コゼット・デンゼリンは主人公 2
昼休憩を告げる鐘の音が鳴る。
午前の授業は魔法薬学と王国歴史学、算術だった。
歴史と算術は既に習っていたものなので復習のつもりで先生の話を聞いて、魔法薬学は興味深くノートに書き込みながら聞いていた。
シャルルは歴史学は腐るほど聞いたからもう良いと、別棟にあるサロンで休憩をすると言っていた。
算術の時間に戻ってくると、私の隣に座った後にきょろきょろと周りを見渡していた。
小さな声で「あの女は私のいない間にこなかった?」と聞いてきたので、どうやらコゼットのことが余程気になるらしい。
コゼットがティグレ様に近づいた場合にシャルルが辿る運命については心配だけれど、だからといってコゼットの好意を無碍にするわけにはいかない。
良心を持って近づいてきてくれた方に冷たくするなんて、クロノス様を信仰する者として許される行為ではない。
それに私は今まで悪役縦ロールという髪型のせいかもしれないけれど、どことなく怖がられていてシャルル以外に友人と呼べる人がいなかった。
コゼットが話しかけてきてくれたのは、少しだけ時間を置いて冷静になった今考えると、純粋に嬉しいと感じる。
「アリスベル様!」
教科書や筆記用具を片付けていると、コゼットが私の方へと駆け寄ってくる。
シャルルがとても嫌そうな表情でコゼットを睨んだ。
「コゼットさん。そんなに走ると、転んでしまいますわよ」
「そうよ。ボールを見つけた犬ころみたいに走ってくるんじゃないわよ。転ぶわよ」
「私は犬ころで良いですけど、アリスベル様はボールなんかじゃありません! 高級骨付き肉みたいなものです!」
「高級骨付き肉……」
私は思わず呟いた。
それは褒められているのかしら。
骨付き肉と例えられる程、お肉はついていないつもりだけれど。
今日お風呂の時にじっくり体を見てみよう。どこかに余計なお肉がついていたら、運動をしなければいけない。
私のそんな不安をよそに、二人の会話が弾んでいく。
「そうね、ボールに例えた私が間違っていたわ。霜降り短角牛のローストビーフの薄切りを前にした犬ころ、とでも言うべきだったわ。あんたが犬ころというのは変わらないけどね!」
「はい、私は犬ころで十分です! アリスベル様に飼っていただけるのなら犬ころにでも猫ちゃんにでもなりますとも!」
「飼わないわよ、飼わないわよ飼うもんですか。どういう魂胆なの、私とアリスの仲を邪魔するんならただじゃおかないわよ!」
「邪魔なんてしませんよぅ、アリスベル様にお礼を言いにきたんですー。ついでにちょっとお話ができたら良いなっていう下心もありますけどね! アリスベル様はフライツマール様のものじゃないんですから、私がお話ししても何にも問題ないと思いますけど?」
「生意気だわ……、なんて生意気なの……、アリス、ちょっと、アリス!」
私はシャルルに呼ばれて我に返った。
骨付き肉だのローストビーフだの言われるので、もしかしたら太ったのかもしれないと心配になって、腰や腹を思わずさすっていた。
感触に大きな変化はないので、多分大丈夫だと思う。多分だけど。
小さいシャルルと、小柄なコゼットに比べたら私の方が肉付きが良いのかもしれないけれど、それは身長差と体型差があるからで、仕方の無いことだ。
だから、多分大丈夫。
――オスカー様に頼んで、剣の稽古でもしてもらった方が良いかもしれない。きっと良い運動になるわよね。
「コゼットさん、どこに行きますの?」
お肉の心配を一先ずやめて、私はコゼットに尋ねた。
「大噴水の前のテラスにいきましょう! 本当は裏庭で二人っきりになりたかったんですけど、フライツマール様もくるというので、どうせなら明るい場所が良いと思いまして」
「何その明らかに邪魔、みたいな言い方。私もいくわよ」
「シャルルにも一緒にいて欲しいけれど」
「アリスベル様がそういうのなら、私は全然構いませんよ。フライツマール様の一人や二人や三人や四人、いてくれても全然構いません」
「私は一人しかいないわよ!」
コゼットは全く悪気はないようで、シャルルが怒っていてもにこにこ笑っている。
シャルルは背は低いけれど公爵令嬢という身分もあって、それなりに畏怖されているのに、全く物怖じしないコゼットはかなり凄い人なのかもしれない。
