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キラは父親の形見のリュックに荷を詰め、一人で旅をしていた。
隣国へ行くためには、関所を抜けなければならないが、そこを通り抜けることは出来ない。何故ならキラの国は、鎖国政策をとっているためだ。
関所では厳しく監視され、国外への流出は止められている。
だから父親に言われたように険しい山越えをしなければならない。
獣が、魔物に転じるこの国は、子ども一人の旅はほとんど死を意味した。
だが、父親から教え込まれたように、魔物の糞を探して体にすり込んで、危険な森を抜けていく。
国境を越えたあたりから、危険な魔物が減っていった。
キラは小川を見付けて臭い体を洗い流し、着ていた服を洗い流した。
着替えて、また歩き出す。
父親からは、いろんなことを叩き込まれた。文字の読み書きは少ししかできない。けれど、獣の捌き方、火の熾し方、繕い物、料理など、生きるために必要なことは一通りできる。
「お前は誰も頼れないだろう。額の石は忌み嫌われる。絶対に人に見せるな。見つかれば、人攫いに捕まって見世物小屋で一生を過ごすことになる。下手をすれば、魔物と呼ばれて殺されるかもしれない」
そう言われていたから、キラは帽子を深くかぶり、人目を避けるようにこそこそと移動していた。
隣国の整備された街道に、ようやく出ることができた。
旅人がたまに通るだけの寂しい街道だったが、それでもきれいな石畳が敷かれている。この国は、おそらくキラの国よりも豊かなのだ。
キラは道行く人を避け、人目に触れないように一人で歩いていた。それでも、いつの間にか近くに人がいることがあった。
子どもの一人旅は、やはり目立つようだった。
今も、近くを商人が歩いている。子どもが一人でいるのを気にしたのか、何度かこちらを見ていた。けれどキラが頑なに目を合わせないので、やがて諦めたように先へ進んでいった。
「ふう。よかった。声をかけられても困る。たぶん悪い人じゃない。優しい人なんだと思う。でも、僕の石を見たら、きっと怖がる」
キラは商人の姿が見えなくなるまで道端に座り、少し早い昼食をとることにした。
リュックから堅く焼いたパンを取り出し、ぼりぼりとかじる。 日持ちするように焼かれたパンで、味は今ひとつだが、とにかく腹は膨れる。
川で汲んだ水で流し込めば、食事はあっという間に終わった。
「この分かれ道は、どこに繋がっているんだろう。右へ行けば王都。左は、オマン領……そんな場所はわからない」
「この先ローヌ王都」の文字は読める。幼い時母に字を習った。
父親は文盲だったが、母は文字がすこし読めた。
『キラは賢いわ。教えたことをすぐに覚えてしまう。もう私には教えられない。キラにもっと勉強させてあげたいのに……』
そう言った母は、その後すぐに病気で死んでしまった。
だからキラも、自分の名前は書けるし、多少の文字は読むことが出来た。
母が、自分でも書けるようにつけた名だった。短くて簡単で、キラもすぐに覚えた。
王都へ続く道を進みはじめたキラの、はるか先。
そこには、馬に乗ってゆっくり進む三人の男がいた。
「兄貴、もうこのあたりで罠を張ろうぜ。この道は一本道だし、まわりも見通しが悪いし、うってつけだろう」
「おう、そうだな。いい場所だ。あの木の陰に馬を繋ごう」
見た目は野盗そのものだが、普段は冒険者として働いている連中だった。
冒険者ギルドの依頼を果たせず、すごすご引き返す途中で、商人でも襲って稼ごうと考えたらしい。
身軽な男が木に登り、獲物が通るのを見張る。
残る二人は道端に寝そべり、ウサギの血を身体につけて、怪我人のふりをするつもりのようだった。
そこへ、ちょうど一台の商人の馬車が通りかかった。護衛は五人。
木の上で見張っていた男が、手を振って合図する。駄目だ、という印だった。
怪我人のふりをしていた男は、すばやく森へ引っ込み、商人の馬車をやり過ごす。
馬車は何事もなく、そのまま通り過ぎていった。
「くそっ。あの護衛、『白銀の盾』じゃねえか。あんな連中を相手にしたら、あっという間にお陀仏だ」
「あの商人は相当な大物だな。あいつらを雇える護衛料なんて、半端じゃねえ。次の獲物が来るまで待つしかないな」
木の上から、今度は別の合図があった。
「お、合図だ。支度しろ」
護衛もつけず、一人でこの道を来る旅人だ。
連中にとっては、これ以上ない狙い目だった。
だが、その商人は道端に倒れている男を見ても足を止めず、そのまま通り過ぎようとした。
「ちっ、気づいてやがる!」
男たちは慌てて飛び出し、商人を追いかけて後ろから斬りかかった。
木の上にいた男も加わり、商人はたちまち取り囲まれる。
商人も腕に覚えがあったのだろう。かなり善戦した。
だが、多勢に無勢だった。やがて地面に組み伏せられてしまう。
