えば辞めてくれた。
メフィストの闇色の瞳が、一瞬、グレーテルに向く。視線が交錯した瞬間、グレーテルはどのような顔をすればいいのか分からなくなった。
「得意分野でしょう? それに、僕の予想だとあの女は死なない」
「ふぅん」
メフィストが気のない返事する。そして、もったいぶるように、ゆっくりと右手を上げ、パチンと指を鳴らした。
途端に、ファウストの手から剣が消え、つんのめるように前に身体が傾ぐ。
神官たちや、大司教を拘束していた影も消える。レムルを追い回していた影の犬さえも、一瞬で消えていなくなった。
「ちょっと! 突然やめないでくれる?」
ファウストが当然抗議をするが、メフィストは無視をする。そのままディートリヒの背に庇われているグレーテルへと近づいた。
グレーテルの茶色い瞳が怯えと戸惑いの入り混じった光を宿す。メフィストは静かに手を伸ばし、震える肩を包み込むように触れた。
「グレーテルは、殺したくないんでしょう」
グレーテルがほっと息をつく。
「うん……」
力が抜けたように、メフィストの服を両手で掴み、額を胸に押し当てた。
「メフィストが……誰かの命を奪うところは、見たくないよ」
「仰せのままに」
かしこまった口調で、メフィストは小さく笑う。その冗談めかした態度に、グレーテルの顔にも笑顔が浮かんだ。
「そういうわけで、俺の力を使うのはここまで。どう頑張っても勝てないことは、そこの偽物も大司教も理解したでしょう? グレーテルの求める手掛かりも見つけたし、あとは適当にやって」
メフィストはグレーテルの手を引いて、歩き出す。ファウストが慌ててその後を追いかけるが、身体が軋んで全身に痛みが走る。
「あいたたた……。あぁ、もう、本当に気まぐれなやつめ」
ディートリヒが剣を収め、素早く肩を貸す。ファウストは小さく礼を言いながら、大司教を振り返った。
「あとで今回の件に関して、書状を送るから! メフィストのこともバレちゃったし、こちらとしては社会的に失うものは何もないけどね」
そのまま大聖堂を去っていく背中を見つめながら、大司教とアウレリアは「はぁ……?」と曖昧なため息をついた。




