第6話 分解が暴く真実
王宮の一角に用意された調査室で、三日目の夜を迎えていた。
石造りの小部屋に置かれた作業台の上で、暴走杖の部品が整然と並んでいる。分解した全ての部位に番号札を振り、それぞれの状態を記録用紙に書き込んでいく。前世で不良品の原因分析をしていた頃の手順が、ここでもそのまま使えた。
窓の外はとうに暗い。部屋を照らすのは魔法灯の白い光だけだ。
部屋の隅の椅子に、クラウスがいる。護衛という名目で同室を許可されていた。本を読むでもなく、居眠りをするでもなく、ただ静かに座っている。時折こちらに視線を向けるのが気配で分かるけれど、話しかけてはこない。作業の邪魔をしないことが、この人なりの気遣いなのだと、もう分かっていた。
核魔石の詳細分析を終えた。
結論は揺るがない。この魔石はA級ではない。結晶構造の密度、魔力の残響パターン、表面の微細な紋様——全てがC級品の特徴を示している。A級からC級への自然劣化が起きるには数十年単位の時間が必要だが、この杖の納入記録は五年前。劣化ではありえない。
さらに、伝導路にも問題があった。
高出力の魔法を通す杖には、過負荷を吸収する安全機構を組み込むのが基本設計の常識だ。暴走が起きた時に魔力を逃がすための、いわば安全弁。この杖にはそれがない。省略されている。
C級の魔石に、安全弁のない伝導路。高出力を要求すれば暴走するのは当然だった。
これは事故ではなく、設計時点での品質偽装だ。
記録用紙にそう書き込んで、ペンを置いた。指先がかじかんでいることに、ようやく気づいた。夏とはいえ石造りの部屋の夜は冷える。
ふわり、と肩に重みが乗った。
クラウスの外套だった。いつの間に立ち上がったのか、気配すら感じなかった。
「寒いぞ」
「……まだ平気です」
「体が冷えると手が震える」
振り返ると、クラウスはもう窓辺に移動しかけていた。こちらを見ずに言葉を続ける。
「杖師の手は大事にしろ」
外套を引き寄せた。彼の体温がまだほんのり残っていて、冷えた肩に沁みた。
「……クラウスさん」
「なんだ」
「そういう言い方するから、分からなくなるんですよ」
窓辺で足が止まった。
「仕事の延長で言ってるのか、心配してくれてるのか」
自分でも驚くほど率直な言葉が出た。三日間の緊張と疲労で、感情の蓋がゆるくなっているのかもしれない。言ってしまってから少し後悔したけれど、もう取り消せない。
クラウスは窓の外を見たまま、しばらく黙っていた。
「……両方だ」
短い沈黙の後に落ちてきた声は、いつもの低さとは少し違っていた。ほんの少しだけ、硬い。
それ以上は何も言わず、彼はそのまま窓辺の椅子に戻った。背を向けたまま腕を組む。会話の終わりを告げる姿勢だった。
心臓がうるさかった。
外套の襟を握る指先に力が入っているのを自覚しながら、私はゆっくりと作業台に向き直った。報告書の最後の一文を書き終えなければならない。
——両方。
仕事でもあるし、心配でもある。それをそのまま認めた。言い訳で包まなかった。
この人は本当に、嘘が下手だ。
頬が熱いのは、部屋が暖まったせいだということにした。
*
翌朝、報告の場が設けられた。
謁見控えの間。宮廷側の事務官二名、宮廷魔法師一名、そしてゲオルク・ベーレン。クラウスは騎士団の代表として立ち会っている。
「分析結果をご報告いたします」
私は報告書を読み上げた。声は落ち着いていた。前世で何十回もやった品質報告会のプレゼンテーションと、やることは同じだ。感情を排して、事実だけを並べる。
核魔石の品質がA級ではなくC級相当であること。安全機構が設計から省略されていること。これらは経年劣化ではなく、製作時点での品質偽装であること。
報告書には「ギルド長の製品」と記した。ゲオルクの名前は入れなかった。感情で相手を名指ししたと思われれば、報告の信頼性が落ちる。証拠に語らせる。それが前の人生で身につけた品質管理の鉄則だった。
読み上げが終わった後の沈黙は、長かった。
事務官たちが顔を見合わせている。宮廷魔法師は報告書に目を落としたまま微動だにしない。空気が変わったことは、誰の目にも明らかだった。