「おい、金目の物を魔法鞄から出しな。早くしねえと首が飛ぶぜ」
魔法鞄は、持ち主でなければ中の物を取り出せない仕組みになっている。
本人が死んでしまえば、魔法鞄の中身は取り出せない。
取り出すには、持ち主の魔力を書き換えるための特別な処置がいる。
俄か仕込みの野盗に、そんな伝手があるはずもなかった。
「早く出しやがれ。でなきゃ、ぶっ殺すぞ!」
「殺したければ殺すがいい。だが魔法鞄の中身は、お前たちには取り出せまい。万が一、それを魔法使いのもとへ持ち込めば、お前たちはすぐに縛り首だ」
商人の言う通りだった。
魔法鞄を持ち込めば登録を調べられる。
暗証言語を知らなければ、盗品だとすぐに割れる。
にっちもさっちもいかなくなった野盗たちは、顔を見合わせた。
「顔を見られちまった。殺して逃げるぞ。骨折り損だが仕方ねえ。さっさとやれ!」
その場へ、不運にもキラが歩いてきてしまった。
人が何人も固まっているのが見えて、足を止める。
何をしているのだろう。倒れているのは、怪我人だろうか。
このまま通り過ぎてもいいのだろうか。
キラはおそるおそる近づいていった。
野盗たちは、まだキラに気づいていない。
「あの……何か、お困りですか?」
突然の声に、野盗たちの身体が一瞬こわばった。
その隙を逃さず、商人が一人に掴みかかる。
そして隠し持っていたナイフで、その腹を突き刺した。
野盗は悲鳴を上げて転げ回った。
慌てた仲間が逃げ出そうとしたが、のたうつ男に足を取られてもつれるように倒れる。
何が起きたのかわからず、キラがおろおろしているうちに、残る野盗たちも商人に倒されてしまった。
「ありがとう。君のおかげで助かった」
声をかけてきたのは、さっき道ですれ違った商人だった。
キラは気まずくなり、帽子を押さえながら小さくこくりとうなずく。
「君の名前を教えてくれないか。ああ、私はセレスティンという」
「僕は、キラです」
「キラくん。君は一人で旅をしているようだが、このあたりにはああいう連中がいる。危ないから、私と一緒に来ないか。
この道を行くなら王都へ向かう途中だろう。私は王都でそれなりに知られた商会に勤めている。怪しい者じゃない。安心してくれ」
そんなふうに言われてしまうと、断るのは難しかった。
キラは仕方なく、セレスティンという商人と一緒に旅を続けることになった。
「あの、野盗たちはあのままでいいんですか」
「そのうち魔獣にでも食われるさ。自業自得だ」
野盗たちは手足を折られ、縛られたまま道端に転がされていた。
とどめは刺されていない。だが、いっそ殺されたほうがましだったかもしれない。魔獣に食われるなど、ぞっとする最期だ。
キラはこわごわ、商人の顔を見上げた。
「そんな目で見ないでくれ。こいつらを王都まで連れて歩くわけにはいかないし、ここで殺してしまえば、王都の門を通るときに魔道具に引っかかるかもしれない。門番に説明するのも面倒なんだ。わかってくれ」
王都に入るのに、魔道具で調べられる。
そんなことは聞いたこともなかったキラは、思わずきょとんとした。
「君は王都は初めてのようだね。近ごろ王都では、新しく作られた防犯の魔道具が使われているんだ。罪を犯した者に反応するが、ときどき罪とまでは言えないものにも反応する。
今回の件は少し微妙でね。説明が面倒になる。だが、殺していなければ引っかからないだろう?」
そういうことかと、キラは小さく納得した。
キラの国でも、野盗は捕まれば死罪になる。どのみち、彼らは処刑されるのだ。
だが同時に、不安が胸をよぎった。
王都に入るときは、自分もその魔道具で調べられるのではないか。
罪を犯したことはない。けれど、額の石にあの魔道具が反応しないとは言い切れなかった。
セレスティンは、ずっとうつむいたまま斜め後ろをついてくるキラのことが気になっていた。
こんな子供がたった一人で王都まで旅をするなんて、何か事情があるのだろう。
口数の少ないこの子から、どうにか身の上を聞き出せないものかと、セレスティンは歩きながら声をかけた。
「キラ君。王都には知り合いを訪ねて行くのかい」
「はい。おっとうの知り合いがいます」
「ご両親は、今はどうしているんだ」
「死にました。おっとうは猟師だったけど、年を取って体が動かなくなって、それで死にました。おっかあは、もっと前に死にました。僕は一人になってしまって。王都に、おっとうの知り合いが宿屋をやってるので、そこで雇ってもらおうと思っています」
キラは淡々と話していた。
けれど、その淡々とした言い方が、かえってセレスティンには痛ましく思えた。
「何という宿屋だい」
「たしか、女の園っていう宿屋です」
何だと!娼館ではないか。然も、スラム街にある娼館だ。
そんなところへ子供を預けるなど、何を考えているんだ。まさか、この子を売ってしまったのではないか?
