コゼット・デンゼリンは主人公 3
シャルルはコゼットの話を聞いて、複雑そうな表情を浮かべた。
戸惑ったように私とコゼットの顔を交互に見た後に、意を決したように口を開いた。
「私の知っている話と違うわ。……私は信じていないけど、風の噂ではアリスがコゼットさんに詰め寄って、レオン様がコゼットさんを助けたとかなんとか……。だからおかしいと思ってたのよ。一体コゼットさんは、どういう魂胆でアリスに近づくのかしらって」
「シャルル様、私の事はコゼットと呼んでください。アリスベル様もですよ。私なんて元々孤児ですし、たまたま運が良くてデンゼリン男爵に拾ってもらっただけの、偽物男爵令嬢ですしね」
コゼットの言葉には悲観的な感情は含まれていないようだったけれど、デンゼリン男爵家での扱いを知っている私は胸が痛んだ。
孤児だったことや、養子に貰われたことできっと苦労している筈。
まるでそれを表に出さないコゼットは凄いと思うけれど、自身を貶める様な言葉は聞いていて辛い。
コゼットは明るくて、人懐っこくて可愛らしい方だ。
シャルルと臆せず会話を交わす度胸もある。
私は料理も洗濯も掃除もできないけれど、コゼットは得意だという。それだけで、私よりもずっと魅力的だ。
レオン様が好きになるのも無理もないわね。
私の脳裏に、マリアンヌの言葉が浮かんだ。
――そう、確か。
「あなた……、コゼットさん。……いえ、コゼット。そんなに自分を卑下してはいけませんわ。どんな生い立ちであれ、あなたは今私たちと同じ学園に通う貴族の一人です。あまり自分を卑下してはいけません。ええと、そう、自虐ブス、というそうですわ!」
マリアンヌの言葉をつかえるのが嬉しくて、私は少し得意気になる。
あまり意味は良く分からないけれど、自虐ブスとはこういう時に使う言葉よね、きっと。
「自虐ブス……」
「自虐ブス!」
シャルルとコゼットが、私の顔を驚いたように見つめる。
それから顔を見合わせて、笑いだした。
何か間違ったことを言ったかしら。
マリアンヌの言葉は独特だけれど的を射ているので、使いどころは間違っていないと思う。
あと自由に使って良いと言っていたし、怒られたりはしないだろう。
「アリスベル様! もう、好き!」
「ちょっと、コゼット! アリスに馴れ馴れしくしないで! 今は好きとか嫌いとかそういう話じゃなくて、あなたとレオン様のことを追求してるのよ私は!」
突然私に抱き着こうとしてくるコゼットの制服を、シャルルが両手で掴んで引っ張る。
力を込めてぐいぐい引っ張っているのに、シャルルは非力なので負けそうになっているのが、小動物を連想させて愛らしい。
コゼットは我にかえったように私に抱き着こうとするのをやめると、椅子に座りなおしてこほんと小さく咳ばらいをした。
シャルルも頬を赤くして、若干息を切らしながら席につく。
「そうそう、それがですね、最初から誤解なんですよぅ。レオン王子と私はそういうんじゃないんですって」
「……でも、コゼット。私、仲睦まじく裏庭で焼き菓子を食べるあなたたちを見てしまいましたわ」
溜息交じりに肩を竦めるコゼットに、私は一昨日見た光景について打ち明けることにした。
コゼットは私が見ていたことは知らないだろう。
伝えるべきではないのかもしれないけれど、隠しているのもおかしい気がする。
私の為に、嘘はつかなくて良い。
コゼットとレオン様が結ばれることを、今の私は気にしていない。
私はレオン様にあれだけきつい言葉を言われているのだし、もう良好な関係を築けるなんて思っていない。
それに、レオン様とコゼットが結ばれてくれたらシャルルを悲しい運命から守ることができる。
コゼットには申し訳ないけれど、そんな打算的な感情を含めて私は、レオン様とコゼットの事を穏やかな気持ちで見守るつもりでいる。
――本当に、そうなの?