「大変興味深い分析です」
ゲオルクが口を開いた。穏やかな声。笑みも崩さない。
「ただ、いくつか懸念がある。まず、分析対象が一本だけでは統計的な根拠としては不十分です。個体差や外的要因を排除できません」
正論だった。技術者として反論しにくい指摘だ。
「次に、分解作業の過程で核魔石の状態が変化した可能性も排除できません。外部の——失礼ですが、王立杖師ギルドの認定を受けていない技術者の分解手順が、標準に準拠していたかどうか」
これも、一理ある。いや、一理しかないのだが、その一理が制度上の壁として立ちはだかる。
「したがって、現時点で結論を出すのは時期尚早かと。まずは使い手の魔力制御を含めた総合的な調査を——」
「追加で他の宮廷杖の調査を行えば、統計的な問題は解消されます」
私は遮った。穏やかに、でも明確に。
「複数の杖を調べれば、品質偽装が個体差なのか構造的な問題なのかを判別できます。調査対象の拡大を申請いたします」
ゲオルクの笑みが、一瞬だけ——本当に一瞬だけ、薄くなった。すぐに戻ったけれど、その一瞬の揺らぎを私は見逃さなかった。
「宮廷杖は国家の安全保障に関わる機密品です。外部技術者への無制限の開示には慎重であるべきかと存じます」
事務官がうなずいた。ゲオルクの二十年の信頼と、私の数日間の調査。秤にかければ、どちらが重いかは分かりきっている。
「本件は引き続き内部調査として対応する。リーネ殿の報告書は参考資料として記録に残す」
事務官の結論はそれだった。
参考資料。つまり、棚上げだ。
悔しさが腹の底に沈んだ。けれど同時に、報告書を読み上げた時の空気の変化を思い出す。事務官たちの表情、宮廷魔法師の目の色。全員が「疑念」を持った。その疑念は、もう消えない。
ゲオルクは反論に成功したが、それは守りの反論だった。攻めていたのは私のほうで、彼は防戦しかできなかった。それだけでも、この報告には意味がある。
*
報告の場を出て、回廊を歩いていた時だった。
角を曲がった先で、ゲオルクの背中が見えた。彼の前に小柄な男が立っている——グラーツのギルド前で手帳に書き込んでいた、あの見慣れない男に似た体格の人物。確信は持てないが、顔の輪郭に覚えがあった。
二人は何かを小声でやりとりしていた。距離があって内容は聞き取れない。
だがゲオルクの横顔が見えた瞬間、足が止まった。
穏やかな笑みが、なかった。
報告の場であれほど完璧に保っていた温和な表情が、きれいに剥がれ落ちていた。残っているのは冷たく乾いた目と、薄く引き結ばれた唇。部下に指示を出す上司の顔——いや、それよりもっと切迫した何かを滲ませた顔だった。
ゲオルクがこちらに気づいた。
笑みが戻った。あの穏やかな笑み。一秒もかからずに完璧に元通りになる表情の切り替え。
「ああ、リーネさん。お疲れ様でした。道中お気をつけて」
声も穏やかだった。何一つおかしくない。けれど私はもう、その穏やかさの下に何があるのかを見てしまった。
「……ありがとうございます。失礼いたします」
一礼して、その場を離れた。背中にゲオルクの視線を感じながら、歩く速度を変えなかった。変えたら負ける気がした。
回廊の先でクラウスが待っていた。壁にもたれて腕を組み、私の顔を見て一瞬だけ目を細めた。
「終わったか」
「……ええ。引き分けです」
「引き分けなら上等だ。あの男の二十年に、初日から勝てると思うほうがおかしい」
そう言いながら歩き出すクラウスの背中を見て、少しだけ息が楽になった。
引き分け。証拠は出した。報告書は記録に残った。疑念は宮廷の中に種を落とした。今はそれでいい。
でも——あの回廊で見たゲオルクの顔が、目の裏に貼りついて離れない。
あれは追い詰められた人間の顔ではなかった。追い詰められたからこそ、手段を選ばなくなる人間の顔だった。
グラーツに帰ったら、何が待っているだろう。
外套の中に残るクラウスの体温が、少しずつ冷めていくのを感じながら、私は王宮の門を出た。