もうこれは、身分制度のことをよく理解しているとかいないとか、そういった話ではおさまらない気がしてきた。元々の性格のような気がする。
教室の中で話していると注目を浴びて仕方ないので、私は立ち上がると二人を促して大噴水のテラスへと向かった。
廊下を歩く間、シャルルが右腕を掴み、コゼットが左腕にしがみ付いてくるのでとても歩きにくかった。
通り過ぎる方々が何事かと私たちを唖然と見送っているのが、ちょっと恥ずかしい。
コゼットもシャルルも何も感じないようなのが凄いと思う。
私はまだまだね。
人の目ばかり気にしてしまうのを、やめたいなと歩きながら考えた。
それはきっと私がまだ、未来の王妃という立場から抜け出せていないからだろう。
自由だと何をして良いと思ってはいるものの、自分の殻を破るのはなかなか難しい。
大噴水の前のテラスには、ちらほらと食事をする生徒たちの姿があった。
よく晴れていて、日差しも暖かい。噴水から落ちる飛沫が水面を揺らしている。
噴水の中には銀貨が点々と落ちている。噴水の中に誰にも見られずにコインやメダルを入れると願いが叶うという噂があるせいだろう。
揺れる水面から小さな銀貨がきらきらと輝いて見える。時々学園の管理人が掃除をしては、孤児院を管理する教会に寄付しているらしい。
空いているテーブルセットにコゼットは私を引っ張っていった。
必然的にシャルルも一緒に引っ張られるので、コゼットに引率されるようにしながら私達はテーブルセットの椅子に座った。
白い色の鉄製のテーブルセットには日陰を作るための天蓋がついている。
暖かい日差しから天蓋が作った影の下に入ると、少しだけ涼しくてこれはこれで気持ちが良い。
この数日はまともに休憩時間を過ごしていなかった気がするので、ゆったりとした気持ちで昼休憩を過ごすのは久々だ。
「あのですね、実は、お礼の焼き菓子もあるんですけど、あわよくば一緒にご飯を食べれるかなって思って、お弁当も多めに作ってきたんですよ」
可愛らしく小首を傾げながら、コゼットが言う。
手にしていた大きめの布鞄の中から、彼女は愛らしい小さな猫が刺繍された布で包まれた大きめなお弁当を取り出す。
いそいそとコゼットは布を開いた。そこにはバスケットの中に切り分けられたパイとキッシュが並んでいた。
さらにもう一つ、かなりの大きさのバスケットを取り出す。
一体布鞄にどうやって仕舞い込んでいたのかしら。
鞄の大きさとバスケットの大きさが合わない気がするのだけど、あまり深く考えない方が良いのかもしれない。
もう一つのバスケットには、猫やウサギや熊の形にくり抜かれたクッキーや、色とりどりのマカロンが大量に敷き詰められている。
三人で食べる量じゃない。
この量を、コゼットは私と二人で食べようと思っていたのかしら。
気持ちはありがたいし、とても美味しそうなのだけれど、一つ二つでお腹がいっぱいになりそうな予感がする。
「これ、全部、あんたが作ったの?」
「そうですよぅ、自慢じゃないですけど料理と洗濯と掃除だけは得意なんです。私の取り柄ってそれぐらいしかないんですよね」
胸をそらしながらコゼットが言う。
それはきっと、デンゼリン男爵家でメイドのようにこき使われていたからだ。
悲壮感もなく得意気に話すなんて、コゼットはなんて健気なのかしら。
私は胸をうたれた。
コゼットに怒っていた自分が恥ずかしい。
コゼットは健気で明るくて良い方だ。まだ少ししか話をしていないけれど、多分間違っていないと思う。
「あのあの、アリスベル様。昨日のお礼ですから、嫌じゃなければですけど、是非召し上がってください……! あ、フライツマール様もどうぞどうぞ」
「どうやって食べるの?」
シャルルが不思議そうにコゼットをみつめる。
確かにバスケットはあるけれど、お皿やナイフやフォークはない。どうやって食べるのだろう。
「あぁ、そうでした! 私ってばうっかり。いつもこのまま食べてるから、忘れてました」
「このままというのは……?」
「手で食べます」
「それは、食べるときは手を使うでしょうけど」
「だからぁ、手でこうやって……」
コゼットはバスケットの中に一緒に入っていた紙ナプキンで手を拭くと、キッシュを一切れ摘んでそのまま口の中に放り込んだ。