不意に、私を信じて励ましてくださったオスカー様の姿が脳裏に思い出された。
(私は、レオン様の心変わりを、オスカー様とお話しするための言い訳にしているのではないの?)
じんわりと罪悪感が腹の底に溜まった。
「それなんですよ、それ! 私、アリスベル様に説明しなきゃと思っていて、でも私なんかが話しかけられない方だと思っていたから、出遅れてしまったんですけど、違うんですよ。見てたんですね。もうほんと、ごめんなさいとしか言いようがないです」
コゼットは、すまなそうに肩を落とした。
くるくるとよく表情の変わる子だと思う。
さっきまで笑っていたのに、今は最初の印象と同じ大人しそうで儚い雰囲気がある。
マリアンヌの世界では、私が生きている現実はコゼットが主人公の書物なのだという。
確かに主人公だと言われたら納得できる華やかさが、コゼットには備わっているような気がする。
「あのですね、私とレオン王子が出会ったのは、私が授業に遅れると思って廊下を走っていてぶつかったからなんですけど……」
「なにしてるのよ。廊下を走るんじゃないわよ」
一言目からコゼットの発言にひっかっかったシャルルが、コゼットを叱りつける。
シャルルに叱られてもあまり悪びれた様子もなく、コゼットは話を続けた。
「急いでたんですよぅ。グレイ先生怖いですもん。授業に遅れたら教室に入れて貰えないですし。デンゼリン男爵から良い成績とるように言われてるから、出席できないとまずかったんです。校舎は広すぎて迷っちゃうし……、そんなわけで、レオン様に激突した私は、ぶつかったお詫びをすることになったんです」
「ぶつかったお詫び、ですか?」
不思議に思い、私は尋ねた。
レオン様のことはよく知らないけれど、見ず知らずの女生徒がぶつかってきたぐらいで、お詫びを要求する程狭量な方ではないと思っていた。
どちらかといえば、大雑把で物事を細かくは考えない印象があったのだけれど、余程腹に据えかねたのかしら。
「その時、生憎私は口に私の生まれ故郷の名物、地底蛸パイを咥えていまして。レオン様の制服に、地底蛸パイのピンク色のエキスがべっとりついてしまったわけです。でも急いでたからごめんなさいって走り抜けようとしたら、こう、首根っこを掴まれて、面白い女だと言われました。それはもう半ギレでしたね。王子様なんだから、地底蛸パイのエキスぐらいで怒らないで欲しいものです」
「……地底蛸、パイ」
「地底蛸って食べられるのですね……」
コゼットの話の中にはかなりひっかかる部分があったけれど、それよりも地底蛸パイという単語が気になる。
シャルルと私はバスケットの中のパイを見つめた。
一口サイズなので中身は確認していないし、私が食べたものはチーズの味がしたのでたぶん違うと思う。
地底蛸は、洞窟の中によくいる魔物だ。
大きさは小さな子供ぐらいから、大きな岩ぐらいまで様々で、地形の色によって変化する体を持っていて、長い触手に吸盤がついていてお世辞にも美味しそうな姿ではない。
「美味しいですよ! 何せ、地底蛸は洞窟に行けば取り放題ですし、材料費が安いので! 今日は材料が無かったので作りませんでしたが、今度沢山取ってきますね!」
「あ、ありがとうございます……」
思わずお礼を言ってしまった。シャルルが蒼褪めた顔でふるふると首を振っている。
シャルルの分も私が食べよう、お礼を言ったからには責任を取らなくてはいけない。
「地底蛸のことはおいておいて、ともかくレオン王子に怒られた私は、お詫びに地底蛸パイをご馳走することになってしまったんです……。つまり、アリスベル様が見たという光景は、お詫びをしていた私の姿ということです」
「……あれは、焼き菓子に見えましたけれど」
