第4話 正式依頼と、無言の荷運び
初夏の陽射しが日に日に強くなり、工房の窓を開けておかないと木屑の匂いがこもるようになった頃、クラウスが約束通り現れた。
前回と同じ、静かな扉の開け方。
ただし今度は一人ではなかった。背後に木箱を積んだ荷馬車が停まっていて、御者が所在なさげにこちらを見ている。
「小隊十二名分の杖だ。点検と調整を依頼する」
クラウスが差し出した書類には、騎士団副団長としての身分証明と、個人名義の依頼書が添えられていた。軍の正式発注ではない。だが報酬額を見て、思わず二度読みした。工房の家賃三ヶ月分に相当する。
「……お引き受けします」
声が少し上ずったのを、咳払いで隠した。
木箱は重かった。十二本の杖が専用の緩衝材に包まれて収まっている。一箱を運び込もうとしたら、横からクラウスの腕が伸びてきて、箱ごと軽々と持ち上げた。
「あ——手伝ってくださらなくても」
「筋トレだ」
真顔だった。
この人は本気でそう言っているのか、それとも照れ隠しなのか、まるで判別がつかない。ただ、彼は残りの箱も全て一人で運び終えると、何事もなかったかのように工房の隅に腰を下ろした。
「……帰らないんですか」
「巡回の合間だ。時間がある」
時間があるから工房の隅に座っている騎士団副団長、という状況がおかしくて、笑いをこらえながら作業に取りかかった。
それから数日、クラウスは巡回の合間を縫って工房に顔を出すようになった。
来るたびに何かを運んでいる。裏口に届いた木材の束、ギルドから届いた書類の箱、水瓶の補充。頼んでもいないのに気づくと終わっている。
「クラウスさん、本当に手伝わなくていいですから」
「筋トレだと言った」
同じ返事。同じ真顔。
マルタが裏口からそれを眺めて、にまにましているのが見えた。見えたので、全力で無視した。
*
異変に気づいたのは、核魔石の補充に出かけた時だった。
十二本の杖を一本ずつ最適化するには、調整用の核魔石の端材がいる。いつも仕入れているグラーツの素材商ヘルマンの店に行くと、彼は私の顔を見た瞬間に目をそらした。
「すまない、リーネさん。うちではもう核魔石は出せない」
「……理由を聞いてもいいですか」
ヘルマンは禿げ上がった頭を撫でながら、声を落とした。
「杖師ギルド筋から通達が来たんだ。『王立杖師ギルド未加入の杖師への素材販売は品質管理上の問題がある』と。うちはギルドとの取引で食ってるから、逆らえない」
「私は冒険者ギルドの杖師登録を——」
「分かってる。分かってるんだが……」
ヘルマンの目には申し訳なさだけではなく、怯えが混じっていた。唇が薄く震えている。単なる通達ではない。この人は、逆らった場合の報復を本気で恐れている。
別の素材商を二軒回ったが、結果は同じだった。三軒目に至っては、私の顔を見た途端に「うちには在庫がない」と扉を閉じた。在庫がないわけがない——棚に魔石の箱が積まれているのが見えていた。
街道を歩いて工房に戻る足取りが重かった。
冒険者ギルドではなく、王立杖師ギルド。素材の流通ルートを押さえて、新参者を兵糧攻めにする。直接手を汚さず、末端の商人を脅して物を売らせない。権力の使い方を知っている人間のやり口だった。
怒りはある。でも怒っていても核魔石は手に入らない。
工房に戻ると、クラウスが例の定位置——作業台の斜め後ろの椅子に座っていた。私の顔を見て、一瞬だけ目を細めた。
「何かあったか」
「……核魔石が手に入らなくなりました。素材商に売ってもらえない」
隠しても仕方ない。クラウスに事情を話すと、彼はしばらく腕を組んで黙っていた。怒る様子はない。考えている顔だった。
「使用済み魔石でいいなら、用意できる」
「使用済み?」
「騎士団の巡回で回収した廃棄予定の魔石だ。品質は新品より落ちるが、処分は副団長の裁量内にある」
提案は実務的で、感情を挟まなかった。同情でもなく、義憤でもなく、「問題がある、だから解決策を出す」という、ただそれだけの態度。