私とシャルルは唖然とその姿をみつめる。手で食べるとは、そういう意味だったのかと驚いた。
そんな、はしたないことは生まれてから一度もしたことがない。テーブルマナーについては幼い頃から叩き込まれているので、食事を手掴みするなんて発想はなかった。
シャルルも同じだろう。
奇妙な動物を見るような目で、シャルルはコゼットを見ている。
「パイもキッシュも、一口サイズなので、この食べ方だと洗い物が少なくてすむんですよ。でも、アリスベル様にそんなことをさせるわけにはいきませんよね。私、今食堂まで一走りして、食器を持ってきますね!」
「だ、大丈夫ですわ!」
コゼットがそう言って立ち上がろうとするのを、私は慌てて止めた。
これは私が新しい私になる切っ掛けかもしれない。
胸を高鳴らせながら、私はバスケットの中の一口大の小さなパイをみつめる。
レオン様の婚約者のアリスベルは、手掴みで食事なんて絶対しないのだけれど、今の私はもうそんなことには縛られない私だ。
パイを指で摘んで食べるなんてしたことがないけれど、挑戦するべきよね。
それに、マリアンヌならきっと、そんなことはしたなくもなんともないじゃない、と笑いながら言ってくれる筈だ。
「アリスがやるなら、私もやるわよ」
「ご飯食べるだけなのに大袈裟なアリスベル様、可愛い」
コゼットがにこにこしながら私を見ている。妙な褒められ方をした気がしたけれど、今はそれどころじゃない。
私はパイを指先摘むと、緊張しながら口の中に放り込んだ。
中に入っているのは馬鈴薯とチーズのようだ。まったりとした甘さが口の中に広がって、さくさくのパイ生地合わさるととても美味しい。
ルーファスの作ってくれる手の込んだ繊細な料理とは違うけれど、なんだか、懐かしくて優しい味がする。
シャルルも口元に手を当てながら、瞳をきらきらさせている。きっと美味しかったのだろう。
「紅茶が欲しいわね。……美味しいものを食べさせて貰ったお礼よ、紅茶は私が振る舞うわ」
口の中のパイをゴックンと飲み込んだ後、シャルルはそう言って優雅に手をあげる。
昼の時間には、大噴水の前で休憩をとる者も多いので、大抵の場合私たちが不自由しないように給仕が待機してくれている。
シャルルの場合は、彼女から少しだけ離れた場所にシャルル専属のメイドがいつでも待機していて、シャルルの身の回りの世話をしてくれている。
シャルルの合図と共にメイドが私達の前に紅茶を準備してくれた。
お礼を言うと、彼女はお辞儀をしてまた少し離れた場所へと戻っていった。
シャルルの話では、あまり優しくすると調子に乗るから離れた場所に置いておくぐらいが丁度良いと言うことらしい。
直接話をしたことはないけれど、きっと昔からシャルルの側にいる方なのだろう。
ルーファスも学園内についてくると言ったことがあるけれど、それは丁重にお断りさせて貰った。兄を常に同伴しているような気分になるので、少し恥ずかしかったからだ。
「フライツマール様、ありがとうございます!」
「ええと、コゼットだったかしら。……シャルルで良いわよ。美味しいご飯を作れる人に悪い人はいないものね」
「コゼットさん、とても美味しいですわ。私も何か、お礼をしたいのですけれど……」
「私がお礼をしてるんですよ! アリスベル様がお礼をしたら、お礼のお礼になっちゃうのでダメですし、一緒にご飯を食べたり、私の作ったものを食べてもらえるだなんて、お礼というかむしろご褒美なんじゃないかなって思いますし」
コゼットがぶんぶん首を振りながら、私の申し出を断る。
コゼットに対して態度を柔らかくしたはずのシャルルが、そんな彼女をじっとりと睨んだ。
「コゼット、アリスと先に仲良くなったのは私なんだからね。そこは忘れたらだめよ。ところでお礼っていうのはいったいなんなの?」
「実は昨日、アリスベル様に助けていただいたのです。私を助け起こそうとしてくれたアリスベル様は、さながら王子様のようでした!」
眩しいほどの笑顔を浮かべて、コゼットが言う。
私の頭に、灰かぶりと王子様、と言う単語が浮かんだ。
いや、まさかね。
まさか。
きっと勘違いよね。王子様はレオン様であって、私じゃない。