「地底蛸パイと一緒に焼き菓子も作りました。相手は王子様なので、料理の腕を認められたら王城に料理人として招かれるかも! っていう下心がありました。でも下心を持つと良いことは無いもんですね……、私のような庶民と親しくするのは良くないと思って、ひっそりと裏庭でお詫びの品を渡していたんですけど、レオン王子は庶民が珍しいのか私の話を聞きたがって全然解放してくれないし、次の日にはあらぬ噂は流れているし、妙な誤解をされてしまうし、散々です」
「コゼットは、レオン様が好きなのではないのですか?」
恐る恐る私は尋ねる。
コゼットの話は理解できた。でも、一番大切なのはそこだと思う。
きっかけはお詫びであれ、お互いに悪い感情がないのなら、そのまま仲睦まじくしていただいても私は構わないのだけれど。
「私が? レオン王子を? 私が?」
「ええ、コゼットが、レオン様を」
「私がアリスベル様を好きだと言う話ではなくて?」
「私がそこで登場するのは、違う様な気がするのですけど……」
「違わないです、とっても大事な事ですよ。だってですね、昨日の私はなんだかよく知らない人たちに囲まれて、色々言われて突き飛ばされたりもしましたけど、問題を起こすとデンゼリン男爵に叱られるので、大人しくしていたんです。借りてきた猫のように大人しくしていたんですよ。そうしたら、アリスベル様が助けてくれたんですよ? あれはまさに、天使でした。凛々しく美しい女神のようでした。レオン王子は私とアリスベル様の邪魔をしてきたので、邪魔王子だなぁとしか思ってません」
「邪魔……」
「邪魔王子……」
「邪魔王子!」
私たちの声の後、軽やかで楽し気な男性の声が続いた。
気づくとそこにはティグレ様が立っていた。
ティグレ様はシャルルの背後に音もなく忍び寄る特技でもあるのかしら。
入学当初は適切な距離を保っていたような気がするのに、最近のティグレ様は節操なくシャルルを独占しようとしている気がする。
シャルルに嫌がられても怒られても、昼休みに顔を見に来るのは立派だと思う。
きっと愛情が深いのね。
シャルルが怒っているのも、照れ隠しだろうとは思うけれど。
「なによ、ティグレ。何しに来たのよ。昨日アリスに酷い事を言ったの、許してないわよ。暫く顔も見たくないと言ったじゃない」
「こんにちは、お姫様方。シャルに、アリスベルにデンゼリン男爵令嬢とは、不思議な組み合わせですね」
名前を呼ばれて、コゼットはぺこりと頭を下げた。
ティグレ様を前に、恐縮したように畏まっている。
「僕の姫君は今日も不機嫌そうで、可愛らしいですね。顔が見たくて、探しましたよ? シャルがあんまり怒るから、アリスベルにきちんと謝ろうと思って。……でも、邪魔王子……っ」
ティグレ様は口元を押さえた。頭の上にあるふたつの獣耳がぴくぴく揺れている。
笑うのを我慢しているようだ。
「ティグレ様、ごきげんよう。昨日のことなら、大丈夫です。ティグレ様の言葉は正しいですもの……。シャルルはティグレ様を怒らないでくださいね」
「うぅ……。アリスが言うなら、仕方ないわね……」
「アリスベルには素直ですよね、シャルは。ちょっと、妬きそうです」
ティグレ様は不満そうに唇を尖らせてそう言うと、空いている椅子に優雅に腰を下ろした。
ふと、私は気づいてしまった。
コゼットをティグレ様に近づけてはいけないということを。
なんとか理由をつけて、コゼットを連れ出さなければいけない。
ティグレ様がコゼットに興味を持たないようにしなければ。
でも、これだけシャルルが好きなティグレ様なのに、コゼットと親しくなったりするのだろうか。
――それに、私が私の事情だけで、誰かの感情の邪魔をするのは、どうなの?
