7-10. 叶わぬ想い
大聖堂でのいざこざから数日後。グレーテルとメフィストは揃ってファウストの私室に呼び出された。
「筋肉痛はもう大丈夫?」
「ふふっ、やっぱり、グレーテルは優しいなぁ。心配してくれて、ありがとう。もう平気だよ」
ファウストはグレーテルに、ソファに腰掛けるように促す。当たり前のようにその隣に腰を下ろしたメフィストには、物言いたげな視線を投げたが、結局は何も言わずに本題に入った。
「僕らが見つけた少女は、無事に解放されたよ」
その報告に、グレーテルはほっと胸を撫で下ろす。
「北部の出身だったみたいでね。大ごとにはできないから、ディートにお願いして送り届けてもらっているよ。一方で、王家の墓に対する扱いについては、改善は難しいかな。父上は、僕の言葉を聞き入れてはくれないから」
残念そうに肩を落とすファウストに、グレーテルは同情の念を抱く。やはり、前世の記憶があるとしても、親族に受け入れて貰えないのは、つらいのだろうか?
「恩が売れなくて残念だったね」
くつくつと笑ったメフィストに、ファウストが深く頷く。
「本当にね。せっかく教会の不正を見つけてやったのに、とんだ愚か者だよ」
「お、愚か者って……王様のこと?!」
グレーテルが驚いて聞き返すと、ファウストはあっけらかんと笑った。
「そうだよ。教会の権力を削ぐ、いい機会だったのにね」
(なんとなく……ファウストとメフィストって、似てるところが、ある気がする)
時々、気が合ってるように見えるのは、そのせいだろうか?
「そして、一番大事な話。グレーテル――君のお母さんのこと」
すっとグレーテルの背筋が伸びる。緊張が走った。
ファウストは手元の帳簿を机に広げると、羅列された文字の一部を人差し指でトントン、と叩く。
「ここの記述を見る限り、北西にある、ザンクト=ミカエル修道院にいる可能性が高い」
グレーテルは思わず隣にいるメフィストを見上げた。驚きと喜びと畏怖が入り混じり、言葉が出てこない。
「次は、その修道院に向かってみようか?」
メフィストに問われて、こくこくとグレーテルは頷いた。ファウストがその様子を見て、ぱんっ、と両手を叩く。
「よし。それなら、数日後には出発しよう。雪が降り始める前には近隣の街に到着したいし。冬が終えるまでは西部に留まることになるから、その準備も必要だね」
「えっ? ファウストも来るの?」
驚いて、まじまじとファウストを見つめる。心の奥底から、じわじわと側にいられる嬉しさと、愛しさがせり上がってきて――グレーテルはバッと口元を手で覆った。
「うぇっ……あ、えっと……ほんと、ごめんね。失礼だよね」
「グレーテルのためにも、お前は一緒に来るべきではないね」
メフィストが手を伸ばして、グレーテルの背中をゆっくりとさする。温度の低い、冷たい手のひらが往復するたびに、吐き気が収まっていく。ほっと息をついて、グレーテルは小さくメフィストに笑いかけた。
ファウストは、じっとその様子を見つめてから、肩を竦める。
「大司教と偽物は、あれだけ脅したし、正面からやり合いには来ないだろうけど。僕が悪魔と繋がってるって噂は近いうちに、すぐ広まるだろうから。その前に、しばらく身を隠そうかと思ってね」
「で、でも、王子さまがそんな簡単に出奔していいの?」
「いいよ。僕がいなくなったところで、誰も気にかけないさ。それに、僕の最優先事項は、グレーテル。君だよ」
ファウストは柔らかく頬を緩め、まっすぐにグレーテルを見つめた。
「ずっと君に恩返しがしたかったんだ。グレーテルのためなら、僕に出来ることは何でもするよ」
◆
その夜。王城から少し離れた宿で、あてがわれた広すぎる一人部屋のベッドに腰掛けながら、グレーテルはそわそわと落ち着かない気持ちでいた。
「は? メフィストと二人部屋? そんなのあり得ないでしょ」
というのは、部屋を手配してくれたファウストの言葉だ。
指摘されれば、確かにその通りではあるのだが、メフィストが自分をそういった対象として見ているとは、とても思えない、というのがグレーテルの正直な感想だった。
(少しでも私に興味を持ってくれてるなら……どれだけよかったか)
大きくため息をついたそのとき、コンコン、と小さなノックの音が響いた。
(もしかして、メフィスト?)