前の人生なら「そんな安物で大丈夫か」と言われるところだ。でもクラウスは私の技術を見ている人間だった。使用済み魔石でも設計次第で性能が出せることを、理屈ではなく実感として知っている。
「——ありがとうございます。使わせてください」
翌日届いた使用済み魔石は、確かに新品には劣る。けれど状態は思ったより良かった。騎士団の装備は管理が行き届いているのだろう。
ここからは、私の仕事だった。
十二本の杖を一本ずつ分解し、個々の使い手の魔力特性に合わせて伝導路を再設計する。量産ではなくオーダーメイド。前の人生で「一台一台の製品に最適な設計を」と上司に叩き込まれた信条が、異世界の工房で息を吹き返している。
使用済み魔石の微妙な個体差を逆に活かして、各騎士の魔力の癖に合わせる。大量生産の新品にはできない、手仕事だからこその最適化。
三日間、ほとんど寝ずに仕上げた。マルタが差し入れてくれたスープとパンだけで生きていた気がする。
*
十二本全ての調整が終わった夕方、クラウスが受け取りに来た。
一本ずつ手に取り、重さと握り心地を確かめている。表情は相変わらず読めないが、手つきは丁寧だった。
十二本目——クラウス自身の杖を手にした時、彼の動きが止まった。
「……柄の太さ」
「はい?」
「変わっている。前と違う」
心臓が一拍跳ねた。
気づかれた。
十二本のうちクラウスの杖だけ、柄の太さを微調整した。彼が工房で木材を運ぶ時に何度も見た手の大きさと、指の関節の角度を思い出しながら、ほんの数ミリだけ径を変えた。彼の手に最も自然に収まるように。
専門家として当然の仕事だ。使い手に最適な杖を渡すのが杖師の務めで、そのために使い手の手を観察するのは普通のことだ。普通のことの、はずなのに。
「俺の手に合わせたのか」
クラウスがこちらを見ている。灰色の瞳に、驚きとは少し違う、静かな何かが浮かんでいた。
「使い手に合わせるのは当然です。杖師として」
目をそらした。作業台の木屑が妙に気になって、指先で払った。そうしていないと、顔がどうなっているか自分でも分からなかった。
「……そうか」
クラウスはそれ以上何も言わなかった。杖を革袋に収め、代金を作業台に置いて立ち上がった。
「次の巡回は月末だ。それまでに隊の者にも使わせてみる」
「はい。何か不具合があればいつでも」
「ああ。——ありがとう」
最後の一言は小さかった。扉が閉まる直前に聞こえた気がしただけで、空耳かもしれない。
でも、耳の奥にずっと残った。
その日の夕方、トマスが工房に来た。いつもより表情が硬い。
「リーネさん。素材の件、少し調べた」
「……何か分かりましたか」
「圧力の出どころは王立杖師ギルドの上層部だ。グラーツだけじゃない、周辺の街の素材商にも同じ通達が回っている」
腹の底がひやりとした。
グラーツ一つの話ではない。周辺の街にまで手を回せる人間。王立杖師ギルドの上層部。
私はまだ、自分を潰そうとしている相手の顔も名前も知らない。知らないのに、その影はもう私の足元まで伸びてきている。
「対抗手段は」
「今のところ、冒険者ギルドの登録杖師への素材販売を禁止する法的根拠はない。ただの圧力だ。だが——」
トマスが言いにくそうに目を伏せた。
「——ただの圧力で、素材商が全員従うほどの力を持っている相手だということでもある」
窓の外はもう暗かった。初夏の長い夕暮れが終わり、グラーツの街灯がぽつぽつと灯り始めている。
作業台の上には、使用済み魔石の余りが数個転がっていた。この小さな石で、私は十二本の杖を仕上げた。正規の素材を止められても、技術で超えた。
でも次も同じように超えられる保証はない。相手は素材だけでなく、もっと別の手段を持っているかもしれない。
指先に残る木屑の感触を確かめるように、手のひらを握った。
——負けない。
杖を削れる手がある限り、この工房は閉じない。
クラウスが座っていた椅子が、まだほんの少しだけ温かかった。