それは果たして、許されるのかしら。
「昨日のレオンの話、聞きましたよ。コゼットさんとアリスベルとシャルが三人で中庭にいるというので、気になって来てしまいました。揉めているのかと思ったのに、随分と楽しそうですね」
「私とアリスとコゼットは、女同士で話をしているの。ティグレは邪魔をしないで」
「僕も見た目だけなら女性に見えなくもないので、混じっても良いんじゃないですか? いっそ、スカートでも履いてきましょうか」
「良いわよ、そこまでしなくても……、似合いそうなのがちょっと腹が立つわね」
シャルルはティグレ様から視線を逸らすと、キッシュを摘まんで口に入れた。
私も話に夢中になっていて食事を忘れていたので、もう一つパイを頂いた。
ちょっとどきどきしたけれど、パイの中にはラズベリーがぎっしり詰まっていて、地底蛸は入っていなかった。
「ティグレ様、私今思い切り、レオン王子の悪口を言いましたよね……」
恐る恐ると言った風に、小さな声でコゼットが言う。
ティグレ様はにこやかに頷いた。
「はい、ばっちり聞きましたよ。邪魔王子、ですね。良い言葉です。今度から僕も、レオンの事をそう呼ぼうかと思います」
「どうしましょう、私の仕官の道が……っ」
「コゼットさんは仕官をしたいんですか?」
「将来の事はあまり深くは考えていないんですけど、デンゼリン男爵家にいつまでもお世話になるわけにもいかないし、働こうかとは思ってます。お掃除と料理と洗濯は得意なので、お城のメイドや料理人なんて向いてると思ってたんですけど」
「そうですか。じゃあ、王妃なんてどうですか? 第二王妃になれば、アリスベルとずっと一緒にいられますよ」
「アリスベル様と、ずっと一緒に……!」
なんてことを言うの、ティグレ様は。
そうなったら私は婚約破棄をされて、王妃の座をコゼットに譲らなくてはいけない、というか、是非譲らせて頂きたい。
不機嫌なレオン様の傍に愛されることもなくずっといるなんて、とても辛い。
それこそマリアンヌの言う当て馬ちゃんそのものよね。
「ティグレ、なんてことを言うのよ」
シャルルが怒りの形相で、ティグレ様の耳を思い切り引っ張った。
ティグレ様はとても嬉しそうにしている。
申し訳ないけれど、耳を引っ張られて嬉しそうにするティグレ様、ちょっと怖い。
「冗談ですよ。いやぁ、レオンは滑稽だなぁと思いまして。コゼットさん、デンゼリン男爵家で随分苦労をされたんでしょう? レオンは直情的な人間ですから、かなり同情してましたよ。で、そんなコゼットさんを目の敵にするアリスベルは嫌な女だ……、と思っていたのに、それは全部誤解だったんですよね。コゼットさんに叱られて、アリスベルがコゼットさんを守った事を知って、物凄く反省して落ち込んでましたよ。面白かったなぁ」
ティグレ様の言葉に、私は吃驚して目を見開いた。
コゼットが、レオン様を叱ったの?
あの、人の話を聞かないレオン様を?
「……レオン様は、昨日かなり、怒っていらっしゃいましたけれど……」
私は昨日のことを思い出して、ティグレ様におずおずと尋ねた。
「酷いことを言われたんでしょう? 頭に血がのぼって、アリスベルにきついことを言ったと、それはもう落ち込んで、生きる屍のようでした。良い気味です。今日あたり謝りに来るんじゃないですか? 許さなくて良いですけど」
「そうですよ、許さなくて良いです! アリスベル様になんてことを言うんだと、開いた口がふさがりませんでしたよ私は。本当はアリスベル様を追いかけたかったんですけど、レオン王子の間違いを正すのが先だと思って、追いかけられませんでした。全く、邪魔王子ですぅ」
コゼットが両手を握りしめて、ぷんすかと怒っている。
「そうなのですか……」
シャルルは、私たちの話を聞きながら、静かにパイを口に運んでいた。
焼き菓子をさくさく食べている様が、森のリスのようで可愛い。
いえ、シャルルを見ながらほんわかしている場合じゃないわね。
現実逃避しそうになってしまった。
――レオン様が、謝りに来る。
一体どういう気持ちで、私はそれを受け入れたら良いのだろう。