「キラ君、そこへ行ってはダメだ。怪しい宿屋だ。評判も良くない。私が君の仕事を紹介しよう。安心して任せなさい。いいね!」
強い口調で言われ、キラはどうすることもできず、こくりとうなずいた。
父親の知り合いも、キラと同じように国を抜け出した人だった。
詳しい事情は、キラには分からなかった。スラム街がどんな場所かも知らず、セレスティンの言葉を信じるしかなかった。
宿屋がどこにあるかも分からない。広い王都を一人で探し回るのは難しかった。
この人の親切に頼るしかない。
けれど、不安は消えなかった。
もし額の魔石のことを知られたら。
セレスティンもまた、自分を気味悪がるのではないだろうか。
王都に着いて、無事に門をくぐれたら、そのとき事情を打ち明けてみよう。
もしそこでセレスティンに怖がられたなら、そのまま別れればいい。
あとは一人で、ゆっくり宿屋を探せばいいだけだ。
王都に着いたのは、二日後のことだった。
王都の門の前は、大勢の人でごった返していた。
一人ひとり個室に通して検査しているらしく、列はなかなか進まない。
「キラ君。私のそばから離れないように」
そう言って、セレスティンは門番のほうへ歩いていった。
「おや、これはセレスティンさん。お一人とは珍しいですね。何か急ぎのご用ですか」
「いや、野暮用だ。この子はうちの手伝いだ。一緒に見てもらって構わん」
「それが、今日はご覧の通りの混みようでしてね。とても手が回りません。街の住人なら顔でわかります。どうぞお通りください」
セレスティンは、道中で野盗を縛って置いてきたことだけ門番に伝えると、キラを連れてさっさと街の中へ入っていった。
魔道具の検査がなかったことで、ひとまず胸をなで下ろす。
だが、この先はセレスティンに額の魔石を見せなければならない。
人気のない場所に出たら話そう。そう決めていたのだが、思ったより早く、二人はセレスティンの住まいへ着いてしまった。
門からそう遠くない場所に住んでいたらしい。
そこは大きな下宿屋で、セレスティンはその二階に部屋を借りていた。
続き部屋になっていて、一つは寝室、もう一つは居間だ。
風呂はなく、トイレは各階にある共同のものを使うらしい。
食事つきの下宿屋のようだった。
キラはセレスティンの部屋に入るなり、帽子を脱いだ。
セレスティンは目を大きく見開き、キラの額の魔石をじっと見つめた。
――やっぱり気味悪がっているんだ……。
「キラ君。その額にあるのは、魔石かい?」
「はい。生まれつきのものです。これのせいで村にはいられませんでした。王都なら、いろんな人がいて、僕でも生きられるって、おっとうが言っていました。だから出てきたんです。気持ち悪いでしょう。僕はすぐに出て行きます」
セレスティンはすぐには答えなかった。
その沈黙に、キラは帽子を握る手へぎゅっと力を込める。
けれど、返ってきた言葉は思っていたものとは違っていた。
「キラ君は、その魔石で何ができるか知っているかい」
「……え」
キラは目を瞬いた。
「何ができるかって、どういうことですか」
「そうだな。滅多にいないから、知っている者は少ないが、王都にも魔石を持って生まれてくる者はいる。そういう者は、魔法使いの素質に恵まれているんだ。
生まれつきでなくても、魔法使いになりたくて、わざわざ魔石を埋め込む者もいるくらいでね。
キラ君は、魔法使いになりたくないかい」
キラには、魔法使いがどんなものかさっぱりわからなかった。
それでも、魔石を気味悪がられなくてすむのなら、行ってみたいと思った。
「僕が、魔石を隠さなくていい場所があるなら、そこへ行ってみたいです」
キラは、父に言われた通りに村を出てきた。
見知らぬ道を長いあいだ歩き続け、ようやく隣国までたどり着いた。
身が切られるほど心細く、泣きたくなるほど寂しかった。
それでも、この国なら魔石を隠さずに生きていけるかもしれない。
そう思えたことが、今はただうれしかった。
そして親切なセレスティンに出会えたことを、キラは心の底からありがたいと思った。