グレーテルはすぐに立ち上がり、慌てて手ぐしで髪を整える。
「はーい」
「僕だよ。ファウストだ」
返ってきた声に、グレーテルはわずかに肩を落とした。そして、すぐに、自分の反応を恥じる。
(さすがに、失礼すぎるよね。ファウストはすごく良くしてくれてるのに)
ぐにぐにと頬を揉んで表情を和らげ、そっとドアを開けた。
「どうしたの? こんな時間に」
「ちょっと、メフィストのいないところでしたい話があってね」
ファウストは部屋に入ると、後ろ手にドアを閉めた。ベッドのそばにある小さなテーブルを示しながら言う。
「少し長くなるから、座って話そうか」
これどうぞ、と手にしたバスケットをテーブルに置く。開けてみれば、そこには果実水と、紐状の生地を丸めて粉砂糖をまぶした、こぶし大の球体が入っていた。
「これは……?」
球体を指差すと、ファウストが首を傾げる。
「あれ? 好きじゃなかったっけ? シュネーバル」
「私……? 食べたことないよ?」
気まずい沈黙が落ちる。ファウストはバツが悪そうに、あー、と言葉を濁した。
「そうだった。前世の記憶がないんだったね」
ファウストがバスケットに手を伸ばして、シュネーバルをひとつ手に取る。
「シュネーバルは、雪玉って意味なんだ。僕らが出会った街――レイツィヒは雪が深くてね。甘くて美味しいよ。粉砂糖が口の周りにいっぱいつくけど」
はい、と手渡されたそれを、グレーテルは素直に受け取る。
「ありがとう。いただくね」
わざわざ用意してくれた、その心を無下にすることは出来ない。それに、シュネーバルはとても美味しそうだ。
グレーテルが自身の心で感じるファウストからの気遣いへの嬉しさと、奥底から湧き上がる愛しさが混じりあう。
(あ、気持ち悪くならない……)
ほっと息をついて、いただきます、と呟いた。ポロポロと零れる粉砂糖に気をつけながら、一口、ぱくりと齧り付いた。口の中に、じわりと優しい味が広がる。
「美味しい……!」
「ふふ、よかった」
ファウストは微笑み、グラスに果実水を注いでグレーテルに差し出す。
「今日は、話したいことが二つあってね」
もう一つのグラスにも果実水を注ぎながら、ファウストは続けた。
「僕があげた宝石箱、どうなったか覚えてる?」
ファウストはグラスに口をつけて、グレーテルの返事を待つ。一方で、グレーテルは何のことか分からず、内心で焦った。
(ファウストから? 宝石箱? 貰ったっけ……? 私が持ってるのはメフィストから貰った天使の涙の宝石箱だけ…………あっ!)
いつか見たマルガレーテの記憶が、脳裏に蘇る。
「たぶん、なんだけど……。マルガレーテのお母さんが、教会に持って行っちゃったみたい」
「やっぱりかぁ……」
予想していたように、ファウストが目元を覆って天井を仰ぐ。
「アウレリアって名乗ってた女性の指輪。あれは、僕が君にあげた指輪で間違いない」
「えっと……マルガレーテにあげた指輪?」
「あぁ、うん……そう。あれ、まさか成功してると思ってなかったんだけど、賢者の石が出来上がってたみたい。どういう経緯で手に入れたかは分からないけど、アウレリアの怪我が治ったのは――不老不死の効果のせいなんだよ」
「えっ?!」
「はぁぁ。取り返さなきゃなぁ」
呑気に「面倒だなぁ」とぼやいているが、錬金術で何かを得るのはとても困難だと聞く。しかも、怪我を治す魔法のような効果があるものだ。
(ファウスト、実はとんでもなく、すごい人なのかも)
グレーテルは目を瞬かせ、再びシュネーバルをかじった。
「あと、こっちが本題なんだけど」
ファウストはもぐもぐと口を動かすグレーテルを見つめる。
「メフィストのこと、好きでしょ?」
「……っ?! げほっ、ごほっ」
唐突な一言に、グレーテルは思いっきりむせた。
からかわれているのかと一瞬思ったが、咳き込みながら見上げたファウストの表情は真剣そのものだった。どこか、憐れむような影さえ宿している。
「グレーテル。君のことが心配だから伝えるけど――悪魔の禁忌って、知ってる?」
禁忌。
その響きに、胸の奥がひやりと冷たくなる。
天使に禁忌があることは知っていた。けれど、悪魔にもあるとは聞いてない。
どくり、と心臓が軋んだ。グレーテルはゆっくりと首を横に振る。
ファウストの形のいい唇から、静かに言葉が零れ落ちる。
「愛を知るべからず」
吹き抜けるような青い瞳に、淡い悲しみの色が滲んだ。
「悪魔は、他人に対して――情愛も、親愛も、友愛も抱かない。元契約者として、警告するよ。メフィストと心を結ぶことは、決して叶わない」




